朱葉様





†リクエスト内容
 夏侯惇。
 甘。




 最悪だ。
 夏侯惇は苛立たしげに舌打ちした。

 武器庫にいたところ、奥にいた彼に気付かなかった兵士が鍵を閉めてしまったのだ。真っ暗になった武器庫の中では、よしや暗闇に慣れたとしても容易に動き回れない。
 おまけにここは外から頑丈に閉められるので、内側からは絶対に開かない。誰かが来て武器庫を開ける他に助かる方法は無かった。

 更に、彼の隣にほうと溜息をつく者が一人。若い女だ。
 暗闇の中でもきらりと鋭利に光る赤の青の瞳は、不吉の証だ。
 名を幽谷、生まれてすぐに殺されるべき凶兆、四凶の饕餮(とうてつ)だった。

 偶然彼女もここを訪れていたらしく、夏侯惇共々閉じ込められてしまったのだった。


「くそっ! 夏侯淵との鍛錬があると言うのに四凶とこんなところに閉じ込められるとは……!!」

「私とて、劉備様や関羽様をお待たせしておりますのに……面倒です」


 夏侯惇は幽谷を睨みつけた。


「……そもそも、どうしてお前がここにいるのだ。ここには用は無いだろう」

「鼠を追ってきたのです。どういう訳か、私が劉備様にお作り致しました木彫りの鼠の箸置きを持ってこちらに逃げてしまい……あなたがいなければ誰にも知られないように壁を壊して出たのですが」

「そのようなこと、誰が許すか!」

「ですから、こうして誰かが来るのを待っているのではありませぬか」


 吐息混じりに言った彼女は、懐から何かを取り出し、そっと撫でるような仕草をした。
 するとどうだろう、手にしたそれが光を放ったではないか。
 彼女の手にしていたのは札だった。いつも方術と言い張る妖術を使う為の札だ。それが光を放っている。それ程強い光ではなく、武器庫内の様子が漠然と分かる程度のものだ。

 幽谷はそれを壁に貼り付けると、一人扉の前に立った。そっと手を当て、考え込む。


「ここも壊してはいけませんよね」

「当たり前だ!」

「では、……どのようにしましょうか」


 思案しながら壁を押してみたり叩いてみたりした。
 夏侯惇はやはり壊すつもりなのではないかと彼女の動向を注視し続けた。

 だが、彼女は扉を壊さず、今度は壁に手を当ててこちらに戻ってきた。


「ここは、窓などは無いのですか」

「一応はある。だが、俺達では到底届かんぞ。そこに立てかけてある棒に引っかけて開け閉めするんだ」


 遙か上方にある小さな窓とその真下に立てかかった細長い棒を指差すと、幽谷はそれを交互に見比べ、すっと目を細めた。


「……壊れているようですね」

「ああ。兵士が誤ってな。近々修復する予定だった」


 だから、真っ暗だったのだ。
 幽谷は一つ頷くと、不意に床を見下ろしてあっと小さく声を発した。


「どうした」

「もしかしたら……」


 彼女は夏侯惇の隣に立つと、その場に四つん這いになって武器を立てかける棚の下を覗き込んだのである。


「……何をしている」

「鼠を探して下さい」

「は? 鼠?」


 何故鼠なんだ。
 胡乱げに彼女を見下ろすと、「早く探して下さい」と促してきた。

 仕方なく夏侯惇もそれに渋々と従う。
 だが、この薄暗い部屋で、素早くて小さな鼠を探せるだろうか。
 と、思って幽谷と同じ様な姿で隙間を覗き込んだ直後、視界の端を小さな何かが一瞬で通過した。それは幽谷の方へと走り抜ける。


「おい四凶!」

「あ……! 待って!」


 幽谷は手を伸ばした。だが反射的な行動だった為棚に手がぶつかって大きく揺らしてしまった。

 何かを掴んだ手を引き戻したその刹那。武器が幾つか幽谷に倒れかかった。ほとんどが戦斧である。棚と平行になるような姿勢でいた為に、足から頭へかけて武器が倒れてくる。
 幽谷は咄嗟に手に掴んだそれを胸に押し当て背に庇った。身体を丸めて武器を背に受け止めようとした。

