宮様





†リクエスト内容
 顔良。
 切甘。




酷(はなは)だ風月を憐むは 多情なるが為なり
環(ま)た春時に至って 別恨(べっこん)生ず
柱に倚(よ)って尋思すれば 倍〃(ますます)惆悵(ちゅうちょう)
一場の春夢 分明ならず

『折ふしの眺めがことさら心にしみるのは 愛のとりこになっているため。
 今年もまた春が来て 別れの嘆きがわき起こる。
 柱にもたれてあれこれ思い出すと ますます胸がいたむ。
 しばしの春の夜の夢は もはや定かならぬ霧のかなたに。』


張テイ『寄人』



 夜陰に女の歌うような声は、二胡の音色と共に溶けるように広がった。
 鼓膜に甘い余韻を残し、心を震わせる。


「……今宵は、また寂しい詩ですね」


 声が途切れたのを見計らい、一人の男が建物の影から姿を現す。細い身体に中性的な面立ちだ。淡い色合いの髪は錦糸のように細く、月光にきらきらと輝いていた。白い肌に凛々しさにたおやかさを備え持つ瞳は和み、女を見つめている。

 女は振り返る。白い布で頭を覆い、若葉色の衣に身を包んだ彼女は、黒の双眸がその姿を認めるなり、ふっと相好を崩して男に一礼した。


「今宵もまた、いらっしゃいましたか」

「ええ。今宵も、あなたの声が恋しくなりました。○○、あなたの声は私を惹きつけて止まないのです。……いいえ、それだけではありません。私はあなたの全てが愛おしい」

「まあ、嬉しい」


 顔良の嘘の無い言葉に頬をほんのりと染めて嬉しそうに彼女は笑う。

 それがこちらも嬉しいなんて、本当に自分は恋する一人の男ではないか。
 顔良は笑いながら彼女に近付く。


「では、顔良様。今宵も、聞いて下さいますか?」

「是非」


 顔良と呼ばれた男は、悠然と頷いた。



‡‡‡




 ○○の声は顔良の精神を癒す。
 ○○は今や、彼にとっては無くてはならない存在であった。彼女の全てが愛おしくてたまらない。彼女と出会って、他の女など目に入らなくなってしまった。
 ずっと見ていたい、聞いていたい、○○の全て。

 口を閉じ二胡から弓を離す彼女の手を掴み、その甲に口を付ける。

 ○○は瞠目した。また、頬が赤く染まる。

 そんな彼女を見下ろした顔良は、ふと表情を暗くして問いかけた。


「○○。あなたは何者なのですか?」

「……」


 何度も訊ねた問いある。
 彼女は数ヶ月前に町外れにふらりと現れ、夜な夜な二胡を奏でている。何処の生まれか、ここに来る前は何をしていたのか、全くの謎だった。

 ○○は答えない。悲しげに微笑むだけだ。
 それが、顔良の胸を締め付ける。
 彼女の全てを知りたいと思う。けれどもこうも強固な彼女を見ていると、知ってはいけないのではないかと思ってしまうのだ。

 一つの可能性が、頭の中にある。
 されどもそれは顔良の望まぬもので。
――――よもや、○○が何処ぞの間者などとは思いたくもない。


「私は○○。ずっと、あなたをお慕いしていた女です。それ以外は、言えませぬ」


 ……そればかりだ。
 顔良は悲しげに目を伏せた。今まで言えなかったそれを、躊躇いがちに口をする。そうすれば、彼女は話してくれるのではないかと思ったのだ。


「私は……あなたが袁紹様に害為す者の間者なのではないかと、思い始めているのです」


 ○○が息を止める。
 見上げれば彼女は泣きそうな顔をしていた。されど、顔良と目が合うと何かを堪えるように唇を引き結び、微笑む。


「……そうですか。ですが、あなたのご身分を考えますれば、それは当然でございます。どうかそのようなお顔をなさらないで下さいまし。私の胸も、苦しくなってしまいます」


 「申し訳ありません」○○は繰り返し謝罪する。それでも己の素性を明かそうとはしなかった。
 ただ手を握る顔良の手に己のそれを重ねるだけ。


「○○、あなたは……」

「間者でないと申したところで、その証左はございませぬ。ですが、私は、私があなたにどう思われようと、あなたのお味方で在り続けます。よしや、あなたの心が私から離れようとも、私のこの炎のように燃え盛って身体を焦がす想いは、きっとあなたをお守りするでしょう。信じてくれとは申しません、ただ、ただ心の奥底に留め置き下さい」


