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趙雲に腕を引かれ、真由香は森を歩く。
たまに地面から盛り上がった木の根に足を取られたが、その時は趙雲が何とか支えてくれた。
森の中は湿った緑の香りに満たされていた。
都会では体感出来ない独特の空気に、真由香の心は昂揚した。
ただ散歩するだけでも場所が違うと目が見えなくても新鮮だった。
枯れ葉や枝を踏み締め、真由香は歩く。
「大丈夫か?」
「はい、転んでも大丈夫です」
「……そういうことではなかったんだが」
趙雲の、恐らくは苦笑混じりの声に、真由香は首を傾ける。
されど趙雲は問いかけても何も答えずに「まあ、良いか」と締めてしまった。
「……それで、趙雲さんの行きたい場所って、何処なんですか」
「空が良く見えるところだ。お前に見ることは出来ないが、関羽から空が好きだと聞いて喜ぶと思ってな」
空。
その単語に真由香はぱっと表情を明るくさせた。
そう言えば、関羽にそんなことを話したような気がする。いつだったか……散歩中だったと思う。
空は大好きだ。
昔から、見ることは出来ないけれど本当に大好きだ。
「嬉しいです。ありがとうございます」
真由香がそう言うと、趙雲が頭を撫でてくる。彼は良く、真由香の頭を撫でる。何故かと問えば、どうも自分は趙雲に妹のように思われているようだ。その気持ちは良く分かると関羽に同意された時はそんなに自分は頼り無いのかとややズレたことを考えた。実際は違うのだけれど。
趙雲の言う空が良く見えるところは、村から少々離れているらしい。猫族に警戒されている自分が、村から離れて良いのかと思ったが、趙雲がいるから良いのかとすぐに納得した。彼はとても強い武人だと聞く。真由香のことを怪しいと思ったら簡単に一捻りかもしれない。
なんて剣呑なことをぼんやりと考える。
「真由香?」
「あ、すみません。ちょっと考え事をしてました」
「考え事?」
「そうです。考え事です。人間は考える生き物なんですよ」
おどけて言って誤魔化す。
「考え事をする生き物、か。確かにそうだな」
「そうなんです」
「だが、犬や猫も感情があるのだから一応考えたりはすると思うが」
「あ、……それもそうですね!」
納得する。
趙雲が噴き出したような音が聞こえたが、微かだったので気の所為かもしれない。
真由香は苦笑して、乾いた笑声を漏らした。
「ところで、その場所までは、どのくらいかかるんですか?」
「だいぶ歩いたからな、そろそろ着く」
そろそろ、か。
真由香は期待に胸を膨らませる。
空が良く見えるところ……とても楽しみだ。
脳裏に思い浮かぶのはとある人物のこと。姿でなく、声だけが蘇る。
空が好きになったきっかけをくれた、名も知らない男の人。
あの人は今、何をしてるかな。
まだ夢を追いかけているんだろうか。
ふっと、小さく笑みがこぼれた。
‡‡‡
「ここだ」
風が真由香の髪を揺らす。
遠くで甲高い鳴き声が聞こえる。あれは何かと趙雲に問いかけたところ、隼のようだとの返答だった。
足場を確認しながら歩いていけば、不意に趙雲が腕を掴んで引き留める。
「断崖になっているから、それ以上は行かない方が良い」
「おお……」
断崖……断崖絶壁の断崖か!
妙な声を上げながら真由香は一歩退がる。しかし、笑顔は変わらない。
「空には雲はありますか?」
「ああ。小さくて薄いのが、ちらほらと見受けられるな」
「鳥は飛んでますか?」
「いや、今はいない。……真由香、一つ訊いても良いか?」
はしゃいだ様子で質問を投げかけてくる真由香に、趙雲は答えながらも逆に問いかける。
何故、空が好きなのかと。
真由香は一瞬止まって、すぐに納得したように頷いた。
自分は盲目だ。空の色は分からない。視覚的な空がどんなものなのか全く知らない。けれども大好きだと言って憚らない真由香はさぞ不思議だろう。
真由香は趙雲に向き直って、
「私が空を好きになったきっかけをくれた人がいるんです。名前も知らないし、たった一ヶ月くらいしか会ってなかったんですけど、大切なお友達だったんです」
その人は空が大好きだった。
その人が空を教えてくれた。
何とかして空がどんなに素敵な色をしていて、どんなに広大なのかを言葉を尽くして孤児院に入ったばかりの真由香に教えてくれようとした。
一ヶ月も掛けて――――。
「その人物の話を聞いても良いだろうか」
「長ったらしくなりますよ。それにその人、ちょっと他人とズレていたところがあったから、笑ってしまうかも……」
「目の前にすでにズレた人物がいるから構わない」
「私がですか!」
「失礼な!」と憤慨してみせると、彼は笑って謝罪してきた。ぽんと頭を撫でられて、ふっと苦笑する。
「長くなっても構わない。俺が、その人の話が聞きたいんだ」
「……分かりました」
冗長な話を覚悟して下さいね。
真由香は口角を弛め、目を伏せて記憶を手繰った。
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