大急ぎでお医者様を捜して城内を駆け回っている中、孫権様と尚香様とすれ違った。
 ちゃんと謝罪と経緯を説明しなければ――――と思いながらも、今はそれどころではないので驚く二人に早口に無礼を謝罪するだけに留めて通り過ぎた。あとで姉様にキツく叱られるだろう。

 息が上がって立ち止まって休憩しようかと思い始めた頃、私は中庭に面した回廊に出た。
 柱に手をついて息を整えていると、聞き慣れた声が聞こえてきた。


「……いたっ」


 周瑜様とお医者様が、向かいの回廊で話している。
 私は呼吸もまだ完全に整えていない状態で、二人に駆け寄った。

 周瑜様が私に気付き、険しい顔が更に怖くなる。

 彼が何かを言う前に私はお医者様の袖を摘んで、


「あの、お医者様! 心杏のことなら、母親の私が伺います」

「おい、◯◯」


 咎めるように言う周瑜様を一瞥し、お医者様は不思議そうな顔をした。

 私が促すと、その表情のまま三つ程候補地を挙げてくれた。空気の綺麗な場所なだけに、人がほぼ入らないような山や森の中なのだけれど、うち二つには近くに小さな村があって、お医者様の友人がいるそうだ。彼らも医者をしていて、猫族に対する差別意識も薄く、村人達に慕われているからお医者様が話を通して心杏を任せても問題は無いだろうとのこと。

 私は周瑜様が判断を妨げるようにキツく呼ぶのを無視し、考え込んだ。
 もう少し詳しくそれぞれの特徴を訊ねようとすると、周瑜様に口を塞がれる。

 戸惑うお医者様に周瑜様が告げたのは、柴桑から最も離れた候補地だった。しかも、唯一付近に村が無い、山奥。
 そこは元々肺と心臓を患っていたお医者様のお兄様が娘と暮らしていて、先月お兄様が亡くなり娘がお医者様の勧めでこちらに越してきた為、空き家になったそうだ。

 私の中では医者や人の力を借りられないそこは論外だったから、周瑜様の勝手に焦った。

 私はまだ決めていない! 私の方でもっと吟味(ぎんみ)したいのに!
 暴れて猛抗議する私を押さえ込み、周瑜様はそのまま話を進めてしまおうとする。
 なので、最終手段。乱暴だけれど周瑜様の足先を踵で思い切り踏んづけてやった。


「いって……!」


 拘束が弛んだ隙に周瑜様を押し退け、距離を取る。


「あの、同じことを繰り返させて恐縮なのですが、私にももっと詳しくお話を聞かせて下さい。私の方でも、ちゃんと候補地の特徴を比べて考えたいのです」

「え……ええ。よろしいですよ。では、まずは――――」


 私のお願いに応じて下さったお医者様の言葉を遮って、周瑜様が間に割り込んだ。


「待った。その説明ならオレがしとく」

「周瑜様」


 抗議すると、周瑜様は私の頭を撫でながら苦笑をお医者様へ向ける。


「どうも、オレが二人を置いて勝手に物事を決めようとしたのに腹を立てているらしい。オレ達で話し合ってから、もう一度相談させてくれ」

「ちがっ」


 一瞬のうちに距離を詰められてまた口を塞がれてしまう。

 不如意なことにお医者様は納得がいった顔で頷いた。
 私を見て目元を和ませ、周瑜様に視線を戻す。


「そうでしたか。女性の扱いに慣れている周瑜様でも、奥方となると……」


 「それ以上は止めてくれ」周瑜様が少し焦った様子でお医者様を止めた。


「それ関係で◯◯の前で何度かやらかしてるんだよ」

「分かりました。では、話がまとまりましたらいつでもお越し下さい」

「悪いな」


 お医者様は周瑜様に頭を下げて私達の横を通り過ぎていく。
 制止をかけようとする私の口を塞いだまま、周瑜様はお医者様を見送る。お医者様の姿が曲がり角で消えても暫くは解放してもらえなかった。

