ティアナの幼なじみであるクラウスは非常に頭が良い。
 若くしてカトライア王立図書館の副館長をしている上、城での仕事も任されている程。

 確かに彼なら図書館の蔵書について把握しているだろうし、知識も豊富だ。相談するのも一つの手だろう。

 けれども、マティアスはクラウスという人物を信用出来ないらしい。彼女の提案に待ったをかけた。


「ちょっと待て。そのクラウスという男が信用できる人物かどうか、お前の情報だけでは判断できない」

「え? どういう意味?」

「もしその男が俺たちを呪った相手と繋がっていたら、どうする?」


 そんなことは有り得ないと思うのだけれど……多分。
 ティアナと有間に延々と小言を言うクラウスの姿を思い浮かべ、有間は肩をすくめる。

 だが、彼らはクラウスという人物を知らないのだから無理もないかと思い直した。

 マティアスの言葉に僅かに肩を落としたティアナに、ルシアがフォローするかのように話しかけた。


「何事も慎重にってことだよ。相手の目的が分かるまでは、下手に動きたくねーんだ」

「そっか、確かにそうだよね……」


 そこで、ティアナは考え込んだ。

 有間は玄関の扉が開かれる音を拾い、一人部屋を出ていく。気付いたアルフレートが腰を上げたが、手で制した。


「おい、ティアナ! ティアナ! いないのか……!?」


 この声は、クラウスだ。
 苛立った様子の彼は有間に気が付くと眉根を寄せる。


「アリマか。今日は休みなのか」

「うん。休み。っていうか、どうしたの。クラウスさん」

「ティアナに話がある。彼女はいるか?」

「うん。いますよ。今呼んで……あ」


 丁度、ティアナが扉から慌てた風情で飛び出してきた。
 彼女はクラウスを見るなり驚いた。

 だが、クラウスの目がすっと細まったことに、有間はあっと声を漏らす。


「何度呼べば気がつくんだ。いるならさっさと顔を出せ」

「ご、ごめん。ちょっと手が空かなかったの」


 素直に謝罪するティアナ。

 しかし有間は、クラウスの雰囲気にちょっとだけ距離を取る。これから始まるだろう小言をいち早く察知したのだ。

 すると、案の定。


「事情はロッテに聞いた。動物を四匹も買い込んだらしいな」

「うん、そうなの。念願の猛獣が手に入って……!」


 ティアナは嬉しげに顔を綻ばせた。

 それとは反対にクラウスの表情は依然険しい。


「まったく……お前はどうしてそう無計画なんだ。四匹も必要ないだろう。一匹にしろ」

「え? 一匹に?」

「四匹も動物を飼えば、これからどれだけ食費がかかると思う?」


 痛いところを突かれる。
 ティアナは言い淀んだ。


「でも、うちの儲けを足せば何とか出来るんじゃない? それに、うちは別に二日に一回の食事でも十分だし」

「後半は却下だ。お前は肉を付ける努力をしろ」

「肉は付いてますよー。人だもん、付いてなかったらほぼ骨と体液しか無いよ」


 ……頭をはたかれた。


「とにかく、ライオンだけで十分だろう。後は俺がどこかで処分してきてやる」

「ええ!? そんな! 処分なんて駄目よ! 食費のことはちょっと心配だけど、ちゃんと世話できるから!」


 まるで捨て犬を拾った子供のような科白だ。
 そう言えば、カトライアに来る前に立ち寄った村でそんなことを言っている女の子を見かけたっけ。あの子は無事に飼えたんだろうか。


「それに、四匹とも凄く可愛いのよ? クラウスも、実際に見たらそんなこと言えなくなるから……!」

「いや、それはティアナだけだって。クラウスさん、動物興味無さそうだし」

「ああ、いくら力説されても興味はない」

「うっ……」


 ティアナは救いを求めるように、有間を見やった。

 大体、クラウスの小言を止めるのは有間の仕事である。いつからそうなったかは分からないが、ティアナに助けを求められてクラウスを宥めるうちに、いつの間にかそうなってしまっていた。

 有間は苦笑し、クラウスの肩を叩いた。


「クラウスの旦那。その辺にしときましょうや」

「……何処の言葉だそれは」

「まま、動物関係ではティアナは馬耳東風なんだからさ。うちも頑張って稼ぐし、ここは一つ、見逃しておくんなせぇ。……もし駄目だったらうちが狩れば良いんだし」


 ティアナの害になるのなら、見逃すつもりはない。
 ぼそりと呟いた物騒な言葉は、クラウスにしか聞こえなかったようだ。
 クラウスは眉間に皺を寄せて有間を見下ろし、彼女の頭をバシンと叩いてティアナを呼んだ。


