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がくがくと身体が震え出す。
それは邪眼一族としての本能的な恐怖だった。獣が火の気を恐れる感覚に近い。
今目の前にいるアルフレートそっくりの少年は眼帯の役割を果たしていた金の飾りを外し、前髪を退け、暗い眼窩(がんか)を露わにした。虫の複眼のようにも見える黒一色のその穴には、膜のような円形の魔法陣が浮かび上がっている。
あれは、とてもヤバいものだ。
……いや、ディルク自身が、どんな凶器よりも恐ろしい。
常人には見えぬモノに敏感な一族だからこそ、ディルクの身体の中に潜む邪悪を察知し、怯えた。
それを、有間を組み敷くベルントがせせら笑う。
「お前には分かるようだな。……やはり、お前はイベリスの忘れ形見か」
くつくつと、不吉な笑声。
だが有間はそれどころではなかった。逃げたかった。この空間から逃げたかった。頭が、全身が、そう望んでいた。
「お前、その右目は……!?」
「餌にしたんだよ、兄さん。新しい力を手に入れるためにね」
「新しい、力……?」
浮き彫りになる、強大な、闇。生き物のように息づき、業火のような重苦しいオーラをまとう巨躯。
その形をはっきりと捉えた瞬間、有間は甲高い絶叫を上げた。
ぎょっとして有間に視線が集まるが、有間の紫の双眸は見開き、ディルクを凝視していた。
見えた。
見えてしまった。
見てはいけないモノを。
絶対的な破壊衝動の塊を。
――――それは畏怖。
人間が持ってはならない、厖大(ぼうだい)な力に対する畏敬の念。
あれは……あれは人間が振るって良い力ではない!
有間はもがいた。本能がそうさせた。そうしなければ、死ぬと脳が直感した。
しかしベルントは面白がって、軽々と抑え込む。恐慌状態に陥った娘など、容易く組み伏せる。
「アリマ! どうしたの、アリマ!!」
ティアナが声を粗げるが、彼女か反応する様子は全く見られない。
「イベリスの娘には分かったようだな。この力の正体が。邪眼一族の本能が察したか」
ごりっと床に顔を押しつけられて、歯が頬の内側の肉を傷つける。地の味が広がった。
有間が恐怖する程の力を持った弟に、アルフレートは戦慄してディルクへと手を伸ばした。が、ベルントの鋭い一喝に手を降ろす。
ベルントは有間の両腕を片手でまとめ、背後から腕を回して有間の首を締め上げた。そうしながら数歩ディルクに近寄る。マティアス達が少しでも反抗する意思を見せると首を圧迫された。
「この方はカトライア、ファザーン、ルナールの三国を統一し作られる新帝国の、初代皇帝だ」
「なっ……!? 三国を統一? 新帝国の皇帝だと……!?」
愕然とするアルフレートの後ろで、マティアスが目を細めた。有間がベルントに拘束されている以上、何も出来ない為に剣の切っ先は降ろされていた。
「なるほどな。御しやすいディルクを皇帝に祭り上げ、その背後で権力を握り三国を手中に収める……それがお前の目的なのか。ベルント」
ベルントは鼻で一笑した後、兵士達に視線をやった。
「何をぐずぐずしている。二人とその女を捕らえろ」
「で、ですが……!」
「……死にたいのか?」
渋った兵士は言葉を詰まらせた。
冷笑に威圧され、彼らはマティアス達に近付いた。
抵抗しようにも有間が人質にされている状態では何も出来ない。
「ベルント卿、その娘も?」
「いや、この娘は私が連れていく。仮にも今は亡きルナール皇帝の姪の忘れ形見、粗末な牢屋は似合わんだろう」
三人が青ざめて有間を呼ぶ。
だが、有間は未だディルクへの本能的な恐怖に囚われていた。身体を震わせて、何も出来ないでいる。
アルフレートが何とか兵士を振り切って有間へと手を伸ばすが、ベルントに冷たく弾かれてしまった。
「っく、アリマ、しっかりしろ!!」
兵士達に拘束されて引き立てられていくマティアスとアルフレートを、ティアナが叫ぶように呼ぶ。その合間に、有間にも呼びかけた。
「お前も、大人しくしろ!」
「っ……!!」
ティアナも、後ろ手に縄を掛けられた。
その様に、ようやっと――――ようやっと有間がティアナに焦点を合わせる。
「……ティアナ……、っ、ティアナ!?」
兵士に拘束されたティアナに有間は青ざめてベルントの腕から逃れようと遮二無二もがいた。
「この……っ、ティアナに触るな!!」
「寝ていろ」
「な――――うぐっ!?」
水月に一発。
有間は身体を跳ねさせ、顔を歪めた。憎らしげにベルントを睨めつけるも、手を離せばその場に倒れ込んで意識を失う。
「邪眼一族も、存外脆いものだな。姿も見せていないというのに、あのように恐れるとは。さながら山火事の中逃げ回る獣か」
邪魔だと言わんばかりに有間の身体を足で退かし、ベルントはティアナの前に立った。
そしてティアナの胸に下がった笛を引き千切り、忌むような眼差しで眺める。
「やはりあの女が持っていた物と同じ……。継承者がいるという噂は本当だったか」
顎に手を添えて思案していた彼はやがて興が失せたとばかりに手を開いて笛を床に落とした。
――――踏み砕く。
ティアナは声にもならない悲鳴を上げた。
足を退ければ無惨な姿の、宝物。
「これで、我らの憂いもなくなった」
嘲笑を浮かべ、ベルントは有間をぞんざいに肩に担いだ。無遠慮にスカートの中に手を入れ、彼女の馬上筒を床に放り捨てる。
イベリスの忘れ形見だとして、有間を何かしらの目的に用いるとは、ティアナでも予想が付いた。
止めたい。
止めたいけれど、自分自身はとても弱い。
このまま有間がベルントの道具にされてしまうのを黙って見ているしかないのか。
ティアナは顔面蒼白で、下唇を噛み締めた。
ああ、何も出来ない。
悔しい……。
目頭が、じんと熱くなった。
―第八章・完―
●○●
平和一番も大詰めですね。
さあ、これから更に頑張らないと……!
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