古に、金眼と呼ばれる妖がいたらしい。それは大陸全土に脅威をもたらした。
 人間には太刀打ちできない大妖を、それでも仙女の力を借りて討ったのが、劉備の先祖である。
 彼が率いた軍は劉軍と呼ばれ、彼共々、果てた金眼の血を浴び、子孫が半妖となる呪いを受けた。特に間近で大量の血を浴びた劉備の先祖は、金眼の力をその身に宿し、成長を阻んだ。
 今は――――その辺は色々あってと省略された――――その呪いも一旦は沈静化しているので、劉備の本来の精神が以前のように限定された時期でなくとも現れるようになった。

 ただ、猫族全体の呪いに関しては、どうなるか分からないのだそうだ。


「つまり、その猫耳は本物ってことですね」


 世平達の家で説明を受けた真由香は別段驚いた風も無く、平然とその話を受け入れた。

 彼女の落ち着いた態度に世平達も面食らって彼女の顔をまじまじと見つめる。
 ちなみに、関羽と劉備は話の最中に子供達に誘われて山の方へ行っているのでここにはいない。


「驚かねぇのか?」

「驚きましたけど、理由を知ればそんなには。つまり、あれですよね。触覚の無い虫に触角が生えたみたいな感覚」

「その例え方は止めろ!」


 張飛が怒鳴る。

 真由香はえっとなって、例え方が悪かったのかと考え直した。


「じゃあ、元々触覚が二本あるのにもう一本増えちゃったって感じですか?」

「いや、取り敢えず虫から離れろ。張飛が言いたいのはそういうことだと思うぞ」

「えっ、虫可愛いじゃないですか」


 見えないけど。
 きょとんとして言って退ける彼女は、昔から虫を平然と素手で掴む。都会で育ったにしては、少々珍しい娘だった。それで、百足に刺されて大騒ぎになったり、スズメバチを掴んで病院行きになったのは良い思い出である。かなり痛かったけれども。


「……珍しいね。虫を可愛いなんて」


 蘇双が感心したように呟く。

 真由香は途端に唇を尖らせた。


「それ、友達皆にも言われました。皆は見えるんだから愛でれば良いのに」

「多分、普通の女性には無理だと思うよ。虫は平気って程度が限度なんじゃない?」


 それはまだ良い方だ。
 真由香の友人は皆、虫を毛嫌いする。蝶も大嫌い、なんて子もいるくらいだ。何度可愛いと言っても無駄だった。
 本当に可愛いのに、どうして分かってくれないのかなあ。
 今でも彼女達の拒絶のしようは鮮明に覚えている。思い出すと、ちょっと寂しい。


「しかし、真由香が虫が好きだったとは少々意外だな」

「あ、いえ普通です」


 可愛いとは思うが、好きか嫌いかと問われれば普通だ。
 真由香はさらりと返した。

 張飛がまたツッコんできたが、蘇双が五月蠅いと斬り捨ててしまった。


「……また不思議な性格の娘を拾っちまったもんだな」

「不思議ですか?」

「ああ、お前の頭はどう回っているのか分からん」


 ぽふ、と頭に手を置かれた。世平だ。

 そうか、私は不思議なのか。
 不快ではなかった。


「まあ、俺達に怯えるよりは、ましだがな」

「まさか。怯えるなんてしませんよ。こんなに優しいのに」


 ここまで優しくされてもらって、怯えるなんて有り得ない。

 ただ猫の耳がついているだけ。
 ただ呪いを受けているだけ。
 それは、ただ目が見えないだけの自分と同じことだ。

 人間は誰しもが欠陥を持っている。だが、それを本当に欠陥だと思うかは本人次第。欠陥でないと断じればそれはそこで欠陥ではなくなる。負い目ではなくなる。
 真由香も、目が見えないことを欠陥だとは全く思っていなかった。確かにちょっと不便だが、その程度だ。ちゃんと生活出来るし、ヴァイオリンだって弾ける。

 だから、猫族の皆が己の耳を欠陥だと思っていないのなら、それは欠陥じゃなくてただの猫族の特長なのだ。そこに負の要素は一つも無い。

 にこりと笑ってみせると、また頭を撫でられた。


「ありがとうな」


 穏やかな世平の声に首を左右に振った。これは、自分にとっては当たり前のことなのだから、礼を言われるようなものではない。
 そう言えば、今度はぐしゃぐしゃに掻き乱されてしまった。


「関羽さんにセットしてもらったのに!」

「せっと?」

「あ、えと……髪を整えてもらったのにってことです」


 つい、カタカナを使ってしまった。
 謝罪しつつ、真由香は手櫛で髪を直した。ああ、滅茶苦茶だ。

 梳いた後、手でぺたぺたと確認してようやっと手を下ろし、真由香は吐息を漏らした。


「世平さん……髪は女の命なんです」

「はは、悪かったな」


 悪びれた様子も無く笑声混じりに彼は謝罪する。

 真由香は唇を曲げた。
 が、それもすぐに弛んでしまう。

 ――――やっぱり、この人達といると、穏やかな気持ちになる。
 長閑で、平和で、静かで、人柄も良くて。
 拾ってくれたのが彼らで本当に運が良かったと思う。盲目の自分が余所で拾われていたら、こんな風に過ごせなかったかもしれない。

 十日後、受け入れてもらえたら、どんなに嬉しいか。
 口元を綻ばせ、真由香はこっそりとそう思った。



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