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暇だ。
関羽は何もしなくて良いと言ってくれたが、ただ座っているだけなのは申し訳ないし、何もすることが出来ない。バイオリンを――――なんて、こんな手じゃ無理な話である。
趙雲も世平のところへ行ってしまったし、話し相手すらいない。
手持ち無沙汰な真由香は、鞄を開けて点字楽譜を取り出した。
曲名はカノン。母親から課題として出されたものだ。まだ音楽教師にも母親にも合格と言われていないので、最近はこの曲の練習ばかりだった。ままに、息抜きとして今までやってきた曲を弾いたこともあるけれど。今も鞄の中には別の点字楽譜も入れてある。
「暫くはバイオリン弾けないなぁ……」
はあと吐息を漏らすと、乱暴に扉が開かれた。
「姉貴ー!!」
「ひぃっ!!」
奇声が出たのは、驚いたのだから仕方がない。いきなり大音声を上げて入ってこられて、危うく心臓が出てくるところだった。
「あ、わ、悪ぃ」
「い、いいえ……あの、こちらこそすいませんでした」
ばくばくと早鐘を打つ胸を押さえ、深呼吸を一つ。驚いた拍子に取り落としてしまった点字楽譜を拾い集めようと手を伸ばした。左手だけでぺたぺたと床を触って一枚一枚拾っていくと、誰かが側に屈んだようだ。
「このぶつぶつした紙拾えば良いのか?」
この声……さっきの大声の人だ。
真由香は頷いた。
「はい。そうです。全部六枚あります」
「そっちは何枚持ってんの?」
「えと……三枚です」
「んじゃ、あと三枚か。ごめんな。目見えねぇのに脅かしちまって」
声の主は気遣うような穏やかな声音で、さっきよりも小さな声で話しかけてくる。
真由香は苦笑を浮かべて首を左右に振った。
「いえ。私も悪いですから。それよりも、姉貴ってことは、関羽さんの弟さんですか?」
「違う違う。オレと姉貴は血繋がってねーよ。オレが姉貴って呼んでるだけだし。……と、これで最後だな」
「そうなんですか。あ、ありがとうございます。助かりました」
しっかりと握らされた点字楽譜を一枚一枚確認しながら順番を正すと、声の主がまた話しかけてきた。
「で、趙雲が連れてきたって女の子ってお前?」
「はい。真由香です」
「オレは張飛。よろしくな」
「張飛さん、ですね。よろしくお願いします」
正面を向いたまま頭を下げた。
すると、張飛を呼ぶ声が遠くに聞こえる。確か、趙雲に連れて来てもらった時に聞いた声だ。
張飛が真由香から離れ、その声に応えを返した。
暫くして、扉が開く音。
「……あ。張飛。その子が?」
これは、違う。静かな声だ。
「そうそう。真由香だってさ」
「へえ。……本当に目が見えないんだ」
「は、初めまして。真由香です」
振り返って頭を下げた。
二人組だったらしい彼らはすぐにそれぞれ蘇双、関定と名乗った。穏やかな方が蘇双、家に入ってくる前に張飛を呼んだ声が関定だ。
声の印象から察するに、この三人は多分真由香と年齢が近そうだ。話し相手になってもらいたいと思うが、こんな状況でそんな我が儘は言えない。
けれど、
「……その紙、何?」
蘇双に問いかけられた時には少々驚いた。
真由香は少しだけ反応が遅れてしまったが、点字楽譜のことを詳しく説明する。彼らが分からないと思われる単語はなるべく控えた。
手渡すと、蘇双だけでなく関定も興味を持ったようで「ぶつぶつばっか」と珍しそうに呟いている。
「楽器って、その変な形の?」
「ええ。そうです。……趙雲さんには瓢箪って言われましたけど」
ケースを開けて取り出して見せれば、二胡と似たような弾き方かと問われた。二胡、というのが真由香の知る弦楽器であるならば、似ている筈だ。こくりと頷いた。物珍しそうなので、音色を聞かせたら喜んでくれるだろうかと思ったけれど、右手の痛みに不可能であることを知らしめられる。
「じゃあ、治ったら聞かせてよ」
「え?」
思わぬ言葉であった。
首を傾け、蘇双のいる方向(多分)に顔を向ける。……そちらは違うと、張飛に言われてしまった。向きまで正してもらって、ちょっと恥ずかしかった。
改めて張飛に是正された方向に顔を向けて、
「でもそうなると、こちらにご迷惑がかかるんじゃ……」
「さすがに怪我の面倒までは見ると思うけど。さすがにそこまで非道じゃないし」
そう言うと、関定が感心したような声を発した。
「丸くなったよなぁ、お前」
「五月蠅い」
「いてっ」
蘇双が関定を叩いたようだ。
「とにかく、今日はゆっくり休んどきなよ」
「は、はい」
あれ、思ったより皆さん優しい……?
余所者に厳しいという印象は間違いだったんだろうか。
関羽を捜して家の奥へ行く張飛の騒々しい足音と、点字楽譜について詳しく聞いてくる蘇双、真由香の年齢や好みなどを聞いてくる関定に、真由香は戸惑いを感じながらきちんとした答えを返した。
彼らは、とても優しかった。真由香を気遣ってくれるが、過剰と言う程でもなく、丁度良い。盲目だからと言って何も出来ないと決めつけることが無いのだ。
こんな人達の側で生活を送れたら、良いのに。
……どうなっちゃうんだろうなぁ、私。
会話の合間にふと、そんなことを思った。
心地良いけれど、やはり優しい彼らの迷惑になることは避けたかった。
早いところ、身の振り方を自分自身決めておかないとな――――……。
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