「先に言っておくが、俺に金を借りに来るなよ」

「つまりは許して下さるんですね。こいつぁありがてぇや」

「アリマ、お前はその言葉遣いをどうにかしろ」

「はい。戻しました。でもま、良かったね、ティアナ。金は借りれないけど」

「う、うん」


 それでも心の底では、金に困ったらクラウスに頼ろうと思っていたのか、ティアナは若干落胆していた。
 金の工面は、こっちでどうにかしてやろうか。
 深夜も営業させて貰えれば、良いかな。酔っ払いの相手もしなくちゃいけなくなっちゃうから、敬遠してたんだけど。
 そんなことを考えつつ、クラウスがティアナに手紙を差し出すのに気付いて彼女に近付く。

 それは、彼女の母親ベリンダからの手紙であった。いつもクラウス宛の手紙に混入されしまうので、彼が届けに来てくれるのだった。


「それにしても……相変わらず何が書いてあるのか、さっぱりわからないな。ああ、これはアリマの分だ。こっちも、さっぱりだが」

「どうもですー」


 有間への手紙もティアナと同様に混入される。
 手紙を開き、並んだヒノモトの文字を目で追った。ティアナとクラウスが何かを話しているようだが、聞かなかった。それよりも、手紙の内容である。

 クラウスが読めないのも、無理はない。彼はヒノモトの共通言語を知ってはいるが、邪眼一族の言語については全く知らないのだ。ヒノモト人ですら、知らぬ。それ故、その文字を何故ベリンダ達が知っているのかは分からない。


『アリマちゃんへ
 ちゃんと、ティアナと仲良く暮らしていますか? 故郷と違って暖かい気候の国だから、暑くはない? 邪眼一族の身体は平熱が並より随分と高いと聞いているので、身体を壊していないか心配です。ちょっとでも調子が悪いなーって思ったら、ティアナに言って、ちゃんと休んでね。お医者様にはかかれないけれど、薬を飲んでじっと休んでいればすぐに治るわ。
 そうそう、アリマちゃんの真っ白な髪って、ヒノモトでは尊ばれていたのよね? この間、町でヒノモトの人と会ったの。ヒノモトでは神様に一番近い色だって――――』


「アリマ!!」

「……っうわぁ!」


 つい手紙に夢中になっていた彼女は、クラウスに話しかけられて大きな声を上げてしまった。


「び、びっくりした……。何ですか、クラウスさん。危うく心臓が口から出てくるところだったじゃないですか」

「出るか。何か危ないことに首を突っ込んでいるのではないかと訊いたんだ。手紙に夢中になるのは構わないが、今は止めろ」

「は? どんな話の流れでそんな問いが出たんです?」


 全く話を聞いていなかった有間は眉根を寄せる。
 クラウスは深々と嘆息した。


「ティアナが好奇心で、魔術やら魔女やらについて知りたいと言い出したんだ」

「……ああ、それ」


 ってか、好奇心て。
 有間は後頭部を掻きながら、ティアナを見やった。


「……うーん……それ、知りたいのはうちなんですよ。ちょっと、気がかりなことがあったんで。駄目だから諦めてたのを、ティアナが気を遣ってくれたんじゃないですか?」

「気がかり?」

「いやね、ちょっと……きな臭い話を昔聞いたことがあるんで。それ、今になって気になり出したので調べたいなーと。や。駄目ならこっちで個人的に出来る限り調べるだけですから別に構わないんですが」


 勿論、八割程は口から出任せである。
 有間はさらりと本当のことのように話し、クラウスを見上げた。
 結構曖昧だが、クラウスに通じるだろうかと、少しだけ不安に思いながら彼を見上げる。

 クラウスは有間を探るように見つめ、やがて吐息を漏らした。


「……理由は分かった。だが、あれは軽い気持ちで知っていい情報じゃない。例え知っていたとしても、お前には教えられない」

「クラウス……」

「そうですか。じゃあ、仕方がありませんね。こっちで出来うる限り調べてみることにします。あ、ティアナやクラウスさん達には迷惑はかけませんのでご心配なさらずー」


 有間はへらりと笑って、手紙を読みたいからと小走りに元私室へと向かった。
 取り敢えず、マティアス達のことは誤魔化せたようだからそれで良しとしよう。

 しかし、何も手がかりの無い状態で術を解く方法を探すとは非常に難儀なものではある。
 ……ヒノモトの呪術の知識も交えて、こちらで調べてみようか。図書館に忍び込んで《力》を使えば、情報も得られる。……見つかれば確実に牢獄行きだが。

 そう考えながら階段を上がる有間の後ろで、二人がどんな顔をしていたかなんて、彼女は知る由(よし)も無い。



.

- 9 -


[*前] | [次#]

ページ:9/140

しおり