有間はベッドの中で目を覚ました。覚醒させたのは腹の鈍痛だ。
 それに呻いた後に両手足に感じた硬い感触に、睡魔に片足を捕まれたままの朧な意識が徐々にはっきりとしていく。
 身を起こそうにも、満足に腕を動かせなかった。

 何故か。
 女官服のままで、服が変な風に腕に絡まっているとか、そんなことではない。むしろスカートという点を除けば存外に動きやすい女官服でそうなっていたら凄い。


「……枷?」


 両の手首には、頑丈な鉄の枷があった。短い鎖で左右を繋いでいる為に、一定の長さしか広げられない。
 足をばたつかせてみるが、足も同様に拘束されていた。
 逃げないように、か。

 邪眼対策か、しっかりと両手にあの黒い手袋まではめられている。きっちり手枷の合わせ目に挟ませて簡単には外せないようになっていた。


「おいおい……」


 げんなりとして、有間は行動の制限された両手をついて身を起こした。腹が痛んだが、おちおち寝ていられる状況ではない。


「牢屋に入れない代わりにきっちりかっちり拘束すんのね、あのおっさん」


 脱出する手立て――――無いことも無い。
 鶯が、まだ合流出来ていないのだ。
 あの場で敢えて傍観を決め込んで、今マティアスやティアナ達を助けてくれていたとすればとても有り難い話だが、有間は彼女を信じてはいない。
 裏切っただろうと、確信に近い可能性が胸を占めた。

 何とか自力で拘束具を外せないかと、ヘッドボードに叩きつけてみたが、何度やってもただヘッドボードに傷が付くだけ。繰り返し叩いた所為で手首に痣が出来てしまった。


「ティアナ達、無事かな……」


 ただ牢屋に閉じ込められているだけなら、クラウスが動いて助けてくれるかもしれない。
 こんな状態では、有間まで助けるのは難しいが、三人だけが助かればどうとでもなる。

 有間が助かったところで、多分ディルクの前では無力な娘に成り下がるだろうから、助かっても無駄だ。
 両手で額を押さえて有間は長々と吐息を漏らした。……ああ、この息と一緒にこの恐怖心も消えてしまえば良いのに。
 まだ怖い。
 あの、ディルクの中にいる存在が。


「……竜、だったよね。確実に」


 こちらのお伽噺に出てくるような、二本足で立つ翼を持った巨大な竜。
 あれは強大過ぎる。人間がどうこう出来るレベルの存在ではない。一匹の蟻が熊に立ち向かうようなものだ。確実に返り討ちにされて、命を落とす。

 けれど、あれをどうにかしなければベルントの目論見を阻止出来ない訳で。
 そうなると、やっぱり有間が足手まといになる訳で。
 ……ほら、ここで留守番している方が良いじゃないか。

 ぼふっとベッドに倒れ込み、シーツに顔を埋める。


「……死んだダニの臭いがする」


 いや、そんなことはどうでも良い。



‡‡‡




 気まぐれに拘束具を外そうと試みては、痣が増えていく。ついには血まで滲んでしまった。
 ひりひりとした痛みに手首をさすりたくなるが、手枷が邪魔だ。


「どうせなら、牢屋に閉じ込めて欲しかったよ……」


 この妙な扱いも、実母イベリスの影響だろう。そう考えると、母親が少しだけ恨めしい。
 ベッドを降りて有間は歩幅の狭いながらに窓に近付き、窓を開けた。バルコニーに出て下を覗き込むと、即死必死な高度であることを知った。だから、窓が簡単に開いた訳だ。


「このまま身投げしみるか?」

「止めろ、俺が狭間に殺される」

「うおっ!?」


 不意に降ってきた声に有間は驚いてバランスを崩し、その場に座り込む。

 白い壁に施された細工の微妙な出っ張りに器用に足を引っかけた鯨が、呆れた風情で有間を見下ろしていた。


「……状況は、悪いようだな」

「まあね」


 鯨はバルコニーに着地し、有間の両手足に目を細めた。黒い瞳に怒りが宿る。
 枷を外そうと言うのか、手枷へと手を伸ばしかけて、はっと部屋の中に視線をやる。有間の頭を軽く撫でてまた同じ場所に上って中に入るように促す。
 それに従って苦戦しながらも立ち上がり、よたよたと部屋の中に戻ると、丁度錠が外されたような音が聞こえた。数回似たようなそれが聞こえるところを見ると、相当厳重なようだ。有間が邪眼一族だからか。

 扉が開けられるのを待ちきれなかったのか、一瞬開いたまさにその時乱暴に開かれて隻眼の青年が飛び込んできた。


「アリマ!!」

「え」


 がしっと双肩を掴まれ、抱き寄せられる。
 状況にそぐわぬが、全身が熱くなって鼓動が早くなるのに動揺した。
 慌てて押し退けると、彼は――――アルフレートは小さく謝罪した。


「何でアルフレートが? ティアナ達と一緒に牢屋に連れて行かれたんじゃ……」

「オレだけ、先程釈放されたんだ」


 ……ディルクの指示か。
 あの短い時間の中でも、彼が兄に心酔していることはよく分かった。
 ディルクがいる限りはアルフレートに危害が加わることも無いだろう。

 安堵に吐息を漏らすと、また部屋に誰かが入ってきた。

 ぞわり。
 全身が粟立った。
 反射的にアルフレートに抱きついた。そうしなければ、また恐慌状態に陥りそうだった。

 アルフレートも入ってきた人物が分かっているらしく、有間の視界を遮るように抱き込んで肩越しに振り返った。今早鐘を打っているのは、恐怖の所為だ。さっきとは明らかに類が違っていた。


「……兄さん」


 不機嫌そうな声に、有間の口から小さく悲鳴が漏れる。



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