この、自分のいた世界とはまるで違う猫族の村で自分に何が出来るのか。

 趙雲に送られた後、真由香は自室の中で一人そのことばかりを考えていた。

 ここは自分のいた世界とはまるで違う。
 ガスも電気も無いし、点字なんてものも存在しない。
 近代的な物は何一つとして無い世界――――そんな中で、便利な生活に慣れきった真由香が猫族に貢献出来ることは、何か。
 必死に考えても考えても、答えは何も浮かばなかった。

 今自分に出来ることは、バイオリンだけ。
 だがそれもこの手では無理な話である。

 バイオリンのケースを抱き締め、真由香は目を伏せた。
 瞼を落としても落とさなくとも変わらない暗闇。

 生まれた時から、真由香の世界は真っ暗だった。
 皆のように色を知っている訳じゃない。形は触って確かめなければ分からない。声をだけで人を、その感情を判断しなければならない。
 誰かに教えて貰えなければ、分からないことも沢山ある。
 元の世界でもそんな生活だった真由香が、この村で出来ることなんて皆無かもしれない。

 ……欠点なんかじゃないのに。
 盲目を欠点だとは思いたくないのに。
 奥歯を噛み締め、真由香は衝動的にケースを開けた。

 バイオリンを弾きたい。
 手の痛みなんて、我慢すれば良い。
 どんなに痛くたって――――自分にはこれしか無いのだから。
 真由香は痛みを堪えて弓を取る。

 立ち上がって構えを取った。
 一つ深呼吸をして、じんわりと痛み出した右手に少しだけ力を込めて引いた。

 奏でるのは、初めて弾いた『きらきら星』。
 院長が良く口ずさんでいた歌を院長のバイオリンで弾いてみたいと言ったら、楽譜を用意してくれたのだ。その楽譜は、今も鞄の中に大事に入れてある。
 それをただただ無心に奏でた。痛みに我に返ることも勿論あったが、それでも構わずに弾き続けた。痛みに冷や汗が出ても、感覚が鈍くなっても、弓から手を離さなかった。

 ……別に、この村にいたいんじゃない。
 迷惑になるのだったら別の村に行ったって良い。

 ただ――――盲目で、本当に何も出来なくなってしまうのが怖いのだ。
 ここは元の世界とはあまりに懸け離れた世界で、あちらでは当たり前に出来たことが出来なくて。
 結果、何も出来なくなっているのだ。

 ここは私の家じゃない。
 ここは私の住んでいた街じゃない。

 ここでは、自分は役に立てないんじゃないだろうか。
 この目の所為で。
 そう自分が思ってしまうのがたまらなく嫌だった。

 盲目でも、健常者と変わりは無いんだよって、ずっと言ってきたのに。
 今、堅固な壁にぶち当たっている。

 関羽達は自分を盲目だからと助けてくれる。
 今は過剰だと感じるそれも、必要だと思ってしまったら?
 それは――――自身が盲目を欠点だと認識したことになりはしないか?
 ――――嫌、だ。

 手が、止まる。
 右手がだらりと垂れて、弓が指の間からすり抜けた。
 弓が落ちる音がした。

 右手がじくじくと痛みを訴える。
 しかし真由香はその右手をぎゅっと握り締めるのだ。痛くても、構わずに。


 ああ、もう。
 悔しくて堪らない。



‡‡‡




 小さい頃、虐められたことがあった。

 生まれつき盲目だから。
 母親に捨てられたから。

 子供は、何かと優劣を持ち出しては無邪気に、残酷に喜ぶ。
 色を知り、世界を一望できる彼らにとって、誰かに説明してもらわなければ分からない盲目の少女は圧倒的に劣っているように思えただろう。

 子供は可愛らしいが、無邪気故に無惨だ。


『目が見えないことって、そんなに悪いの?』

『だって、だから捨てられたんだろ?』

『親無し』

『親無し』


 悔しかった。
 どんなに悪くないよって言い張っても、出来ないことを引き合いに出されては、口を噤む他無かった。
 ただただ泣かないように唇を噛み締めて、堪え忍ぶしか無かった。

 盲目って、劣っていることなのだろうか。
 生まれた頃からすでに盲目だった自分は見えると言うことを知らないから比較しようも出来ない。

 それがまた、悔しかった。




‡‡‡




「――――で、これはどういうことだ」

「すみませんでした」


 真由香は正座させられていた。
 目の前には世平が(多分)座っている。

 聞き慣れないバイオリンの音色を聞いたらしい張飛が世平に言って、彼がまさかと思って真由香の部屋に飛び込んできたのだ。

 まさにバイオリンを隠――――収納しようとしていたところを目撃されたので、即座に説教が始まってしまった。

 彼にはバイオリンの弾き方について簡単に説明したことがあったから、右手を使ったことは分かっている。
 俯き加減に青ざめながら、真由香は冷や汗を掻く。右手の痛みはまだ残っていた。


「どうして、弾いた?」

「それは……本当に、弾きたくて仕方がなかったとしか――――あう!」


 頭を叩かれた。結構痛い。

 しかし、弾く間考えていたことを話せば迷惑になる。それに、まだはっきりとは自分の世界のことを話していないのだ。
 曖昧な理由しか話さずに、真由香は謝罪を繰り返した。

 すると、世平も真由香の様子から何かを感じ取ってくれたらしい。


「……今は弾くな。手が悪化したら、大変だろ」

「はい……」


 ぽんと頭を撫でられて、真由香は目を伏せる。

 彼らは本当に優しい。
 真由香は世平の手の感触に身体の力を抜きながら、胸の痛みに眦を下げた。



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