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 翌朝。
 真由香は地面に正座させられていた。

 前には世平。
 つい昨日にもこんなことは無かったっけと片隅で思っていると、世平が重々しく溜息をついた。


「本当に……間抜けというか馬鹿というか……」

「どっちも貶してます!」

「当たり前だ!」

「なうっ!」


 額にチョップ。こちらでは手刀と言うらしい。
 痛まなかったが、今ので驚いて変な声が出た。

 それを言うと「いつものことだ」と一蹴された。……酷いと心の中で漏らした。

 そも、何故真由香がお叱りを受けているのか。原因は至極単純なものである。
 昨夜少女と別れた後、真由香はあろうことかそのままそこで寝てしまったのだった。
 朝になって関羽が、真由香がいないことに気付いて大騒ぎになったのだが……家を空けてちょっと曲がったところで爆睡していれば、世平が怒るのも当然と言える。

 真由香のこの危機感の薄さが、世平の頭を悩ます最大の原因だろう。目が見えないことが作用しむしろ、彼女の肝が逞(たくま)しくなっている。この分では虎でも不用意に近付いて大怪我をしそうだ。
 世平は溜息をついた。

 そんな世平の頭痛などいざ知らず、本当に鷹揚な彼女は「でも意外と良く眠れるものなんですね」と。寝起きが良さそうに見えるが、起きたばかりの彼女はいつも以上に思考がズレている。勿論本人は無自覚だ。


「一つ新しい発見をしました」

「そうか。それは良かったな」

「えっ、あれ、世平さん? 何で頭を圧迫してくるんですか? わわわ、私押したって縮みません!! 本当に縮みませんよ!!」


 おかしい。
 世平の手に頭を下に押されている。
 このままでは首が、首が。

 手探りで世平の手首を掴んでささやかな抵抗を試みた。すると更に力が強まった。


「世平さん! 大変です! 首が折れそうです!!」

「本当にお前は面倒な娘だな。どんな環境に育ったらここまで自由に育つんだか……」

「私が育った孤児院は自由にのびのびが家訓でした!」

「良い笑顔で答えるな寝起き娘」

「うなっ」


 見えてなかったじゃないですか!!
 一際強く押されて体勢を崩した真由香は地面に手を突いて身体を支えた。抗議をするとぽんと頭を撫でられた。


「ほら、さっさと準備して来い。今日が約束の日なんだからな。俺は先に行ってるぞ」

「う……」


 途端に自分の顔が強ばったのが分かった。
 そうだった。
 今日は十日目じゃないか。

 胸が重くなったような気がして真由香は肩を少しだけ落とした。悪いのが分かっているテストを取りに行くよりも気が重い。
 世平に呼ばれて慌てて立ち上がって尻をはたく。彼のいる方向に向かって敬礼――――前に弟達に教えてもらった――――をして笑顔を張り付けた。


「じゃあ、着替えてきます。やっぱり急いだ方が良いですよね」

「そうだな。関羽が中で待ってるぞ」

「了解です! 一分で仕上げてきます!!」

「いっぷん?」

「あ、こっちの時間の単位なんでした」



‡‡‡




 関羽はこちらの服を用意してくれていたが、真由香は敢えて制服を着た。どうせ出て行くことは決まっているのだから服を借りる訳にはいかなかった。

 関羽に手を引かれて町を歩いていると、不意に誰かに呼ばれたような気がする。

 足を止めると腰に誰かが抱きついた。


「真由香お姉ちゃん!!」


 天使――――じゃない、昨夜の女児だ。
 真由香はこてんと首を傾けた。
 腰にしっかりと腕を回した女児に名乗った覚えは無い。


「どうして私の名前を?」

「劉備様に訊いたの! 真由香お姉ちゃんは劉備様のお友達なんでしょ?」

「う、うん……」


 そっと彼女の頭を探して、撫でる。
 すると女児は笑った。


「くすぐったいよ、お姉ちゃん」

「あ、ご、ごめんね。猫耳があるって忘れてた。痛くなかった?」

「ううん。気持ち良かったよ。ねえねえ、関羽お姉ちゃん。みんなのところ行くんなら、私も行っても良い?」

「ええ、良いわよ。……でも、真由香ってばいつの間に珠梨(しゅり)と仲良くなっていたの? 珠梨は人見知りが激しいのに」


 問われた真由香は昨夜のことを話した。
 けれども、この珠梨と言う女児と話した時、人見知りのような印象は受けなかった。それよりも、母親の鼾(いびき)を怪奇現象だと思って怖がっていたからだろうか。

 珠梨にぎゅっと手を握られ、再び歩き出す。

――――何故だろうか、物凄く安心している自分がいる。ただ珠梨が加わってくれただけなのに、安堵感が胸を満たす。

 珠梨の雑談に笑って応じながら歩いていると、徐々にざわめきが聞こえてくる。
 大きくなっていくのに比例して足が段々と重くなった。全身が、いやが上にも緊張する。安堵感も呆気なく消え去った。

 ……目的地に着いたのだろうか。
 ざわめきが止んだ。
 けれどもそれも一瞬のこと。


「よお、真由香! 家の外で寝ておっちゃんに怒られたって?」

「へ? ……あ、はい。つい」

「ついって……」


 軽快な声は張飛のものだ。
 少しだけ驚いて間の抜けた声で返答すると、「何やってんだよ」と呆れられた。


「風邪引くだろー」

「だ、大丈夫です」

「いやいやいや何が」


 「気を付けろよー」なんて肩を叩いてくれた張飛に、心から感謝したい。お陰で、緊張が少しだけ解れたような気がした。

 けれども、この沈黙が胸に痛いのは変わらなくて。

 張飛に笑いかけたけれど、上手く笑えていたか、真由香には分からなかった。



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