ぬああぁぁぁ!
 誰かの悲鳴が聞こえた。

 次いで、重いものが水に落ちる音と、冷たい水飛沫が顔や肌にかかる。

 真由香はきょとんとして周囲を見渡した。盲目なのだから意味の無い行為ではあるが、ついしてしまった。
 隣にいた趙雲が気を利かせて顔を両手で挟み、「張飛が蘇双に蹴られて川に落ちたんだ」とそちらに向かせてくれた。


「大丈夫?」


 声を張り上げて張飛に問いかけると、


「つめてー!!」


 悲鳴地味た声が返ってきた。


「蘇双! 何すんだよお前ー!!」

「何となく」

「何となくで人を落とすな!!」

「分かった。じゃあ川の水で冷やせば少しはその暑苦しいのが直るかと思って」

「もっと酷いわ!!」


 蘇双に怒鳴る張飛がざぶざぶと音を立てながら川に上がる。
 真由香は張飛に駆け寄ろうとし、蘇双に即座に止められた。まあ、確かに石のごろごろと転がるこの川岸を不用意に走ればすぐに転んでしまうだろう。前回来た時は世平が川の側まで誘導してくれたのだ。

 真由香は蘇双に近くの岩に座らされ、……また張飛を落としたようだ。


「蘇双てめー!!」

「張飛兄ちゃんびしょ濡れー!」

「張飛ー、魚が逃げるからあんまし暴れるなよ」


 珠梨がけらけらと笑い、関定が抗議する。
 二人は一緒に釣りだ。世平のように釣りが好きという訳ではないが、珠梨が魚を釣って真由香に見せたいと言い出したので関定が付き合っているのだ。
 もっとも、真由香は見えないので触らせるだけなのだが。

 されども、真由香には一つだけ不安があった。

 虫でも平気な彼女は昔からぬるぬるした物が大の苦手なのだった。

 もしもその魚がぬめついていたら――――大変だ。
 普通の魚は大丈夫だ。ただ鰻やナマズとか……ああ、想像するだに恐ろしい。
 この辺の川魚を釣るのだから、多分きっと大丈夫だ。そう信じている。この川で釣りをしたってそんなぬるぬるした物は絶対に釣れない。


「あ、関定兄ちゃん引いてる!」

「お、マジだ!」


 関定に引きがあったらしい。

 張飛などそっちのけで関定の応援をする珠梨に、張飛は猛抗議する。が、「魚が逃げる」と蘇双に殴られた――――と、趙雲が教えてくれた。
 最近、蘇双は張飛に対する扱いが少々酷いような……仲が良いんだよね?


「そ、蘇双さん……その辺にしといた方が良いのでは……」

「駄目」

「なにゆえ!?」

「蘇双のそれは俺達公認だから。真由香もほっといて良いって」


 関定までそんなことを言う。


「……て、あれ、関定さんお魚は?」

「釣れた」

「早っ!!」

「お姉ちゃんこれ! 手出して!!」


 乞われて大人しく手を差し出すと、濡れて冷たい物が掌に載った。
 優しく包めばびちびちと暴れ出すそれは魚。良かった。ぬるぬるしていない。こっそりと安堵した。


「あ、意外に大きいね」

「ねー! 奇跡!」

「ちょっ、それはさすがに酷くね!?」

「いや、奇跡でしょ。関定だし」

「蘇双まで……!」


 奇跡なのか。
 世平も釣果(ちょうか)はよろしくないことが多い。釣りというものは魚との駆け引きだ。きっと、とても難しいのだろう。
 やってみたいと言ったら許してくれるだろうか。
 ちょっとだけ、興味を持った。


「真由香からも言ってくれねぇ? これ奇跡じゃないってさー」

「私は凄いと思いますよ。だって難しそうですし。あ、ついでに私もやってみたいです」

「お、じゃあオレが教えてやるよ」


 あ、駄目って言われなかった。
 そのことがほんの少しだけ嬉しい。
 珠梨へ魚を返した後、関定に手を引かれて川縁(かわべり)に立つ。釣り竿を握らされて、餌を付けてもらった。


「真由香、しっかりと立っているんだぞ」

「分かってます! 大丈夫です、転ぶ準備はいつでも出来てますから!」

「……そう言うことじゃないんだがな」


 呆れたような趙雲の声に首を傾けると、「お前、本当に転ぶ前提だよな」と頭を撫でられた。


「転びやすいですから」

「ああ、うん。そうだな」


 もう良いやと投げやりに言って、関定は釣りの指導を再開した。



‡‡‡




「おーい、真由香ー!」


 張飛が真由香を呼んでいる。
 魚が食いつくのをじっと待っていた真由香はそのままの体勢で返事を返した。


「なぁに、張飛」

「これ! すっげーでけぇの見つけたんだ」


 関定が釣り竿を一旦持ってくれて、真由香は彼の求めるがままに手を出した。

――――それが、いけなかった。

 ぬる。


「……え」


 その感触に真由香はざっと青ざめた。

 今、ぬるってした?
 ええ、これ何?
 ぬるって、今ぬるって――――。


 ぬる。

 ぬる。

 ぬる。


――――ぬるぬるしてる!!


「ち、ちちち張飛これは一体……!」

「え、蛙」


 げこ。
 手の中のそれが鳴いた……ような気がした。

 全身から血の気が引いていく。

 か、える。
 ぬるってした、蛙……。


「な、でっけえだろ?」

「い」

「い?」

「い、い、……いぃやああぁぁぁっ!!」


 形振り構わず蛙を放り投げた。野球の投手さながら、大きく振りかぶって。


「蛙が空飛んだー!!」

「嫌い!! 張飛嫌い!!」

「何で!?」


 張飛から逃げようと足に力を込めたその瞬間である。


「「「あっ」」」


 滑った――――。



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