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また、問題発生した。
今度は蔓乱が行方不明になってしまったのだ。
真由香からそのことを聞いた関定はその場に膝をつき、重苦しい溜息をこぼした。
どうしてこうも、仲直りしたがらないのか。
素直になれない子供の仲裁は、果たしてここまで骨が折れることだっただろうか。
……いや、いや。きっと、そこに幼い思慕が絡み込んでいるから厄介なのだ。そうでなければもっと早くにこの喧嘩は収まっていた筈だ。
果ての無い責め苦を受けているような気がして、関定は滲んだ視界を腕で拭った。
「関羽の話によると、朝、森に行っていたみたいなんですけど……」
「ああ、うん。森ね。……また森かよ!」
「蔓乱君もお気に入りなんですかね」
「いや、さすがに違うだろ。昨日の今日で、約束すっぽかしてお気に入りの場所に行けるか?」
立ち上がって頭を切り替えた関定の言葉に、真由香は遅れること暫し、緩やかに首を左右に振った。
関定も、あの蔓乱がそんな馬鹿な真似はしないと分かっている。気まずくても昨日珠梨と面を合わせられたのだし、真由香が必死に仲直りさせようと奔走しているのも分かっているだろうから今日も来る筈だった。
何かしらの理由があるのだろうとは、関定の推測だ。
「取り敢えず、森を捜してみるか」
「私も行きます。珠梨ちゃんに一緒に戻ってくるって約束しましたし」
「あーやっぱそーなんだなー」
「あれ、何か声が投げやり!?」
「声だけじゃなくて全身で投げやりになってる」
「私結構役に」
「いや立たないから」
はっきり、ずばりと切り捨てれば真由香はがくんと肩を落とした。
昨日勝手に何処かに行ったばかりで、どの口が役に立つと言うのか。
呆れて片眉を上げた関定は、苦笑を浮かべて真由香の手を握った。
「ま、説得はオレよりは巧そうだしな」
そん時は頼むわ。
腕を引いて歩き出せば、真由香が嬉しそうに返事をする。
一見寛容な処置をした風にも思えるが、関定は胸中にあった不安要素を潰しただけだった。
真由香という少女は、とかく他人の為に動きたがる。
ここで関定が強く拒み、珠梨を任せたとしよう。
彼女は珠梨との約束の為に、関定の後をこっそりとついて来ようとするかもしれない。仲の良い人の為なら何でもしたがる彼女のことだから、可能性が高い。
ならばいっそ側に置いた方が余計な心労が増えなくて良いのだった。まあ、また別の心労が増えてしまうことは免れないけれども。
昨日も入った森へ真由香を気遣いながら入ると、微かに誰かの声が聞こえる。
それに耳を澄ませようとすると、真由香がぼそりと呟いた。
「……助けて……」
「助けて?」
「そう言ってるような気がします。蔓乱君でしょうか」
関定は暫し思案し、頷いた。
「そうかもしれねえな。いや、そうでなくても猫族の誰かの声なら見過ごせねえんだけど。行くか」
「はいっ」
急いだ方が良いが、真由香の足に合わせ、慎重に足場の悪い森の中を歩く。趙雲についてきてもらえば良かったか、なんて考えが浮かんだが、その頃には声もはっきり聞こえていて、村に戻る程の余裕も無かった。
その声が蔓乱のもので、涙ぐんだ上に先程よりも弱々しくなっているように聞こえたからだ。
関定は真由香に断って速度を上げた。
茂みを掻き分けながら進んでいけば赤い花が群生する開けた場所に出た。
だが、その先は段差になっているようで、木々の天辺が連なって、まるで深緑の絨毯のように見えた。
段差の手前に一部陥没している部分があった。真新しく、縁からぼろぼろと泥が落ちている。
非常に嫌な予感しかしないが、蔓乱の声はその下から聞こえてきた。
真由香と共にその崩落して生まれた穴に近付いて覗き込めば、手が届くぎりぎりの場所に蔓乱がいた。抉られた土から出た太い木の根に片手で捕まっているが、長い時間そうしていたのだろう、疲労で顔は青ざめていた。
もう片方の腕は折れているのか――――いや、花だ。赤い小さな花束をしっかりと握り締めている。木の根以上に離すまいとしていた。
それだけで、彼が何の為に森に入ったのか、関定は察した。
「あの馬鹿……!」
「あ、あの、関定さん……」
「真由香、穴に蔓乱が落ちてる。オレが今から蔓乱を引き上げるから、お前はオレの服を掴んで、オレが落ちないように引っ張っててくれ」
「わ、分かりました」
帯の背中辺りを真由香に両手でしっかりと掴ませ、関定は身を乗り出して蔓乱に手を伸ばす。
「蔓乱! 手出せ! 頑張って伸ばせば、花落とさずに手首掴んで引き上げられるから!」
花を落とせと言ったとて彼は従わない。ならばと、関定は必死に身体を伸ばして手首を掴もうと試みる。
蔓乱は歯を食い縛って、赤い花を握った手を関定に向けて伸ばした。所々擦り傷が目立つ。
後少し、後少し――――取れた!
関定はよし、と小さく呟いて思い切り引き上げた。
蔓乱の身体が地面の壁に擦れて呻くが、そこまでは構ってやれない。
蔓乱を緑の上にまで引きずり出してほっと息をつけば、真由香が関定を離して手探りで蔓乱の身体を抱き寄せた。彼女も安堵に顔が弛んでいる。
「……ったく、このクソガキは」
赤い花を大事そうに持つ蔓乱はばつが悪そうに俯いていた。
その花束は、珠梨に渡すつもりだったのだ。
謝るきっかけの一つとして、彼なりに真剣に考えた策だったんだろう。
そう思うと、とてもキツく叱りつける気は起きなくて、関定は「戻るぞ」と何も追求せずに立ち上がった。
真由香に支えられながら立ち上がると、蔓乱はこくりと頷いて関定に謝罪する。
関定はその小さな頭を軽くはたいてやった。
真由香も微笑んで、肩を撫でてやる。
蔓乱が一人で歩けるからと、疲れ切った顔で言うのは、男としての矜持だろう。
心配だが、それでも歩けない程ではないようだからと関定は彼の好きにさせることとした。
真由香も、彼の意思を尊重して蔓乱から離れる。一歩後ろに後退した。
――――それがいけなかった。
ぼこり、と。
真由香の片足が下に沈んだ瞬間、めきめきと軋む嫌な音が聞こえた。
穴がまた更に大きく陥没しだしたのだ!
三人の体重に耐えきれなかったのか、はたまた脆い部分に真由香が偶然立ってしまったのか。
真由香は駆け寄ろうとした蔓乱を盲目とは思えない正確さで突き飛ばし、一人土と共に下へ落ちた。
その瞬間、関定は我知らず動き出す。
無意識に伸ばされた真由香の腕を掴み、引き上げようと足に力を込める。
が、その関定の足下も亀裂が走って崩れてしまう。
彼がその一瞬に見たのは、真由香の髪と混じり合った穴の闇であった。
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