 その直前、頭や背中に倒れてきた物は夏侯惇が咄嗟に手にした剣で受け止めた。傾けて自身の方へ寄せて抱え込む。棚に立てかけてから幽谷を呼んだ。


「おい、四凶。大丈夫か?」

「……っ」


 幽谷が身動ぎする。
 夏侯惇は幽谷の身体を起こしてやろうと手を伸ばし、三振りの戦斧の下敷きになった足に気が付いた。それらを退かせば、幽谷はごろりと身体を転がして上体を起こした。足を触り、溜息を漏らした。


「まさか、折れたのか」

「……いえ、恐らくはヒビ程度かと。申し訳ありません。夏侯惇殿は、お怪我は」

「無い」

「左様にございますか。……っと、」


 ひびが入ってるだけだからと立ち上がろうとする幽谷を、夏侯惇はすぐに止めた。ヒビだけで済んでいるのに、悪化させるようなことをしてどうする。


「座っていろ。ところで、どうして今更鼠を探す必要があるのだ」

「この子に関羽様を連れてきてもらおうかと」


 幽谷に軽く握られた鼠は、口に可愛らしい鼠の小さな木彫りを銜えていた。抵抗すること無くぶらんと尻尾や足を垂らしているが、それを離すつもりはないようだ。
 夏侯惇が胡散臭そうに幽谷を見やれば、彼女は鼠と顔を合わせ、口を開いた。


「関羽様はあなたを捜しているわ。だから、その木彫りを彼女に見せつけて、この部屋の扉の前まで誘導してきて欲しいの。成功したら、それはあげるわ。……ええ、本当よ。お願いね」


 優しく床に降ろすと、正面の壁に向かって走り出した。、
 それを見送って、幽谷はほうと吐息を漏らす。


「おい、鼠も出られないんじゃないのか?」

「いいえ、鼠なら、私達の知らない抜け道を知っているでしょう。それにあの小さな身体なら隙間を通過できます。この武器庫にだって、隙間の一つや二つあるでしょう。後は、彼の働きを信じて待つだけです」


 一息ついて、彼女は足を撫でる。そこは両足共に腫れ上がっていた。
 無表情なので分かりづらいが、相当な痛みを訴えている筈だ。

 夏侯惇は片目を眇めると、近くの剣を二振り、鞘から抜いた。
 その鞘を持って幽谷の側に腰を下ろすとその足に添えた。長さが丁度良いことを確認すると、


「脱がすぞ」

「は?」


 靴を脱がした彼は、太腿までを覆う黒の靴下すらもさっと脱がし、その靴下で鞘を固定した。
 肌が露わになると赤黒く変色し膨張した患部が何とも痛々しい。
 夏侯惇はもう片方も同様に脱がし、固定する。

 幽谷は瞠目し、困惑した様子で夏侯惇の手元を眺めている。


「あの……」

「足はもう動かすな。悪化するぞ」

「……しかし、良く、四凶の足に触ろうなどと思われましたね」


 幽谷は困惑したまま、呟くように言う。

 そこで、夏侯惇もはたと気が付いた。
 そう言えば、自分は今、女の太腿に触れ――――。


「……っ!」


 夏侯惇はがばりと幽谷から離れた。その顔は真っ赤だ。


「なっ、ち、違っ!」

「何故そこで顔が赤くなるのです」


 ……そうだ。これは女ではない。四凶だ。
 だから、別に――――。


「まあ、私でなかったら少々破廉恥でしたけれど」

「〜〜っ!!」


 夏侯惇は頭を抱えた。
 違う、相手は四凶なのだから違うのだと頭の中で否定する。
 幽谷は四凶、人間ではないのだ。だから、人間の女と判断するのは間違っている。

 そうだ。間違っているのだから――――。

 不意に、ぽんと肩に手を置かれて反射的に振り払ってしまった。
 手を置いたのは幽谷だった。足を引きずって夏侯惇に近付いたのだろう。手を振り払われたのに気分を悪くした風も無く、無表情に彼を見据え、


