「……お前が言っていた魔性のことだが」


 明かりの無い部屋の片隅から晴明が、正反対の壁際に横たわる澪に切り出した。
 村長の厚意で空き家を一夜の宿に借りた晴明と澪。金波は遅れて合流し、澪の横に寝ている。

 澪が嫁入り前の娘だからと、晴明は澪と寝床を離す。
 死人なのだから、誰かに嫁ぐという未来は有り得ない。そんな気遣いは不要だと言うのに、彼は律儀に守る。
 仕方がないので澪ももう何も言わないでいる。

 「はい」澪は腕の中で眠る我が子を起こさぬよう首だけを動かし、返事をする。


「本当に、この国に来ているのか?」

「あの方が気配を追ったところ、この国に間違い無いとのことです。ただ、失った力を取り戻そうと何処かに潜伏しているらしいのですが、詳しい場所の特定にまでは至らなかったようです」

「大怨の中に混じっている可能性は?」

「あると思われます。いえ、混じると言うより、取り込もうとするかもしれません。こちらに逃れる時のかの魔性は力のほとんどを失っており、海を越えてたことでまた更に消耗していると考えられます故」


 晴明が溜息をついた。


「大怨の掃除が早く済むのは助かるが……更なる面倒事が増えるのは御免だな」

「申し訳ございません」


 澪は『あの方』の代わりに謝罪する。

 『あの方』とは、澪に器を作り与えた大陸の仙人である。
 元々彼がこの国に来た理由は、こちらへ逃げ出したさる魔性のモノを討滅する為。
 しかし身体の限界を感じていた彼は、すでにこの国にはいない。今も生きているかも分からないと、父黄泉の王が寂しげに呟いていた姿は記憶に新しい。

 彼はこの国を去る前に、黄泉の王に魔性のことを頼んでいった。

 黄泉の王は、現世に生きる晴明、そして贖罪の為現世に出ている葦屋道満の二人に托すことに決めた。
 晴明には澪が、道満には銀波が、仙人の残した情報を全て伝えている。

 ただ、仙人の残した情報には、魔性の名やこの国へ逃げた経緯など、幾つか欠落した部分があった。意図的に隠したと思われる。
 直接聞いた黄泉の王はその時の彼の様子から訊かずに置いたようだ。


「いつになるかは分かりませんが、お弟子さんがこちらにいらっしゃるそうです。ただ、かの者を打ち倒せるだけの実力を身につけてからとのことですから……」

「こちらで解決させるつもりでいなければならぬ、か。だが、私とて寿命はある。私が死した後、これを誰が継ぐ?」

「叶いますならば、兄様の子々孫々にも語り継いでいただけると」


 晴明は、現在道満も大怨を追っているとは知らない。自分と、都にて皇が結成した陰陽師集団『月輪』のみが大怨を祓っているとの認識である。
 まあ、最近薄々と別の手が入っていることに気付いてはいるようだが。

 澪はふと、都に思いを馳せた。
 報告の為に定期的に黄泉へ帰ってはいるものの、澪が源信らの前に姿を現すことは無い。
 晴明から遠回しに会いに行けと言われてもやんわりと拒絶する。

 自分は死者。現世での生を終えた者。

 本来ならば自分と彼らは交わってはならない。
 特に――――皇とは。

 理に背かなければならなかった非常事態はもう終わった。
 黄泉と現世が凪いだのであれば生と死の線引きは守られるべきである。
 もう黄泉の澪標の出る幕は無い。

 勿論、現世に未練が無いと言えば嘘になる。
 澪に都への名残惜しさ、恋しさがあると知っているから晴明も都に戻る度に言うのである。

 そう言えば、昼間に歩いた森にはちらほらと葉が赤く、或いは黄色く色付いている木が見られた。
 もうそろそろ、紅葉が始まる頃だろう。
 秋の都はどんな表情を見せるだろう。

 ふと、胸の奥から湧き上がる温かくも切ない感情に、息を詰まらせた。

 殷賑(いんしん)な市に満ちみちた明るい活気が懐かしい。
 晴れやかな笑顔で学ぶ未来ある子供達が愛おしい。
 生命力に満ち溢れた清らかな糺の森が恋しい。
 土蜘蛛と蔑まれた者達へ、羅城門に留まっていた異国の者へ、遥か北の王が眠る地へ、自分が気に入った花を沢山供えてあげたい。
 今の自分のままで、仕事寮の依頼をこなしてみたい。

 これらは澪は都に着くと必ず騒ぎ出し、押し殺す感情だ。
 死者である私はもう都には不要な存在、これからは己の領域で為すべきことを為すのみなのだと言い聞かせて、胸の奥底に厳重に閉じ込める。

 再び騒ぎ出すのを抑え付け、少し揶揄するような口調で、


「ですので、どうか彩雪さんとなるべく早くお子を」


 と。

 晴明の反応が遅れた。


「……何故そうなる」

「あ、そうでした。まずは婚儀が先でしたね。ええと、確か三日くらい……」

「そういうことではない」

「出来れば、彩雪さんに似たお子をお願いします。兄様」


 晴明が舌打ちする。
 きっと、その頬は仄かに赤らんでいるだろう。

 澪はくすりと笑って、顔を上へ向けた。
 上には天井がある筈だが、吸い込まれてしまいそうな果て無き闇が広がっているようにしか見えぬ。


「一番良いのは、大怨を追う中で見つけられること。後世に背負わせるのは、そのお身体が衰えるまでに見つけられなかった時です。まだ、猶予はございます」

「出会えれば良いのだがな」

「私も、そう願います」


 道満も、大怨と魔性を並行して追ってくれている。
 だからきっと、その時が来れば二人は共闘することになるかもしれない。
 いや、仙人が海を越えてまで追いかけて来る程に危惧している魔性が相手なのだ、討ち果たすにはこの二人が共闘しなければならない。

 願わくは、再び都が脅威に襲われることが無きよう……。
 彩雪達仕事寮が苦難に遭わぬことを、澪は願わずにいられなかった。



 澪はまだ、この後黄泉に訪れる異変を知らずにいた。



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