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 アルフレートに連れられて戻ってきた有間は、鶯に冷たい一瞥をくれて店内の方へと上がっていった。必要なら呼んでくれ、と一言言い残して。
 殺気立ってはいないものの、消沈した風情の彼女は笑みすら浮かべなかった。

 閉められた扉を心配そうに見つめるティアナは、問うような視線をアルフレートへと向けた。

 アルフレートは笑みこそ浮かべなかったものの「大丈夫だ」と断じた。


「私情は脇に置いておくとオレに誓ってくれた」

「……そう」


 ティアナは鶯をちらりと盗み見た。
 鶯は有間の態度は覚悟していたと言っていたが、殺されかけたことが余程ショックなのかすっかり意気消沈していた。それでも頑なに兄の遺志を継ぐと言い張る必死な姿は、何処か差し迫ったものを感じさせた。何か、剣呑なモノを背負っているかのように、ティアナには見えた。

 だからこそ、信用出来るとティアナは思う。けれども有間にそれを言うことは憚(はばか)られる。鶯の首を絞め上げていた時の有間の形相は尋常ではなかった。狩間が出てこなかったことが不思議なくらいに、彼女を強く拒絶していた。


「マティアス……。本当に行くの?」


 マティアスの心配と、有間と鶯への不安から、マティアスに確認する。

 ティアナの心情を察しているのだろうマティアスは目を細め、ティアナの肩に手を置いた。


「ベルントをこのまま野放しにすれば、ルナールへ行ったルシアたちの身にも危険が及ぶ。やつの目的もわからないまま、見過ごすわけにはいかない。……それに、アリマは連れて行かないことにした。代わりにウグイス殿に助力を頼む。ティアナは、アリマと共にここに残っていて欲しい」

「マティアス……」


 マティアスはそっと微笑んで肩を軽く叩くと彼女に食事を頼んだ。
 ティアナはそれを了承するが、どうしてか、胸がもやもやとして落ち着かなかった。残るのが有間だけだからだろうか。

 ティアナは頷き、薬屋へと出た。
 扉を開くと同時に微かな歌声が鼓膜を通過する。

 有間がカウンターに座って、歌を口ずさんでいるのだった。
 歌詞を注意深く拾ってみるとそれがローゼレット城で鯨に襲われた時に聞こえた歌だと知れた。
 そういえばこの歌、全てを聞いたことが無かった。あの時からほんの少しだけ、気になっていた。

 そのまま聞き入ろうかと固まっていると、歌が止む。


「……何やってんのさ、ティアナ」


 出るんだったらちゃんと出てきたら?
 呆れた風情で振り返る有間は、ふっと苦笑を浮かべた。

 その笑みに、疲労が窺えた。



‡‡‡




「……よし、完成! 後はハケで卵を塗って……」


 薬屋の隣、ロッテのパン屋の厨房を拝借して、ティアナが簡単なパンを作っている。普段から手伝っているだけあって、結構、様になっている。
 有間は行儀が悪いけれどカウンターに座り、先程薬屋で歌っていた、邪眼一族に伝わる雪月花を歌う。ティアナに乞われたからだ。

 こんな歌に興味を持ったティアナは物好きだと思いつつ、有間は歌う。

 しかし不意に扉が開かれて歌を止めた。


「あ」

「ああ、やはりお前の歌だったか」

「平凡な声ですんまっせーん」


 肩をすくめて間延びした声で言うと、頭をぽんと撫でられる。
 そのまま歌っていろと静かに言い残し、マティアスは厨房へと続く扉から中を覗き込んだ。


「ティアナ。何か手伝うことはあるか?」

「マティアス……! 出発前まで休むんじゃなかったの?」

「アルフレート達を待つ間に、十分休んだ。それに……あいつとずっと顔を合わせているのは息が詰まる」


 『あいつ』とは、クラウスのことだろう。
 どうも、二人は折り合いが悪いようだ。結構お互いのことが分かっているように、有間には思えるのだけれど。嫌いでも、好きな相手のように色んな部分を見出してしまうのかも知れない。


「ここで見ててもいいか?」

「うん、マティアスが平気なら、構わないけど……」


 ……。

 ……。

 ……。

 ……あ、これ二人の恋愛シーン行くわ確実に。
 有間はそうっとカウンターを降りて、バレないようにパン屋を出ようとした。

 扉に手をかけた瞬間マティアスがこちらに気が付いて呼び止めようとしたのを逃げ出した。
 薬屋をそのまま通過して、小劇場の方へと走る。薬屋には東雲鶯がいるから、戻りたくはなかった。

 マティアス達の迷惑になるからと努めて平常心を保とうとするけれど、やはり上手くいかない。
 せめて鶯が兄と全く似ていなければ良かったのに、双子でないことが不思議なくらい、この兄妹は似ていた。見ているだけでも地獄だ。

 小劇場に到着すると、そのままいつも店を出しているスペースに座り込んだ。両の足を投げ出して天を仰ぐ。溜息を一つ。
 けれどその後すぐに兵士を見かけて慌てて小劇場の中に逃げ込んだ。幸い、鍵をかけ忘れていたようだ。有り難く隠れさせてもらおう。


「やっぱ術を使っておくべきかな」


 有間は別に指名手配されている訳でもないのだが、全国民がザルディーネへ避難した今街中を彷徨くのは明らかに不審だ。
 それに、有間達邪眼一族が連合軍に入ったと知る駐屯兵やカトライア兵もこの中にはいる。
 下手に見つかってしまったら、マティアス達と潜入する時の障害になってしまうのは確実だった。

 有間は、マティアス達について行くつもりでいる。
 ティアナの話では鶯を連れて行くつもりだそうだが、鶯にカトライアを守ってもらうことに、有間は強い反感を抱いた。彼女に救われたカトライアなんて、居心地が悪そうだ。

 それに――――自分の知らないところでアルフレートと一緒にいると思うと、何故が腹立つ。

 ティアナも、出来れば連れて行きたかった。
 彼女は有間以上にマティアスの力になりたいと願っている。危険なのは承知だけれど、本心ではその中に彼女を連れて行くのは気が引けるけれど、彼女のことは自分が守れば良い。自分には、ヒノモトの術があるのだから。これはこの状況ではマティアス達の一番の強みだと思う。

 だが、だからと言って二人の同行を許可してもらえるかは不安なところだが……。


「……あ、あいつらが出て行った後にこっそりついて行けば良いんだ」


 よし、そうしよう。
 そう決めて、ぐっと両手の拳を握った直後だ。

 くんと袖を引っ張られた。

 えっと思って下を見下ろすと――――お洒落な鼠がこちらを見上げている。

 有間はつかの間沈黙し、


「えい」


 ぺちっと鼠を叩き潰した。……何となくだった。



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