参
私は生まれてからずっと独りだった。
姫として生まれても、人ならざる耳が邪魔をした。
どんなに勉強して男よりも沢山の知識を備えたとしても、誰も私を見てくれなかった。
母親すら、殺された父親ばかりを追いかけて気が触れた。粗末な人形を私と見立て、幸せだった頃を繰り返すようになった。
俺は誰からも認識されなかった。ただただ不要な存在だとして虐げられるばかり。
それが耐えられなくて私はその家を逃げ出した。
逃げて逃げて、逃げた先でも俺の耳を見た者は絶対に私を蔑む。気持ち悪いと罵る。私の目を見たものは石を投げ、追い出した。
俺には、生まれた意味も生きる意味も何もかも、無い。
ならば俺に流れる十三支も人間も要らないだろう。
要らない。
要らない。
要らない。
私は要らない。
なら、《俺》として生きてみようか。
‡‡‡
◯◯のしでかしたことには、誰もが驚愕した。
笑う彼女の手には戟がある。刃は、血でべったりと濡れている。
彼女の足元に倒れ伏す男は猫族だ。まだ生きてはいるが、このまま放置すれば危うい。
曹操が人間と猫族だと袁紹が暴露したのは少し前のことだ。今は関羽の容態も落ち着き、戦も決着がついた。
これから怪我人の手当てをしようとしたまさにその時だった。
◯◯が猫族の男を斬りつけたのだ。
「テメー! 何しやがんだ!」
「……ふふふふ、ふはは、あっははははははははははははははははははは!」
張飛の問いに答えること無く、◯◯は笑声を漏らした。
だが、それもすぐ止んで憤懣(ふんまん)滲む刃の如き双眸が猫族を――――関羽を睨めつける。
曹操を支えながら立つ関羽はびくりと身体を震わせた。
「十三支なんざ死ねば良いんだ。曹操も、関羽も、純粋な猫族も!!」
「◯◯! こんな時に一体何を……」
夏侯惇が腕を掴むが、彼女は即座に振り払う。憎々しげに、冷たく夏侯惇を睨み付ける。
その形相にたじろぐと、不意に世平が◯◯に歩み寄った。
「世平おじさん!」
「……昔、衰弱しきった状態で猫族の村に逃れてきた混血の女児がいた。お前だな」
「えっ?」
関羽が世平を驚いたように見る。張飛が猫族の男達に問いたげな視線を向ければ、彼らは揃って気まずそうに◯◯から目を逸らした。
◯◯はじとりと世平を見やる。かと思えばくっと口角をつり上げた。酷薄な笑みだった。
「へぇ、覚えてたんだ」
「……あの時は、すまないことをしたと思ってる」
「嘘が上手いんだな、あんた。んなこと露程も思ってねぇくせにずけずけと」
刺々しい声音に世平の顔が歪む。
「思うんだったら何故、俺を助けてくれなかった? 何故俺に石をぶつけて追い出して、崖から突き落とした? それでどうして、俺と同じ混血が同族として扱われてる!?」
「それは……」
「あの後俺は、全身を打ち付けて死にかけた。でも死なずに、痛くて痛くてたまらずに、それでも生きて……!」
「……耳が無いのは、俺達が酷い仕打ちをしたからか?」
◯◯は鼻で笑った。
「さぁね。ただ、お前らに殺されかけてからこの耳が邪魔で疎ましくて仕方がなかった。だから千切ったんだ。千切ってそれとなく人間に食わせた」
面白かったぜ、俺の耳とも知らずに美味い肉だと言ってばくばく食ってた見も知らぬ男の姿!