 ようやっと口が自由になって、私は周瑜様の腕から脱出、正面に立って呆れと怒りが入り交じった顔の周瑜様を睨んだ。


「アンタな……まだ心杏と二人で暮らしていくつもりでいるのか?」

「確かに、周瑜様がついてくることにまだ少し納得が行っていませんが、それよりもまず、周瑜様の認識を正さなくてはいけません」

「は?」


 私は、目を瞠る周瑜様を真っ直ぐ見据えた。


「勘違いなさらないで下さい」

「勘違いって、何がだよ」

「確かに私は周瑜様と諸葛亮様の会話をたまたま聞いて、曹操の行軍が異常に速く、このままでは不利になることは存じておりましたが、その前に私の耳に曹操が私達を欲している話は届いておりました。ですがそれだけで曹操のもとへ行こうと決めたのではありません。張遼に襲われた時、姉様とお腹の子を守る為、あの状況を上手く切り抜けるには自分に出来る範囲でどうすれば最善なのか、ああすることが自分の頭で導き出した答えでした。それを私自身ではなく周瑜様に責任があるなどと言われてしまうのは心外です」


 周瑜様や諸葛亮様に比べれば私の頭脳など大したことないのは分かっている。
 けれど賢くなくとも、愚かなつもりはない。
 あの時持っていた情報をもとに、自分の頭で導き出した最善策だった。周瑜様に決められたのでは決してない。


「私の行動にまで周瑜様が責任を感じられる必要は一切ございません。これは私の自己責任です。それでも責任の所在がご自分にあると仰るのなら、私も周瑜様の部下の方々を見殺しにしてしまった責を負い、今から孫権様より厳罰を受けに参りましょう」


 はっきりと言う。

 周瑜様は何かを言いかけ、私から目を逸らした。
 首筋を撫で、悲しげな顔になった。

 彼の返答を待っていると、頭を撫でられた。


「……気、遣わせて悪いな。オレに気を遣わなくて良い」

「気を遣ってはいません。事実です」


 周瑜様は苦笑いを浮かべ、静かに首を横に振った。
 頭を撫でていた彼の手が下へ滑り、頬へ至る。感触を確かめるように頬の肉を軽く揉んだり指でやんわりと挟んだりを繰り返す。


「周瑜様」

「アンタを曹操のもとへ送り込み籠絡させることが出来れば戦が有利に動くかもしれない――――と、一度だけ考えたことがある」

「え……」

「だからアンタが張遼と曹操のもとへ行ったと知らされた時、血の気が引いたよ」


 そこで、言葉が途切れた。

 私も、口を閉じる。

 周瑜様がそんなことを考えていたことには少し驚いたけれど、都督という立場を思えば納得出来ることだ。
 きっと彼の優しさで選ばれなかったのだろうその策を、奇(く)しくも私が自分で思いついて実行してしまったのだ。

 どうやらそれが、周瑜様の自責の念を強めているようだった。

 周瑜様をじっと見つめていると、頬の感触を確かめていた周瑜様の手が離れ、かと思えば背中に回って抱き寄せられた。
 胸に顔を押しつけられた私は、困惑して周瑜様を呼んだ。

 周瑜様は、放してくれない。


「アンタが船から身を投げたのは、成り行きとはいえ妻にした女を戦に利用しようとしたオレへの罰だと思った」

「それは考え過ぎです。ただ偶然が重なっただけです。周瑜様のお立場を思えば策の一つとしてお考えになるのも当然のこと。諸葛亮様だって、きっと仰らなかっただけで策の一つとして胸の内にあったと思います」

「諸葛亮とオレとでは関係が違う。諸葛亮は赤の他人で、オレは◯◯の夫だ。オレは国を守る為に妻を余所の男に渡そうとしてたんだ。それを策として考えること自体、道義に反していた」


