弐
じゅる、と吸い上げると芳醇な香りが口内に広がり、鼻腔にまで来る。
僕はうっとりとその極上の味に酔いしれながら、賈栩の身体に抱きついたまま牙が食い込んだ跡を何度も嘗めた。
血だけじゃないと駄目だ。
そう自分に言い聞かせるけど、本心は納得出来なくて。
こんなに美味しいのに……。
「何で食べちゃ駄目なんだろ……」
「そりゃ、誰だって死ぬのは嫌だろうさ。妖怪に食われるのなら尚更」
寝台の上で胡座を掻いた賈栩に乗り、僕はムッと唇を突き出す。
でも賈栩はどうでも良さそうじゃないか。嫌がるのは十三支達だけだ。
本人が嫌がらないのに何で余所の奴に食べちゃ駄目って言われなきゃいけないんだ。
もう一度首に噛みつこうとすると、賈栩は僕の顔をぐいと押して退かされた。宥めるように頭を撫でられ、僕が乱した寝衣を脱いだ。
「あんたに血も飲ませたし、着替えるから、出ていってくれ」
「へいへーい……ちぇっ」
僕は賈栩から降りて小走りに部屋を出ていった。
行き慣れてしまった廊下を走り、いつもの城壁の上へと登る。
人間の兵士が外を警戒しているけど、不味い肉に興味は無い。と言うか賈栩の味を覚えちゃったからその辺の女子供だって美味しく感じられなくなりつつある。
普通、男よりも良い暮らしをした女子供は美味しいのが当たり前だったのに、許昌で食べた女よりも賈栩の方が美味いって、何か変だ。
……あれ、何か前に長(おさ)じいがこんなこと言ってたような気がする。覚えてないけど。覚えてないと言うことは大したことじゃないってことだよね。気にすることも無いか。
賈栩の肉を食べる為にこの城に滞在している僕だけど、もう数週間になる。
その中で、十三支が元人間で、金眼を殺して呪いを受けただけの存在でしかないって詰まらない真実も分かった。期待が一気に萎んで行った感覚、本当に不愉快だった。
僕の中で急激に熱は冷めていったけど、まあ十三支――――じゃない、猫族達といるのは嫌いではない。
色々と気楽なんだよね、うちと違って。
「帰ったらどれだけの奴が食い殺されてるんだか……」
「食い殺される!?」
「うおっ!」
後ろから、驚いた声をかけられて僕の方も驚いた。
前のめりになって距離を取ると、声の主はすぐに謝ってきた。
……関羽だ。
反射的に鼻を塞いだのは、仕方ない。
賈栩を守る為、関羽が自分の血肉を差し出したのだけれど、趙雲以上に不味かった。物凄く不味かった。思わず泣いちゃったもん。何であんなに不味いの、こいつの肉。
顔を歪めると、関羽は苦笑を浮かべて僕から距離を取った。
「……そ、それで、仲間が食い殺されるって誰に?」
「仲間? 僕達キ雀は家族以外は同じ種族でも餌だよ」
関羽は目を丸くした。
「え?」
「僕達は家族以外を信用しない。だっていつ襲われるか分からないからね。繁殖期くらいだよ。まあ交尾の最中に雌が興奮した雄に食い殺されるのも結構多いんだけど」
「お、同じ種族で食べてしまうの……?」
「同じ種族だから、食べるんだよ。良く似た力を持った生き物だから。他の妖怪は食べたらどんな影響が出るか分かんないけど、同種ならそんな心配は無い。人間には遠く及ばないんだけど……その辺の犬よりは美味しいらしいよ」
関羽はぶるりと震えた。「おかしいわ」なんて言うけど、僕らとしてはそれが当たり前なんだよな。
「弱い奴は強い奴に食われるのは当然でしょー」
「でも同じ種族なんでしょ?」
「でも僕らは人間でも猫族でもないよ。おかしいって言うのは君達の常識からすれば、じゃんか」
肩をすくめてそう言えば、関羽は途端に悲しそうな顔をする。
「あなた達からすればそうだろうけど……そんなの、悲しいわ」
「悲しいねぇ……まあ、確かに食べかけで放置された同種族を見るのは気分悪いけどさー」
後頭部で両手を組んで関羽に背を向けた。
「ねえ、◯◯。良かったらずっとここにいない?」
「いや、別に良いよ。賈栩食べたら帰るし」
「でもそうしたら……あなたが食べられるかもしれないんでしょう?」
「そうだね。でもそれも当たり前のことだし。僕が弱かっただけだじゃないか」
そう言うと、関羽は眦を下げる。そんな顔をする必要なんて無いのにさ。
「……やっぱり、賈栩を食べさせないようにしなくちゃ」
「何か変な頭してるよね、関羽って」
「え、変!?」
「滅茶苦茶ヘンテコな思考してる。君の言う仲間を食べようとしている妖怪を助けようとしてるでしょ」
普通に考えないことだよね。
片手を挙げて僕は関羽の脇を通り抜けた。
「あ、◯◯!」
「賈栩のとこ行ってくるー」
「え……だ、駄目! 賈栩を食べちゃ駄目ー!」
それは賈栩の為なのか、僕の為なのか……。
変な頭だなあ、関羽。血肉は類を見ない程にクソ不味いのに。
ぱたぱたと小走りに廊下を走っていると、不意に誰かに呼び止められる。立ち止まると関羽に追い付かれた。
「あ、賈栩。着替えたの? 肉くれる?」
「だから駄目!」
「だそうだ。残念ながら俺の命は猫族のものでね。指一本くらいは良いだろうが」
「絶対駄目!!」
「ということらしい」
「むー……」
賈栩は口角をつり上げて、僕に歩み寄る。
何をするのかなーと思っていると、彼は僕の顎を掴んで少しだけ上げた。顔がぐっと寄って首筋に埋まった。
「んっ?」
ペロリと舐められて肩を縮める。
駆け抜けた悪寒に片目を眇めていると、賈栩は何かに納得したように頷いて顔を離した。
その直後、関羽が僕を賈栩から離す。
「賈栩! あ、あああなた今何を……っ!」
「……やはり、甘い」
「甘い?」
「手でも良いから舐めてみると良い。異様に甘いんだよ」
「僕の身体が? うっそだぁ」
自分の手の甲を舐めてみる。
眉間に皺を寄せた。
「……本当だ。ってか賈栩の味になってる」
「えぇ? どういうこと?」
賈栩の血を飲んでるからかなぁ……。
……。
……。
……。
「……あ!」
「な、何?」
「長じいが言ってたこと思い出した」
掌に拳を落とし、頷く。
「僕、『餌化』が始まったんだ。このまま帰ると確実に同族に食われるね」
「え――――えぇええ!?」
わー、驚いた。
‡‡‡
『人間を食べる時、ごく稀だがとびきり美味い奴がいる。それは絶対に食い尽くしてはならない。一口で我慢しなさい』
『理由はただ一つ。その人間の血肉に影響されて、我らにとってとても美味い肉に変化してしまうのだ』
『そうなれば、ここに戻ったその時、我らは争い群がるだろう』
『その人間の見分け方かい? そうさなぁ……大概が生まれつきのもので、性格に問題があることが多いと聞く』
『他の妖怪にとっても美味い肉になってしまうから、絶対に食べてはいけないよ。分かったね』
『……食べてしまったら? その時は諦めて里に戻ってきなさい』
『同族に食われた方が、少しは幸せだろうからね』
○●○
続きます。
滅茶苦茶設定凝ってしまってるので続きます。
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