上を見れば泣きそうな泥まみれの少年と、嫌みな程に清々しい青空。
 下を見れば頭から血を流して気絶している少女と、底の見えない真っ黒な闇。

 関定は全身の鈍痛に舌を打った。
 真由香と同様、頭を何かで打ったらしく、片目に血が流れ込んできた。砂まで入ってしまい、思わず片目を閉じた。片目での視界は心許ない。盲目の彼女が気絶したのは、ある意味では不幸中の幸いだったかもしれない。

 辛うじて左腕とその手に巻き付いて容赦なく締め上げる木の根が、皮肉にも彼らの命綱だ。このままでいれば、手の先に血が流れなくなってしまうだろう。壊死――――は、さすがに無いだろうが、何かの弾みで骨が折れてしまうことも十分有り得る。
 多分、真由香と関定の体重でじきに引き千切れてしまう。
 そうなれば、二人揃って滑落。最悪、横死だ。

 元々空洞だったのが何らかの理由で土で蓋をされ、そのまま時間だけが経過し溶け込んでしまったのだと思われるこの穴、ややもすればこの周囲にも似たような場所があるかもしれない。このまま蔓乱を残しては狼狽えた状態で、何処かで落ちてしまうかもしれない。
 それに、真由香の状態を見るに、誰かに助けを求めるべきだ。この状況では、真由香だけですら上に上げられない。誰かを呼ぶのは危険だが……仕方ない。真由香を助ける為だ。

 関定はそこで蔓乱に向かって声を上げた。


「蔓乱! 誰か呼んでこい!!」

「え? で、でも……!」

「このままじゃあオレ達もじきに落ちちまう!! 良いな! この辺にもまだ穴があるかもしれねえけど、身体に鞭打たせて悪いが、なるべく急いでくれ!!」

「……う、うん!」


 関定の剣幕に押され、蔓乱はぎこちなく数回頷くと、大慌てで駆け出した。この周辺だけは慎重に行けと怒鳴ったが、聞こえていなかったもしれない。
 関定は吐息を漏らし、右腕に抱いた真由香を抱え直した。その際身体が揺れた所為で木の根に捕らえられた腕がまた強く絞まって痛みを訴えたが、それよりも真由香の安全だ。
 力の無い真由香の身体は、軽い方だろうが今の状態では関定の負担だった。せめて彼女を上に上げられれば楽になるのだが……残念ながら、助けられたばかりで疲弊していた蔓乱では無理だったろう。

 関定は真由香の腰をしっかりと抱き締め、小さく呻いた。


「早くしてくれよ……蔓乱……っ」



‡‡‡




 関定は空を見上げ、奥歯を噛み締めた。
――――もうどれくらいの時が経ったのだろう。
 いつもであれば気にならない時間が、こんなにも気になってしまう程切羽詰まってしまうとは、森に入った当初は予想だにしなかった。

 ぶつぶつと微かな音を立てる木の根を見つめながら、関定は畜生と毒づく。
 真由香を抱き寄せる腕もそろそろ限界に近い。
 変色して気味の悪い腕は、冷え切った感覚と圧迫される激痛を訴える。

 助けられた時、この左腕は無事でいられるだろうか。手遅れで切断……何てことにはなって欲しくはない。
――――と、根の埋まった部分のすぐ上から大量の土の塊が落下してくる。
 それはまるで落石の予兆のように……。

 刹那、木の根がぶちぶちと音を立てて更に身を乗り出したのである。
 がくんと落ちた衝撃でより強く腕を絞め付けられ――――。


 ボギッ。


「――――ッ!!」


――――折れた。
 悲鳴を上げようとした口を咄嗟に閉じて声を押し殺す。真由香を起こす訳にはいかなかった。
 ほんの少しだけずれてしまった左腕を見、関定は冷や汗を流した。先程までとは比べものにならない激痛を伴う恐ろしい光景に、口角がひきつる。


「マ、ジかよ……!」


 早く助けを呼んできてくれ蔓乱、これ見てるとマジで泣きたくなってくるわ……。
 滲んだ視界の中、関定は胸の中で蔓乱に呼びかけた。

 と、真由香が微かに身動いで心臓が跳ね上がる。
 ぎょっと見下ろせば、その瞼が震えてゆっくりと押し上げられる。
 ああ、と心の中で頭を抱えた。


「う……っ、……あ、れ……私、」

「……あー……、起きちまったか」


 嘆息混じりの言葉に真由香は正面を向いたまま緩く瞬きする。


「関定さん? あれ、私、もしかして関定さんにだっこされてますよね」

「状況的にやむを得ずな。取り敢えず動くなよ。落ちるから」

「落ちる? ――――あっ」


 そこで、彼女は気を失う前のことを思い出したのだろう。色を失い、すぐに関定に謝罪してきた。
 しかし関定は謝罪が欲しい訳でなく、大人しくして欲しいのだ。真由香が微かにでも身動げば折れた左腕が絶叫を上げる。真由香が盲目であることから、不安を与えないように左腕については隠し通すつもりだが、あまり動かれると最悪バレてしまいそうだ。

 真由香を言い聞かせ、関定は取り敢えず現状を簡単に教えてやった。


「――――んで、今は救援待ち。この状況じゃオレでも蔓乱でも引き上げるのは難しそうだしな。真由香だけでも上げられたら良かったんだけど、無理っぽくてごめん」

「い、いえ……こちらこそ本当にすみません。不注意でした」


 真由香は動かぬよう、関定の服を掴んで表情を強ばらせている。
 頭から流れる血はもう止まっているだろうが、傷は痛む筈だ。
 一刻も早く手当を受けさせてやりたい。

 焦燥感に煽られ、苛立ちが増していく。
 舌打ちしようとして、真由香を見下ろしては止める。

 時間が長いように感じられてならない。
 こうしている間にも、真由香も不安が増大していくかもしれない。
 こうしている間にも、木の根が徐々に千切れていっているかもしれない。
 早くしろと、ムカつくぐらいに爽やかな空に向けて一喝してやりたかった。

 だが、それから暫くすると、蔓乱の声が聞こえてくるのだ。
 関定と真由香を呼ぶそれには他の――――張飛や趙雲の声が混じっている。

 関定はそれに、心から安堵する。


「真由香……もう少し頑張れるか?」

「私は大丈夫です。けど、関定さんは?」

「オレももう少しは保ちそう」


 いいや、保たなければいけない。
 顔を出した友人達に、関定は真由香を抱き締める腕の力を少しだけ強めた。



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