 周瑜様の腕の力が弛む。ゆっくりと解放された。

 私は数歩退がった。笑みも失せ真剣な表情の周瑜様を見上げる。


「オレの道義に反した行いが、アンタを道義に反した行動に走らせた――――アンタが身を投げてから、ずっとそう思っていた」


 手が伸びてくる。
 もう一度、頬を撫でられた。


「アンタが戻ってきて、曹操に何もされなかったと分かって、どれだけ安心したか……」


 私は周瑜様の手に己の手を重ねた。

 周瑜様は存外に、優しくて真面目な人。
 私が思う以上に悩んでいたようだ。

 本当に、私の自己責任なのだから周瑜様が気にされることではないのだけど、私程度の頭で何を言っても、いつもお国の色んなことに考えを巡らせているような周瑜様の考えを変えられはしないだろう。
 それでも何か言わなければと思考を巡らせていると、周瑜様の手が離れた。


「オレがアンタと心杏について行くのは、同じ荊州猫族の心杏が心配なだけじゃない。オレが、このままアンタと離れることを良しとしないんだよ。アンタのことは、すでに張遼から曹操に伝わっているだろう。曹操のことだ、アンタが生きていると分かれば執念深く草の根分けても捜すに決まってる。なら、誰かが側で曹操から守ってやらなきゃいけない」


 その為にオレは◯◯と心杏と共に柴桑を出る。
 周瑜様は強く告げた。

 そして、少し悲しげに笑う。


「だから、何度拒まれたってついて回るからな」


 私は顔をしかめた。
 これは……私が諦めた方が良さそうだと、彼の言葉の強さにそう思わざるを得なかった。

 曹操のことを、すっかり失念していた。
 確かに私のことが彼に知られるのも時間の問題。
 死んだと思われていた二喬の妹が生きていて、柴桑に戻っていると分かれば、また攻め寄せてくるかもしれない。

 そうなる前に、心杏を連れて柴桑から出て行かなければ。
 ……いえ、出て行く前に私が本物の◯◯――――小喬ではないと相手に分かるように手を打たなければ!


「安心しろ。少なくとも今はまだ曹操は軍を動かせない」

「え?」


 私の心中を察したみたいに周瑜様が言った。

 驚く私に、周瑜様は、


「顔を見れば大体は予想が付く」


 と。

 思わず自分の頬に触れた。


「曹操はまだ、先の大戦で衰えた国力の回復に忙しくて侵攻どころじゃない。だから今のうちにオレが都督を辞して妻を連れて呉を去ったと公にすれば、こちらの動向を警戒している曹操の耳に必ず届く。それに偽の情報を加えて、この国からも、オレ達が移住する土地からも、奴の意識を逸らしておくんだ」


 そこで、彼が近くに村の無い場所を選んだ理由が分かった。
 人目を避ける為だ。
 偽報で意識を逸らすことに成功しても、何処で情報が曹操へ流れてしまうか分からない。
 周瑜様はそれを警戒していたのだ。


「心杏と◯◯の身を守る為には、オレが側にいた方が断然良い。アンタもそう思うだろう?」

「……そう、ですね」


 小さく頷くと、周瑜様は目に見えてほっとした。
 「じゃあ、決まりだな」私の手を握り、歩き出す。

 けど……まだ、私の中で納得がいかない。

 ほんの小さなつっかえが、取れない。



‡‡‡




 あの後姉様の部屋へ戻り、孫権様と尚香様にちゃんと謝罪と説明をした。

 本当に、有り難いこと。二人は私に無茶をするなと怒り、無事だったことを喜び、また心杏を身内だと受け入れて優しく接してくれた。

 ほっとしたのも、つかの間である。

 それからの展開は私が介入する隙も無いくらい速かった。
 周瑜様が、私が完全に承諾したものと勝手に判断し、私に黙ってお医者様や孫権様達との話し合いを急いで進め、あっと言う間に準備を整えてしまったのだ。

 もう少し私達でしっかり話し合うべきだと主張したけれど、曹操のことがあってか取り合ってくれない。

 姉様も孫権様も尚香様も、私達の身の安全の為にはと周瑜様に協力的だ。ただし、定期的な手紙のやり取りを条件に、だけれど。

 周瑜様が私達に付いてくることにまだ納得出来ていない私を知ってか知らずか――――多分、知ってて無視しているんだろう――――周瑜様は出立の日取りも勝手に決めてしまった。

