利き手を負傷していると、何事もやりづらいものである。
 ついつい利き手を使ってしまいそうになる。場合によれば痛みで強ばって暫く動けなくなってしまう程だ。おまけに関羽達にも怒られてしまう。

 早く治れば良いんだけどなぁ、と包帯に包まれた右手を左手で慎重に触りつつ確認しながら真由香は溜息をついた。
 今、彼女は井戸に腰掛けている。先程まで関羽と一緒にいたのだが、世平に呼ばれてそちらに行っている。優しい彼女は渋ったのだけれど、誰かに付き添いを頼むからと言って行かせた。

 だが、まだ真由香を警戒しているのか、誰も真由香に話しかけもしなければここを通りかかりもしない。
 このまま一人で帰ろうにも、不安がある。

 真由香は立ち上がり、足場を確かめながら前に進んだ。
 だが、転びやすい彼女はすぐに躓(つまず)いた。膝を地面に強か打ち付け、ついた右手に激痛を覚えて呻く。暫く動けなかった。


「いったぁ……!!」


 膝よりも右手が痛かった。
 真由香は何とか身を起こして、右手を左手で包み込む。

 今のは当たりどころが悪かった。
 いつもより痛かった。
 激痛が収まるのを待って真由香は立ち上がる。


「早く治れば良いのに……」


 傷を思うと、溜息を禁じ得ない。
 そのまま家に戻ろうと足を踏み出すと――――。


「ちょっとあんた!」

「へ?」


 誰かから声を掛けられた……と思う。
 きょろきょろと見えない目を周囲に動かすと、左手をがしっと掴まれた。この手は、女の手だろうか。だが関羽ではない。

 真由香はこてんと首を傾げた。


「ええと……どなたですか」

「あんたが世話になってる世平さん達の家の隣に住んでる者だよ。そんなことよりも、あんた一人で歩いちゃ駄目じゃないか! 目が見えないなら、この辺の道は危険だよ。あーあー、膝まで血でべったりじゃないかい! 包帯までこんなに汚れて……」

「い、いや、慣れてますので……」

「ほら、おいで!」

「わわっ」


 ぐいっと手を引かれて真由香は少しだけ体勢を崩す。
 それに彼女は小さく謝罪して、今度はゆっくりと地面の様子などを伝えて導いてくれた。

 真由香は面食らっていた。自分を好意的に見ているのは一部だけだと思っていた。ほとんどの猫族には好かれていないのだとばかり思って――――。


「春蝉(しゅんせん)殿? 何故真由香が――――と、その膝の怪我は……!」

「ち、趙雲! あんた! 何やってんだい。まだこの村の地面に慣れていないんだから、ちゃんと見てなくちゃ駄目じゃないか! この子井戸の側で転んだんだよ」


 趙雲が通りかかったようで、関係が無いのに叱咤されてしまう。
 彼は悪くないし、元々関羽と共にいたことを話そうとすると、その前に趙雲らしき手が肩に乗った。


「すまなかった。怪我は大丈夫か?」

「平気です。転ぶのには慣れているので。ただ、手がちょっと痛かったですけど」

「ちょっとなんてもんじゃないだろう! 関羽から聞いたよ、右手の怪我、相当酷いんだって? 転んだ時、そりゃ痛んだんじゃないのかい?」

「え、えと……」


 そりゃあ、痛かった。
 けども、ここで頷いたら実直な趙雲は気に病んでしまうだろうし、あまり心配は掛けたくない。
 真由香は複雑そうに顔を歪めて首を傾けた。

 すると、春蝉と呼ばれた女性は何を思ったか、真由香の頭をばしっと叩くのだ。


「わっ」

「ほら! 怪我人が変な気遣ってんじゃないよ」

「す、すいません……?」


 この春蝉、警戒なんてものが無い。むしろ優しい。
 真由香は少々戸惑っていた。


「ほらほら、あたしんちで手当をするよ。全く……皆して酷いもんだよ。物影か、見てるくせに、病み上がりのあたし以外、だーれも助けようとしやしない」

「や、病み上がり?」

「ああ、風邪を引いて寝込んでたんだ。だからあんたが拾われたって時、見に来れなくてね。集会にも行けなかったんだ」


 瞬間、真由香はさっと顔色を変えた。


「……じゃ、じゃあ! 休んでないと駄目じゃないですか!」

「何言ってんだい!! あんたの方が重傷じゃないか! あたしよりも自分のことを心配しな」

「ええぇえ……!」


 いや、病み上がりの方が再発の恐れが怖いと思うんだけれど。
 気の強い春蝉に気圧されつつも、彼女は必死にそう言い募る。が、やはり相手にされない。春蝉の頭の中では、たかだか転んだだけの自分のことが優先事項だとなっているようだ。本当に、大した傷ではないと思うのだけれど。


「……って、そうだよ! 趙雲」


 春蝉はふと、何かを思い付いて趙雲を呼ぶ。

 ……不安が真由香の胸をよぎった。


「春蝉さん?」

「歩くのも痛そうだし、あんたがあたしんちまで負ぶってやっとくれ」


 途端真由香は血相を変えた。


「け、結構です!!」


 彼にお姫様抱っこされたのは、まだ記憶に新しい。あの時の恥ずかしさも、まだ鮮明に残っていた。
 ぶるぶると首を左右に振って真由香は拒絶する。歩けるからと、大丈夫だからと必死の体で春蝉を説得にかかる。

 春蝉は困惑してたじろいだ。


「そ、そうかい? そんなに嫌ってんなら、無理にとは言わないが……でも、本当に痛かったら言うんだよ」

「だっ、大丈夫です!」


 真由香ははっきりと言った。



 その時、趙雲が複雑そうな顔をしていたとは、盲目の彼女が気付く筈もない。



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