「大丈夫ですか? 頭」


 ――――その言葉で一気に頭は冷めた。


「……っ貴様は、」

「一人顔を真っ赤にして唸られていては、鬱陶しいだけです」


 ぐっと拳を握った。
 彼女はどうしてこうも人を苛立たせることを!
 わざとであれなおば質(たち)が悪い。
 夏侯惇は舌を打ち、幽谷に背を向けた。

 幽谷の溜息が聞こえた。溜息をつきたいのはこちらの方だ。
 ああ、早くここから出たいものである。



‡‡‡




 どれくらいの時間が経った頃だろうか。


『待って! その木彫りは劉備のなの! 返して!』


 関羽の声が聞こえた。段々近付いてくる。

 幽谷は咄嗟に立ち上がろうとして足に痛みに体勢を崩した。
 前のめりに倒れたところを夏侯惇が即座に支えてくれた。


「関羽様!!」


 声を張り上げる。
 すると扉の向こうに来たらしい関羽が、


『え? 今、幽谷の声が……』

「関羽様!! 武器庫の中に!!」

『え……ええっ? 幽谷、武器庫の中にいるの? どうして!?』


 夏侯惇と共に閉じ込められたのだと言うことを簡潔に伝えると、彼女は「待ってて」と扉をがたがたと鳴らした。
 程無くして扉が開かれると同時に光が差し込む。

 関羽は夏侯惇に抱き締めるような形で支えられる幽谷の、腫れ上がった両足を見た途端真っ先に彼女に駆け寄って、夏侯惇の身体を押し退けた。夏侯惇は、壁に身体を強か打ち付けた。


「こ……の! 十三支の女ぁ!!」

「幽谷! どうしたのこの足! 折れてるの?」

「いえ、ヒビが入った程度で……」


 夏侯惇が拳を握って息巻いている。関羽は全く気付かない。幽谷の足を痛ましげに見下ろし、はたと顔を上げた。


「幽谷、まさかこの足で自分で手当したの? 靴脱ぐの相当痛かったんじゃ……」

「いえ。夏侯惇殿が手当して下さいました」


 関羽はえっとなる。
 幽谷の足を見下ろし、夏侯惇を振り返る。


「夏侯惇! まさか幽谷の足に触れたんじゃ……!」

「まあ、脱がされましたし」

「脱が……っ!?」


 靴と靴下を。
 と付け加えなかった幽谷は、関羽の様子がおかしいことにあっと声を漏らした。
 彼女は何を勘違いしたのだろうか。


「夏侯惇! こ、こんな場所でまさか幽谷を、足まで折ってまで……!!」

「……は?」


 関羽はその場にあった長柄の武器を持つと、切っ先を夏侯惇に向けた。


「貴様、何を!」

「見損なったわ夏侯惇!! 二人っきりなのを良いことに、幽谷に、幽谷にこんな酷いことするなんて!」

「何か勘違いしてるだろう!?」

「問答無用!!」


 夏侯惇に切りかかる関羽に、幽谷は苦笑し、溜息をついた。
 そうして小さく、夏侯惇に謝罪した。



 これから暫く後、ようやく誤解の解けた関羽が、夏侯惇に必死に平謝りしている様子が兵士に目撃されている。



○●○

 朱葉様リクエストです。

 リクエストは甘だったんですが、……甘くないしただ夏侯惇が無自覚でセクハラ紛いのことしただけの話です。いや、女として意識してらっしゃいましたが。

 洛陽の時点で甘くしてみようと考えたんですが……締めは関羽の勘違いですし。
 ベタなシチュエーションに頼ったのがいけなかったのかもしれないですね(・・;)


 朱葉様、この度は企画にご参加いただいて本当にありがとうございました。

 心暖まるお言葉、恐縮です。畦菜の力とさせていただきますね(^-^)
 このような作品になってしまいましたが、どうか気に入っていただければと思います。
 書き直ししてほしいとあれば、いつでもお受け致します。

 本当にありがとうございました。

 なお、お持ち帰りは朱葉様のみとなります。



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