――――そして今、私達は人通りの少ない山道を下っている。


「そんな顔するなって」


 心杏の手を引いて前を歩く周瑜様の背を、恨みを込めて睨んでいると、周瑜様が苦笑混じりに振り返る。


「オレが同行するのに納得してないアンタがまだごたごた言うのが分かってたからって、勝手に進めたのは悪かったと思ってるよ」


 ……やっぱり知ってた。
 眉根を更に寄せると、彼は肩をすくめる。


「アンタが納得してないのは、成り行きで夫になっただけのオレが責任感だけでついてきていることだろう? アンタはそれを申し訳ないと思ってる」


 小さく頷く。

 そう。もし私と周瑜様がお互いが大好きで、一生添い遂げると誓い合っていた仲なら、私だって彼の選択は喜んで受け入れただろう。

 だけど現実はそうじゃない。
 心杏を放っておけない私に、夫婦だけどただの同居人程度の中でしかない周瑜様を付き合わせてしまっているのだ。

 私の中のつっかえの正体は、恐らく罪悪感。
 周瑜様が一緒に暮らすなら、きっと私はずっと引きずっていくだろう。

 そんな私に、周瑜様は何かを思い付いたらしい。
 名案とばかりに得意気な顔で「なら」


「本当に夫婦になるか?」

「え?」

「孫策と大喬のような夫婦に」


 周瑜様が心杏の頭を撫でる。

 軽い口調だったけれど、冗談という訳ではないみたい。
 真面目に言っているようなので、私も一応、足を止めて考えてみる。

 本当の夫婦……私と、周瑜様が……。

 ……。

 ……。

 ……。


「……あ、無理かも」

「はっ?」

「私、周瑜様のような殿方は好みではなくて……そうなっている光景が全く想像出来ません。多分そういうの、無理だと思います」


 ですから、夫婦ではなく親戚みたいな感じでお願いします。
 真面目に考えて出た答えを真顔で伝えると、周瑜様は奇妙な顔で固まった。
 それを見た心杏が、ぷっと小さく噴き出す。

 周瑜様がはっと我に返って心杏を軽く睨む。


「心杏、笑い事じゃないだろ! オマエだってオレ達がそうなった方が――――」

「好みじゃないなら仕方ないと思う」

「オマッ……!」


 心杏は周瑜様の手をやんわりと剥がして、私の隣にぴったりとくっついてくる。


「あたしはお母さんがまた出来ただけで十分嬉しいし、今貰ったもの以上を望んだら罰が当たると思うから、そこまでしなくて良いよ」

「ということですので、その案は無しで」

「……」


 周瑜様は承伏しかねるような顔で私と心杏を恨めしく見つめてくる。

 私は首を傾げた。
 周瑜様だって私のことなど恋愛対象と思っていない筈なのに、どうしてあんなことを言って、こんな顔をしているのだろう。

 今更そういう風に見れるようになったとか……?
 いやいや、そんなまさか。
 有り得ない。


「さあ、暗くならないうちに予定の村へ行きましょう」

「……分かったよ」


 周瑜様は溜息をつき、肩をすくめた。


「残念。そうなっても良いって、ちょっとは思えるようになってたんだけど」


 本当に心底残念そうに言うものだから、少し驚いた。

 周瑜様が歩き出す。

 心杏が私の腕を引っ張ってぼそっと言った。


「お母さんとなら、そうなっても良いってさ」

「……うーん……」


 私は、首を傾げる。
 周瑜様がそう思ってても、私はなあ……。
 それにその感情も、私に対する色んな感情が混ざり合って勘違いしてしまったって可能性もある。

 でもまあ……『ちょっと』だけって言っていたし、それなら、そんな気持ちもそのうち無くなるかもしれない。勘違いだって気付くことだってない訳じゃない。

 私は心杏に苦笑を向けて、彼を追って歩き出した。



 この時の私は、自分が本当に周瑜様と姉様と孫策様のような夫婦になるなんて、絶対に有り得ないと思っていた。

 そんな私が心杏に弟が出来るなんて未来を、どうして予想出来ただろう――――。



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