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 謁見の間は重く冷たい空気に満ちていた。この夜陰、明かりは机の灯台に刺さった三本の蝋燭と扉の左右に備え付けられた灯台のみ。
 有間が無機質で恐ろしい部屋を守る扉を堂々と蹴り壊すと、カトライア兵が槍を構えた。

 彼女の後ろには二頭の獣と彼女と同じ女官服を着た金髪の娘、更にその後ろには昏倒せしめられた兵士達が倒れていた。
 カトライア兵に肉迫して水月に拳を叩きつけ絶入させると、有間の脇を二頭の獣――――狼とライオンが前に立った。

 そこへすかさず娘(ティアナ)が金の粉を獣達に振りかける。

 途端、鋭い光に目を刺された。
 有間は咄嗟に腕で庇ったが、有間達を取り押さえようと駆けつけた兵士達はその暇すら無かっただろう。光が収まると、まるでそれに気圧されたみたいに有間達から離れていた。

 そして、有間の目の前にいた獣達は、あの僅かな時間の間に、人間へと変じていた。


「これでようやく剣が振れるな」

「ティアナ、アリマ。俺たちの前には出るなよ」

「うん、わかった」

「えー」


 不満を口にすると、ティアナが小声で咎めてくる。
 折角馬上筒を太腿に隠したのに。女暗殺者みたいに、こう……ばさっとスカートの下から抜いて武器を相手に突きつけるとか、してみたかったのに。

 唇を尖らせる有間を余所に、王子二人の突然の登場に、兵士達がどよめく。
 カトライア兵としては取り押さえなければならないのだが、謁見の間には彼らだけではない。ファザーン兵達は畏れ多いと後込みした。


「ベルント卿は、反逆者だと言っていたじゃないか法王陛下を弑逆したのは、マティアス殿下だと……」

「……お前たち、忘れたのか。オレたち四人を船ごと沈めようと企んだ人間がいたことを」


 ファザーン兵らは、はっとした風情でアルフレートを見やった。


「このまま計画通りにことが進むと思うなよ。反逆者はお前だ……ベルント」


 二人は同時に剣を抜いた。
 そして、今までずっと楽しげな笑みで沈黙を保っていた男を睨むように強く見据えた。

 されど、彼は動かない。更に笑みを濃くしただけだ。

 ややあって、アルフレートが動いた。
 神速を以て間合いを詰めて斬りかかる。

 それでもベルントは何もする気配が見受けられない。

 咽元めがけて振り下ろされると、


――――ぴたり、と空中で静止した。



‡‡‡




 ……突如、部屋に満ちた冷気は無数の蛇のように有間の身体に絡みついた。
 不快な感覚に有間はマティアスの隣に並んで両手の手袋を外す。

 アルフレートは剣を中途半端な場所で止めたまま立ち竦んでいた。

 キィン……と鼓膜の更に奥でか細い音が聞こえた。
 それが警鐘と同じ類であると、有間は声を張り上げた。


「下がれ!!」


 アルフレートは反応が遅れた。

 冷気が徐々に気配を変えていく。次第に邪気のような、重く苦しい靄のようなモノを孕んでいく様に有間は舌打ちしてアルフレートに駆け寄った。腕を掴んで思い切り引く。
 有間よりも大柄な身体のアルフレートはしかし、簡単に後ろに下がって尻餅をついた。

 直後、有間の両手の邪眼が疼き出した。
 昨日の比ではない。右手も左手も異様に動いては何かを有間に訴えようとする。
 更に有間の霊的感覚がじりじりとした得体の知れない痺れを生じさせた。うなじから全身に広がるそれに、冷や汗が流れた。

 魔法のようなものを察知したのだと思う。
――――背後に。

 アルフレートが有間の名を叫んで腕を掴み引き寄せた。
 彼の胸に倒れ込んだ有間は背後を振り返り、目を丸くした。
 何も無いただの空間がぐにゃりと陽炎のように歪み、波紋を広げるように模様を浮かび上がらせた。

 咄嗟に邪眼を向けようとして、アルフレートが下げさせる。そして頭を掴んで胸に顔を押しつけた。

 強烈な光が部屋を満たしたのは、半瞬後。
 何かが割れたような音がしたのは自分だけだろうか。
 悪寒がするのは、自分だけだろうか。
 背後に何か恐ろしいモノが現れたような、そんな気がする。落ち着かない。逃げないといけない、本能がそう命令してくる。

 光が収まって振り返ったのは、怖い物見たさから来る衝動だった。

 だがその姿を見た時、口から呆けたような声が漏れた。


 少年、だ。


「駄目だよ……兄さん」


 兄さんが剣を向ける相手は、ベルントじゃないだろう?
 狂気を含んだ笑みを浮かべるその少年はアルフレートを諭すように穏やかに語りかけた。

 ……似てる。
 アルフレートを見上げる。
 驚愕に彩られた彼の顔を確認し、もう一度ベルントの前に現れた、円形の金の飾りと灰色の髪で顔を隠した少年を見た。

 やっぱり、似ている。


「ディル、ク……!?」


 ディルク?
 ディルクって、確か……第五王子の、アルフレートの同腹の弟ではなかったか。

 マティアスを見やればそれを裏付けるように、困惑に汗を流していた。


「な……何が、起きた……? この力は、一体――――」


 状況が把握出来ていない。
 分かっているのは、ディルク本人と、こうなることを予期していたベルントだけ、か。

 だが、有間はディルクに何か黒い影を見た。
 隠された右目から触手のような黒いモノがびたんびたんと肌を打って這い出ようとしては震えている。それが本体の一部であると、何とはなしに分かった。

 何だ、あれ……。


「久しぶりだね、マティアス。会えて嬉しいよ。この日をどれ程待ちわびただろう」


 ディルクは恍惚の表情で、怨嗟の声を発した。


「母様からエーベル兄さんを奪い、僕からアルフレート兄さんを奪ったお前の息の根を、この手で止める瞬間を――――」

「ディルク、お前はまだ、そんなことを……!」


 ディルクはもう一度アルフレートを見下ろし、そこでようやっと有間に気が付いたようだ。
 忌々しそうに舌打ちし、襟首を掴んでアルフレートから強引に有間を引き剥がした。その少年のものとは思えぬ剛力に抵抗も出来ずに床に倒れた。髪を隠していた頭巾がずれ白髪が露わになる。


「……! お前は、」


 ベルントが驚愕の声を漏らす。彼の口が動いた。
 声は聞こえないが、彼は確かに《イベリス》と言った。
 ヤバい、と頭巾で頭を隠してももう遅い。

 大股に歩み寄ったベルントに胸座を捕まれて顔を寄せられた。確信めいた笑みに背筋が凍る。頭巾を剥ぎ取られ、逃げようとすると片腕を捕らえられた。

 アルフレートが動こうとするも、ディルクが阻む。


「兄さん、どうしてわかってくれないんだ。甘い顔で兄さんを惑わすこの男は僕たちの父さま以上に狡猾で、卑怯で……残忍な悪魔なんだよ」

「……俺を憎むあまり、ベルントの計画に荷担したと言うのか。それとも我が一族を排除しようとする妾妃アンゲリカの差し金か」

「そんなの、どっちでもいいだろう? どうせお前は、ここで死ぬんだ。マティアス、お前に見せてあげるよ。僕の、新しい力を――――」


――――空気が変わった。
 有間がディルクを止めようと抵抗すると、ベルントに容易く両手を後ろ手に拘束され、顔を床に押しつけられた。

 恐らくは有間だけが関知出来るおぞましい気配に、心の底から震え上がった。



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