澪達と共に宴に戻ると、和泉達は澪を見た瞬間沈黙した。
 唯一、晴明だけが彼らの間に走った切ない緊張を壊すように、いつもの調子で澪に話しかけた。


「遅かったな」

「申し訳ありません、兄様。標達と合流してから参りましたので」


 澪はそう言葉を返した。和泉達に丁寧過ぎる程の態度で獄卒鬼を紹介し、慇懃に一礼してから簀の子へ上がった。
 その時の和泉の顔が何かを抑えるように強張っているのが、彩雪から見てもよく分かった。

 彩雪が空いた席に案内すると、銀波が真っ先に彩雪の隣に座り、澪、標、金波、獄卒鬼の順となった。
 銀波がこっそり、標は久し振りに二人に会うのだと彩雪に言った。だから、二人が標を挟むよう銀波が先んじたらしい。
 標が興味津々で料理を覗き込み二人の服を引っ張って問い掛けているのを見て、また澪の腕の中にいる小舟が標の真似をして前のめりになって料理へ腕を伸ばしているのを見て、ほんわかと心が和んだ。

 ライコウが自ら人を呼び獄卒鬼の膳を追加するよう言い付け、酒を持って獄卒鬼の側に移動してくる。


「あの時のご助力、誠に感謝している。今宵は、獄卒鬼殿もどうか存分に楽しんでくれ」

「……」


 盃を持ち、獄卒鬼は軽く会釈する。注がれた酒を一息に飲んだ。

 好奇心の泉がなかなか枯れない標に、途中で源信が料理について教え始めると、標の質問は料理に関係ないことにまで及んだ。源信が嫌がらずに一つ一つ丁寧に分かりやすく教えてくれるのが、標は楽しくてたまらないらしい。
 元気で無邪気な彼女は一人でもとても賑やかで、宴に更に花を添えた。
 弐号を見た途端「美味しそう!」と飛び掛かろうとしてちょっとした騒動になったけれど。そこは、さすが双子と言うべきか……。


「源信さま、満月先生みたいに標に一杯教えてくれるね!」

「満月先生?」

「うん! 満月先生もね、標が知らないことをたっくさん知ってて、標がきいたら何でもおしえてくれるんだよー! ね、銀波もいっぱいおしえてもらってるもんね」


 無邪気に同意を求められた銀波は、一瞬だけ表情を強張らせた。

 ややあって、ぎこちない笑顔で大きく頷いた。


「そっすね! いや、ほんと、勉強になりましたよねー!」

「そう。私達と離れている間、二人共凄く勉強したのね」


 澪は楽しげに二人を交互に見る。
 金波もだ。
 二人共、視線にちょっと含みがあった。


「標ちゃんも旅をしてたんだね」

「うん! 標もお外に出たいって言ったら、お父さんが満月先生と銀波といっしょに行ってきなさいって。澪姉ちゃんみたいに、いっぱい見ていっぱいべんきょーしてきなさいって!」

「そっかぁ」


 標と話していると胸がほっこりする。

 彼女とこちらを旅していると言う満月先生も、冥官や獄卒鬼など、黄泉に属する誰かなのだろう。
 標が懐いているのだから、とても良い人なのだと彩雪は思う。いつか満月先生と直接会って話してみたいとも。

 暫く彩雪も彼らの会話に参加していたが、ふと和泉の様子が気になって首を巡らせた。
 澪達が合流してから一言も発していなかった和泉は、微笑ましそうに澪達を眺めており、彩雪と目が合っても苦笑いを浮かべるのみで会話に加わろうという気は無いようだった。

 彩雪は料理を一口食べる度にはしゃぐ標の世話を焼く澪を見やり、もう一度和泉を見やる。
 と、新しい酒が運ばれて来るのが見えた時、一つ思いついた。


「澪、みんなにお酒を注ぐの手伝って」

「え?」

「新しいお酒が来たみたいだから」


 突然の誘いに逡巡する澪が断る前に、彩雪は腰を上げて彼女の手を引いた。小舟がいつの間にか標の膝の上に移動していたのは丁度良かった。

 困惑する澪を連れ、酒を受け取って澪にも渡す。
 自分は晴明やライコウの方に向かうからと、強引に壱号達や源信、そして和泉を任せた。

 澪の顔が引き攣ったのが分かったが、彩雪は無視してまずは源信の方へ背中を押した。


「あ、あの、彩雪さん。私は標の面倒を……」

「澪様。標様の面倒なら俺達で見ておきますよ」


 銀波がすかさず彩雪の援護をしてくれた。
 彩雪を止めようとしていたらしい金波が腰を浮かしたまま銀波を睨んでいるが、へらへら笑って無視している。

 こちらに向かって手を振る銀波に謝罪と感謝を同時に込めて両手を合わせ、彩雪は源信の膳の前に澪を座らせた。


「さ、彩雪さん……私、こういったことはよく分からなくて、」

「大丈夫。仕事寮の仲間にお酒を注ぐだけだもん」
 

 『仕事寮の仲間』を強調し、彩雪は源信に目配せして自らは晴明の方へ。
 澪は何度も彩雪を呼んでいたが、源信に宥められたのか晴明の前に座る頃にはぱたりと止んだ。

 晴明が呆れ返った顔で彩雪を見ていた。
 これみよがしに溜息をつく主に、彩雪は笑顔で酒をやや傾けて見せた。


「はい、晴明様。お注ぎします」

「お前達は……」

「今は仕事寮だけの宴なんです。ここではみんな仕事寮の仲間で、死者だとか、まつろわぬ民だとか、関係ありません」


 強い語気で言い切る彩雪に、晴明の何かを案じる瞳が澪に向けられる。

 ずっと澪と旅をしていて彼女の様子を見てきた晴明の胸のうちにあるものを知らぬ彩雪は、積極的に澪を仕事寮の仲間として皆と交流させようとしている。
――――以前のように。


「……より思い詰めることにならねば良いが」


 ぼそりと、晴明は呟いた。


「? 晴明様、今何か言いました?」

「何だ、幻聴か? となると、何かしら不具合が生じているのやも知れん。近いうちに耳の状態を確認してみなければならんな。……ふむ、ならば面倒だが薬や刃物も用意せねばならんか」

「く、薬? 刃物!?」


 彩雪は身を仰け反らせた。

 青ざめる彼女へ晴明はよくよく整ったかんばせに美しい笑顔を張り付け、喜々として言葉を続けた。


「ああ、そうだ。耳のついでにその目も今のうちに確認してみよう。幻覚を見ないとも限らないからな。その時は目を閉じれぬよう瞼を……」

「だ、大丈夫! 大丈夫です、晴明様! わたしはいつでも健康ですから!」


 刃物を使うって何!?
 薬ってどんな薬!?
 首をぶんぶん振って拒絶すればする程、晴明の笑顔は輝き爽やかになる。
 彩雪を弄ぶ為の冗談なんだろうけれど、冗談に聞こえないからいつまでも恐怖で身が竦んでしまう。

 青ざめる彩雪と、とても良い笑顔をする晴明を、横目に見ていた銀波が、


「あのさ、久し振りに会えて嬉しいのは分かるけど、俺から見てもあんたら標様の教育に悪そうなんで、いちゃつき方はもう少しまともにしてくんね?」


 標様の好みが危ない趣味の男になったら澪様も兄貴も、黄泉の王も泣くと思う。
 低い声で呟いた。

 瞬間、二人が固まり同時に澪を振り返ったのは、過去の記憶がそうさせたに違いない。



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