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 全身が緊張して仕方がない。
 ぎゅっと握った拳の中は手汗で少し気持ち悪かった。
 雰囲気に気圧されてじっと地面に顔を向ける彼女の隣には、いつの間にか趙雲が立っていて、時折励ますように背中を撫でてくれる。

 ……無言が辛い。

 あの張飛すら何も言わないような重苦しい沈黙の横たわるこの場、劉備は未だ来ていないようだ。
 せめて彼がこの場にいてくれたら、少しは雰囲気も軽くなっていたに違いないにのに……。
 溜息すらもつけない。

――――と、


「おはよう、みんな!」


 噂をすれば影。
 幼い劉備の声が朝の空気を震わせた。

 ほっと肩から力を抜いた真由香は、そこでようやっと顔を上げた。
 その直後に、何かがぶつかってくる。手を握られた。

 劉備だ。


「劉備さん、お早うございます」

「うん!」


 劉備は自分が手で相手を見分けられることを知っている。
 だからこうして手を握ってくれたのだろう。
 小さな手を握り返し、真由香は口角を弛めた。

 すると、世平が話を切り出す。空気の重さから、話はすぐに進めた方が良いと判断したのだろう。確かにこのまま話を切り出さないでいると、その内帰ってしまう者が出てくるかもしれない。


「それで、劉備様。真由香のこれからの処遇なんだが。やはりほとんどの者は十日だけでは警戒は解けないようです。勿論、そうでない者も出てきていますが……大部分の者は真由香を村から出した方が良いのではないかと」


 それはそうだ。自分は何もしていない。
 萎縮して肩を縮める真由香に抱きつく劉備の手に、ぎゅっと力がこもった。

 劉備を剥がそうと手を解いて肩に置くと――――。


 彼はとんでもない発言をした。


「……じゃあ、ぼくも真由香と行く!」

「え!?」

「はい!?」


 声を上げたのは関羽と真由香である。
 なんて言う爆弾発言。
 真由香は劉備を離して関羽と一緒になって止めた。


「りゅりゅりゅ劉備さん! 駄目です!! それだけは駄目です!!」

「そうよ! 劉備、そんなこと軽い気持ちで言って良いものじゃないわ。曹操だって、わたし達は人の世界にはもう出ない方が良いって言っていたでしょう?」

「どうして? だって真由香はぼくの友達だよ」


 友達、その言葉に胸が熱くなる。
 けれど、友達だからこそ、真由香は彼の迷惑になる訳にはいかなかった。

 劉備を呼んで手を伸ばすと、関羽が彼の肩に置いてくれた。


「私は大丈夫ですから! こう見えて悪運は強い方なんです。転んだって生きてるなら良いんです!」

「基準おかしいよね」

「蘇双さんの言葉は無視。無視です。悪魔の囁きは無視です!」

「あくまの意味はよく分かんねーけど、何かズレてるっぽくね?」

「……か、関定さんの言葉も無視で!」


 実は自分でもそう思ったとは言えない。
 誰かが呆れたように溜息をついた。が、これは気にしないことにする。

 とにかく、自分は大丈夫だから心配には及ばないと言えば、また別のところで声が上がった。


「劉備様が行くんなら私も行くー!!」


 珠梨だ。
 彼女は友達だからと劉備と同じ理由でそう言い出した。

 それどころか、誘われるかのように、真由香にバイオリンをねだった子供達もバイオリンを聴きたいからと声を張り上げるのだ。


「じゃあ、あたしも行こうかねぇ」


 おまけに春蝉まで……しかも子供達とは違って面白がっている風だ。

 真由香は頭を抱えた。
 だから危ないんだってば……!! 皆さんに迷惑かけたくないんだってば!

 ざわめく周囲に真由香は非常に申し訳なくなって、誰にともなく謝罪した。
 そこへ更に。


「……なら、わたしも行くわ」

「俺も同行しよう。子供達も守らねばならぬのなら、人手はあった方が良いだろうしな」

「姉貴が行くならオレもー」

「楽器に興味があるからボクも」

「オレは遠慮す――――いや、行きます! 行かせてもらいます!!」


 ああ、増えていく。
 しかも、何か……、


「……皆さん、何か面白がっていませんか?」

「「「まさか」」」


 絶対に面白がってる!!
 また、頭を抱えた。


「空気を読みましょう! 皆さん!」

「真由香。空気は吸うもので読めないけど」

「うああ、こんにちは一休さん……!!」

「は?」


 さっきまでの重苦しい沈黙は何処に!!
 これは真由香一人で出て行けば良い話じゃないか。だのにどうして皆付いてくるなんて……。
 ただでさえこの世界に文化に慣れきっていないのに、戦えない真由香が皆の迷惑になるのは明白だ。

