「関定さん、いますか?」

「あー……オレはいるけど珠梨は見当たんねえなー」


 関定は手を繋いで歩く彼女を振り返り、間延びした声を発した。

 珠梨が気に入っていた森の奥まった泉の畔に二人は来ていた。
 真由香の目が見えないのが惜しい。ここは木漏れ日に照らされ、泉が煌めく様がととても美しい。また、木漏れ日は泉の縁を彩るように咲く赤く小さな花も照らす。長閑な風景のささやかな愛らしさとささやかな煌めきを備えた場所だ。この景色を気に入って、珠梨はここに入り浸っていることも屡々(しばしば)あるのだった。

 ここにもいないとなれば、珠梨の行きそうな場所の見当は、関定にはつけられなかった。
 さすがに森を抜けてはいないだろう。曹操との約定もあるし、劉備の中にいた金眼がもたらした災いも、未だ人間達の記憶には色濃く残っている。もしも遠い場所まで行って運悪く人間に見つかったら一大事だ。最悪その場で殺されることだって有り得る。

 暗鬱な気分で、関定は真由香を呼んだ。


「真由香はここにいてくれ。絶対に動くなよ、一人で捜そうとするなよ」

「何処かに行くんですか?」

「ここにいないとなると、何処に行ったか分かんねぇから、ちょっとその辺を走って捜してくるわ。時間かける訳にも行かねぇし、だから真由香はここで待機」

「分かりました。じゃあ、大人しく待ってます」

「おう」


 正直に言おう。
 真由香の『大人しく』という言葉に関定は信憑性を全く感じなかった。
 不安は捨てきれず、一瞬どうしようかと、これで判断間違ってないよなと己に対し疑心暗鬼になったが、それでもそう決めたのだからと、不安を信用に無理矢理に変えて駆け出した。

 自分が早く戻れば良いのだ。
 自慢の足なら、すぐに真由香のもとに戻れる。
 彼女が何か行動を起こす前に戻れば何ら問題は無い。

 そう踏んでいたのだが。


 彼女は人の予想――――或いは願望――――をことごとく越えていくのである。



‡‡‡




 短時間で戻ってきた時、真由香の姿は無かった。
 この《短時間》で、姿を消した。


「真由香―――!!」


 何処かに縛り付けとかないと駄目なのかあの子は!!
 怒声とも悲鳴ともつかない、情けない声を張り上げた関定は脱力して肩をがっくりと落とした。
 趙雲に預けて、オレだけで来れば良かったと後悔しても、もう遅い。後悔は先には立たないのだ。

 捜す人物がもう一人増えたことにどっと疲れを感じた。

 真由香の名前を呼びながら周辺を歩こうと足を踏み出した直後、


「あ、関定さーん! 珠梨ちゃん見つけました! こっちです!」

「……」


 その達成感の滲み出た喜色一杯の声に、更に疲れが押し寄せたのは言うまでも無い。
 関定は大仰に溜息をつくと、声のした方に足先を向けた。
 小走りに向かえば、茂みの中から真由香の手が突き出ていて、ぶんぶんと大きく振られている。その掌が赤く濡れているのに、頭を抱えたくなった。

 だから一人で動くなって言ったのに……。


「真由香。お前な、あそこ離れるなって言っただろ」

「だって珠梨ちゃんの声が聞こえたから、つい」

「それでお前が怪我して、オレが皆から殺されるんだって分かってるか? その手、もうオレ処刑決定なんだって、分かってるか? ……もしかしてわざとか!」

「え――――この村にはそんな物騒な法律があるんですか!?」

「……」


 疲れる。
 無いことは今までの生活で分かっているだろうに、本気で驚いている辺り、面倒臭い。
 それも真由香の良さなのだが、詐欺に簡単に引っかかってしまいそうな気がして――――否、確実に引っかかるだろうから、非常に心配だ。彼女に、警戒という言葉の意味をよくよく教え込んで欲しいものである。

 彼女らに近付き、膝を抱えて泣きじゃくる珠梨の姿を認めた関定は、天に向かって突き出したままの真由香の手を取って、傷の深さを確認する。掌を枝か葉で縦に切ったようだ。幸い、深いものではないが場所が場所だけに、血が広がってしまったらしい。あまり握り締めたりするとより深く裂けてしまうかも知れない。

 なるべく拳を作らないようにと言い含め、関定は珠梨に声をかけた。


「落ち着いたか?」


 珠梨は、ずびっと鼻を啜った後に小さく頷く。


「……んじゃ、今日はこのまま家に帰って、明日改めて話し合うか」

「え、良いんですか? 今日中に解決した方が……」

「またこうなるに決まってるって。一回頭冷やした方が良いだろ。こいつらが興奮してる状態で本心言えるとは思えねぇし」


 珠梨の頭を軽く叩くように撫でながら、関定は真由香を諭すように彼女の問いに答えた。

 真由香はそれにはすんなりと納得した。先程渋ったのだし、食い下がるかと思ったのだが、「関定さんの言う通りですね」と正面に瞳を向けながら笑った。
 立ち上がって尻を軽く叩く。


「じゃあ、今日はこのまま帰ろっか。また明日、蔓乱君と話をしよう」

「……うん」

「ほら、真由香。手」

「あ、ありがとうございます」


 この場所へ来た時と同様、真由香と手を繋ぎ、関定が先行する。
 しゃくりあげる珠梨がついてきているのを確認し、関定は細く吐息を漏らすのだった。

 その時彼の脳裏をよぎったのは、かつての懇(ねんご)ろな人間の娘である。



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