 今にも泣き出してしまいそうな笑顔を浮かべたまま顔良の手を胸に抱く○○に、胸が裂かれるようだ。それはどういった意味か、出掛けた問いは咽から下へ落ちていく。
 彼女を間者でないと信じたい。けれど袁氏に仕える者として、確証も無く信じてはいけないのだと心の奥で誰かが言っている。

 彼女は一体何者なのか。
 どうして素性を明かすことを頑なに拒むのか。
 分からないことが、彼女を疑うことがとても悲しい。


「○○……」


 抱き寄せようと空いた手を伸ばそうとすると、○○は素早く離れた。握られていた手が冷えた空気に晒された。
 抱き締めるのも、彼女は拒絶するのだ。
 何故?


「……申し訳ありません。出過ぎたことを申しました。今宵は、これにて失礼致します」

「あ……!」


 ○○の頬から涙がこぼれる。
 それを拭うことは、顔良には出来なかった。
 その前に、彼女は彼から離れてしまったから。


「待って下さい、○○!」


 慌てて呼び止めれば、彼女はぴたりと足を止める。


「……明日も、ここに来て下さいますか?」

「――――」


 ○○は涙を流したまま、ゆっくりと顔良を振り返る。
 そして、微笑んで言うのだ。


「顔良様がお望みであれば、私は必ず、お答え致しましょう」


 その言葉に顔良は酷く安堵した。
 だが、去りゆく彼女の姿に、不安は収まる気配は無かった。

 この幸せな一時は、いつまで続けられるのだろうか――――。



‡‡‡




 ○○は森の中、声を押し殺して泣いていた。
 顔良に間者と思われていることが悲しいのではない。
 胸が張り裂けそうな程に愛おしい彼に何一つ明かせないのが辛いのだ。
 考え無しに逢瀬を重ねていたのだから、いつかそのように思われるだろうことは予想していた。だけど、自分は、自分の生まれや生い立ちなどは何一つ話せない。
 それがとても辛い。

 ○○の頭に布はもう無かった。彼女の足下で、時折風に揺れている。
 頭には二つの三角形がついていた。
 それは耳。○○が人間でない証だ。これがあるが故、○○は明かせない。

 顔良は人間で、十三支と私達を蔑む。
 そんな顔良に自分が猫族と言えば――――。

 ○○は嫌な想像を振り払うかのように首を激しく左右に振った。

 嫌だ。
 知られたくない。
 だけど彼の傍にいたいの。
 彼の妻になりたい。
 彼を独り占めしたい。

 複雑に混ざり合った矛盾。
 それが容赦なく○○の胸を締め付ける。

 苦しい。
 苦しい。
 苦しい。

 けれども自分は、また明日も顔良に会いに行くのだ。
 自分が顔良を求めるから。
 顔良が自分を求めてくれるから。


「顔良様……っごめんなさい」


 愛しています。
 彼女の独白は、風にさらわれ、消える。

 いつまで続くだろうか。
――――否、いつまで自分の心は保だろうか。
 分からない。


「どうして、好きになってしまったんだろう」


 答える者は誰もいない。
 ○○は顔良が口付けた己の手の甲にそっと唇を寄せた。

 その後に続いたのは小さな嗚咽だけだった。

 これが夢なら、良かったのかもしれない。



●○●

 宮様リクエストです。

 少し補足をさせていただきますと、夢主は混血です。猫族の村にいましたが、ふと人間の外を見たいと一人旅に出ました。その後、この町で顔良に一目惚れし、後先考えずに何とか気を引こうとした結果、こうなったということです。意外に猪かな、この子。


 宮様、この度は企画に参加していただきありがとうございました。
 初の顔良でしたので、ちゃんと彼らしいものが書けているか不安ですが、お気に召していただければ幸いです。
 私の書く文を好きでいて下さり、とても嬉しいです。自分の文に自信が付きました。本当にありがとうございます。

 宮様のお言葉を励みに、これからも頑張ります(^-^)
 どうかこれからもよろしくお願い致します。

 お持ち帰りは、宮様のみとなっております。



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