 近くの人間の村までの道を教えてくれれば、それで良いのだ。

 助けを求めて世平を呼ぶが、彼は笑っていた。それはもうおかしそうに。


「ちょ、何で笑ってるんですか!? 世平さん大人ですよね!? 関羽さん達の抑止力ですよね!」

「ん? ああ、そう言えばそうだったな。まあ、放っておけ」

「放っておいちゃ駄目だと思うんですが!」

「さっきから声張り上げて疲れねえか?」

「そうしないといけない状況なんですってば……!」


 誰か彼らを止めてくれ。
 切実に願った。

 されどそこでふと、ざわめきが聞こえなくなっているのに気が付いた。
 あれっとなると、「あー……」と誰かが間延びした声を出した。


「あ、あれ……? 何か、おかしい?」

「……何か、馬鹿馬鹿しくなってきたかも」

「え?」


 瞠目。


「そうだなあ……関羽達完全に真面目にやってない感じだしな」

「はい?」

「警戒してた俺らが馬鹿みたいって言うか……なあ?」

「そうねえ……おまけにあの珠梨も懐いちゃってるし……このまま追い出すと珠梨が可哀相かも」


 ……。

 ……。

 ……。


「良いんですかそれで!?」

「それに何かこの子の言動見てると警戒してたのが馬鹿みたいだわ」

「ば……」


 ……今のはちょっと、胸に刺さったような気がした。
 いや、警戒されないのは嬉しいことだけれど。言動で警戒する程の人物でないと思われるって、何だろう、ちょっとショックなような……とにかく複雑だ。


「ええ、と」

「じゃあ、真由香はここにいて良いの?」


 喜色に満ちた劉備の声に、周囲の猫族は打って変わって「ええ」と。

 ちょっと待って。
 何、この展開?


「……ちょっと待もがっ」

「良かったわね真由香! ここにいて良いって!!」


 待ったをかけようとした真由香の口を、しかし関羽が塞いだ。無駄に大きな声をかけて、何故か後ろに引かれた。


「じゃ、じゃあ! 話がまとまったから今後のことで真由香と話をするわ! 趙雲も付き合って!」

「もが、むーっ!」


 良いの?
 これで本当に良いの?
 問いかけたいけれど、口は未だ塞がれたままである。

 関羽は趙雲と劉備を連れて、何処かの家に飛び込んだ。
 真由香を床に座らせて、息を吐き出す。


「ひとまず、これで真由香はこの村に残れるわね」

「いえ、あの……展開が滅茶苦茶で強引な気がぶふっ」


 べちんと顔を手で叩かれた。多分、関羽に。

 と、不意に笑声がするのだ。


「さすがに、僕も自分でそう思ってたよ。でも結果的には上手く行ったから良かったかな」

「……劉備さん? 幼くなくなってます?」


 劉備はすぐに肯定した。


「朝からずっとね」


 朝から――――つまりはあれは演技……だと?
 真由香は思わず立ち上がった。


「だ、騙したんですか!?」

「関羽や張飛達はすぐに気付いていたよ。だから乗ってくれたんだよね」

「ええ」


 くすくす。これは関羽の笑声だ。
 真由香は即座に家を出ようとした。これはすぐに皆さんにお知らせして話し合いをやり直さなければ!

 しかし、趙雲が真由香の腕を掴んで引き留めた。


「どうした。……もしかして、猫族の村は居心地が悪いか?」

「いいえ! すっごく良いです。でもこれって不正じゃないですか!」

「だけど本当に、真由香を村から出す訳にはいかないよ。一人で外を彷徨(うろつ)くのは危険だ」


 それは分かっている。
 けれどもこんな強引に許可を貰うのもどうかと思うのだ。
 だって自分は今まで何もしていない。
 そう言うと、劉備がそっと真由香の手を握った。


「じゃあ、これから何かしていけば良い。もう決まったことなんだし、ね」


 いやいや良くない。
 良くない!
 真由香は唸りながらどう言葉を尽くそうか頭を働かせた。

 けれども折悪く、


「ここにいたのか、真由香」


 「お前の新しい家が決まったぞ」と世平の声がするのに、関羽達が声を上げる。

 真由香は、三度頭を抱えた――――。



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