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 私に出来ることって何だろうか。
 私には、何が出来たっけ?

 夜、誰もが寝静まった深夜に、真由香は一人外にいた。勿論、村の中を徘徊するのではなく、世平達の家屋の壁に寄りかかってぼんやりと時を過ごしながら思案している。

 明日だ。
 明日に自分の今後の身の振り方が決まる。
 ……と言っても、ほとんど何もしていないので決まっているようなものなのだけれど。

 真由香は細く吐息を漏らした。

 夜の闇が怖いと人は言う。

 けれど、闇は自分の慣れ親しんだ世界だ。揺るも昼も関係無く、自分は闇に包まれている。
 黒色とは言えない、もっと深い深い不動の闇。
 そんな世界を真由香は怖いとは思わなかった。むしろ、真由香の見えない目はそれしか知らない。

 悪いことじゃない。
 目が見えないことは悪いことじゃない。
 私にだって何か出来る。

――――何が出来る?

 両手を握って開く。それを数回繰り返した。


「私は、バイオリンが弾ける……、洗濯物も頑張れば一人でも干せる。慣れればきっとお茶も淹れられるし、釣りだって出来るかもしれない……」


 ……何も出来ない訳じゃない。
 だから、大丈夫。
 きっと、大丈夫。
 私は弱いだろうけど、きっと何か出来る。

 ……って、


「何でこの十日で見つけなかったの私……!」


 そうすればまだどうにかなったかもしれないじゃないか!
 頭を抱えてその場に座り込んだ。

 明日、どうしよう。
 どうやったら認めてもらえるだろうか。
 バイオリン――――は、駄目だ。没収されてたんだった。
 ああ……頭が痛い。

 この村から出た後どうするか、そっちを考えた方が良いのかなぁ。

 村から出た後――――駄目だ、想像が出来ない。近い村でも道は少々険しいと聞いていたし、そこで受け入られるかどうかも分からない。自分の世界とここは全く違うから、きっと猫族の人々のように怪しまれるに決まっている。
 駄目だったら、その先は……?


「やっぱり、野垂れ死にってことなのかな」


 そんなの、テレビの中、あるいは外国のことだと思っていた。自分はとても恵まれた環境にいたのだと、しみじみ思えた。

 死ぬのは正直、嫌。怖い。

 生き物は、死ねば身体が硬直し、冷たくなる。
 以前里親の、母方の祖母が亡くなった時、遺体が家に帰って真由香は彼女の手を握った。その冷たさは、今でも覚えている。
 引き取ってもらった頃にはすでに病床に在った彼女は、見舞いに行けばしっかりと力強く手を握ってくれた。

 だのに、その冷たさにもう二度と無いのだと思い知らされた。悲しくなると同時にそれが死なのだと、ぞっとした。

 自分がそんなことになった時、関羽達は死を惜しんでくれるだろうか?
 ……いや、きっと優しいから憐れんでくれるだろう。

 真由香が怖いのは元の世界の大事な人々に二度と会えなくなることだ。

 勿論、関羽や世平、趙雲達もこちらでは良くしてくれて恩が深い。どんなお礼をしても足りない。

 けれど、過ごした時間が違う。
 真由香の器は大きくはない。二択を迫られれば、絶対に己の世界を選ぶだろう。そちらの方が、大切だもの。

 そこまで思考が至り、真由香はぶんぶんとかぶりを振った。
 違う、今はそんなことを考えている場合ではないのだ。
 夜ということもあってだろう、どうも思考がマイナスに向かっていく。ネガティブなつもりはないのに。
 こつんとこめかみを拳で軽く突いた。

――――すると不意に、


「お姉ちゃん、何してるの?」

「はえっ?」


 頓狂な声が出た。



‡‡‡




 猫族の女児が、何故か村の中を歩いていたらしい。
 真由香を見つけて話しかけてきた彼女は真由香の隣に座って、何かを言いたそうに声を漏らす。

 きっと可愛いんだろうなあと一人小さく笑っていると、やがて意を決したように女児が堅い声を発した。


「あ、あのね、お姉ちゃん!」

「はい」

「こ、こ……怖、くて、眠れないの!」

「……はい?」


 真由香は正面を向いたまま目をぱちくりと瞬かせた。


「ええと、お化けが?」

「……うん。あのね、たまになんだけど、夜寝るとね、ぐごおって音がするの。お母さんから!」


 今まで、それは何度かあったのだと、彼女は弱ったように語る。

 真由香は苦笑した。
 ……それって、もしかしなくても。


 鼾(いびき)じゃないかな?


 けれどもそうは言えずに曖昧に笑って「そっか」と。


「でもここにいると、風邪を引いちゃうよ」

「うん……でも、」


 それ程に怖がるなんて。
 ……ちょっと、思い込みが激しいのかな?
 真由香は手を伸ばそうとして止めた。身体に当たるのを避けたかった。

 取り敢えず、やっぱり鼾って言った方が良いだろうか。


「あのね、それって多分鼾を掻いてるんだと思うよ」

「いびき……って、お父さんがかくんじゃないの?」

「ううん、女の人でもなるんだよ。原因は色々らしいんだけど、疲れてたりすると出ちゃうんだって」

「疲れてたら……?」


 一番聞くのはそんな理由だ。勿論それが多いということでも無いだろうし、肥満や蓄膿症なども鼾の原因だ。


「だから、鼾はちょっと五月蠅いかも知れないけど、それだけお母さん家族の為に頑張ってくれてるんだって思わなくちゃ」

「がんばって……くれてる」

「そうだよ。良いお母さんだね。私のお母さんも負けていないけど」


 笑えば彼女は真由香の言葉を反芻(はんすう)した。
 ややあって、くいっと裾を引っ張られる。


「お姉ちゃんのお母さんもいいお母さんなの?」

「うん。私を引き取ってくれてね、音楽の勉強をさせてくれたの。両親はどちらも音楽で有名な人なんだ」


 会いたいなあと、心の中で呟く。
 二人の優しい声が脳裏に蘇る。

 へへ、と空笑いをしながら真由香は立ち上がった。


「ほら、もう帰った方が良いよ。お母さん達が起きた時あなたがいなかったら、きっと心配しちゃうから」

「うん。お姉ちゃんも風邪ひいちゃだめだよ。……明日ね、あそびに行ってもいい?」


 これには、答えられなかった。
 笑ってそれを答えにし、「おやすみなさい」と声をかける。

 真由香の心中など知らぬ女児は、弾んだ声で言葉を返した。



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