笑声混じりに言って、◯◯は足下に転がる猫族を蹴った。
「◯◯!!」
「お前らが曹操の配下についたと聞いた時、今すぐにでも全員消してしまいたかったよ。その時どうしてそうしなかったのか、今でも後悔してる」
もう一度、蹴る。
「止めろ、◯◯!」
「嫌だね」
夏侯惇の制止にも耳を貸さない。
少し前までは、あんなにくっついて離れなかった彼女は、今では夏侯惇にすら憎悪を向けているのだ。
「十三支なんざ不要だ。混血も、十三支を受け入れる人間も、要らない」
「待て。それだとお前も不要と言うことになってしまう」
趙雲が声をかけると、◯◯は「ああ、そう言えば」と思い出したように天を仰いだ。
「そうだったなぁ。俺も混血だから要らないんだった……忘れてた」
彼女は言って、戟を逆手に持った。
そして――――、
ずぶり。
「な……っ」
「◯◯!?」
腹に、突き刺したのである。
何の脈絡も無かった。
彼女は、笑う。身体を震わせて笑うのだ。
関羽に支えられるように立つ曹操は目を剥いて◯◯を見つめていた。
「◯◯、一体何を……」
「ははは……ふふふ、ふは、ははは……! そうだよなぁ、俺、十三支でもあって人間でもあって……不要なんだよなぁ。なんだ、最初からそうだったじゃないか。こうすれば良かったんだ。はははは……あ゛ー、何で気付かなかったんだろう、俺。こうすりゃこんな風にならずに済んだんだ。はは、だっせー……!」
「っ、止めろ◯◯! 戟を抜くな!」
夏侯惇の言葉に彼女が従う筈もない。戟を徐(おもむろ)に抜いた。
ぼとぼとと地面に血が零れ、赤く汚れる。
激痛にも関わらず笑い続けていると、その場に座り込む。
――――狂ってる。
誰もがそう思う。
彼女の行動が理解出来なかった。
それは夏侯惇も同じである。
だが◯◯に近寄り、身体を寝かせようとする。
だがその手を◯◯は弾いた。
ぱん、と乾いた音がした。
「触るな」
「◯◯」
「十三支を受け入れるのなら、あんたも敵だ。気持ち悪い」
彼女の強い拒絶に、胸が痛んだ。
ようやく、彼女に対して慕情を確認した頃だったのに、このように拒絶されるとは、何とも辛い。
◯◯は夏侯惇の身体を押し飛ばした。やおら立ち上がって、ふらふらと彼らから離れていく。
――――笑いながら。
夏侯惇は彼女を追いかけた。後ろから抱きすくめ、止める。
「待つんだ◯◯! 昔のお前はこうではなかっただろう!」
抵抗する力も無いのか、◯◯は彼のされるがままになって立ち止まる。
つかの間沈黙した。
「……ああ、あれ、か。あれね、嘘」
「は?」
「大嫌いな奴らに、本当の《私》を、見せる筈ないだろ……っばーか」
あれも嘘、これも嘘。
惇の知る《俺》は皆嘘。
知っているのは沙羅音だけ。人でも猫族でもない沙羅音だけ。
沙羅音だけだった。
《俺》も《私》も受け入れてくれたのは。
あいつだけだった。
「……ああ、でも一つだけ本当はあるよ」
直後、彼女は血を吐く。身体から力が抜け、その場に崩れた。夏侯惇が抱き締めていたから、地面に倒れることは無かった。
「もう喋るな。早く軍医に……!」
「虫酸が走る」
夏侯惇が軍医を呼ぼうとした瞬間、ぼとりと腕に何か落ちて、地面に転がった。
えっと思って見下ろすと、赤くてざらついた、柔らかい塊が土にまみれている。
それは、何だ?
血を流すそれは――――。
舌だ。
「……、まさか!」
夏侯惇は◯◯の顎を掴んで口を開いた。
止めどなく溢れ出る赤に、鉄の臭い。
「馬鹿か、お前は!!」
怒鳴らずにはいられなかった。
噛み千切った舌が気管を塞いでもう息も出来なくなってしまった彼女は、苦しそうに顔を歪めてぐったりとして、しかし口角をつり上げる。もう助かる余地は無い。夏侯惇の声が遠い。
そうだ、不要ばかりの世界なら、自分が消えてしまえば良いのだ。
もっと早く気付いていれば、狂(たぶ)ることも無かった。
……いや、この世に十三支がいるからいけないんだ。
十三支の所為で、自分はこのようになってしまったのだ。
十三支なんざ、死ねば良い。
混血も、十三支を受け入れる人間も、幸せにはしてやらない。
呪ってやる。
嗚呼、会いたい。
沙羅音に会いた……。
――――暗転。
以後、◯◯が目を開くことは無かった。
○●○
関羽や曹操とは違う混血の子を書こうとしたのですが……何とも言えない後味の悪さ。
連載級に込み入ったものでしたので短編だと何が何だか分からない感じです。けどもう書ける気がしない……『俺』主も多分好まれないだろうし。
ちなみに彼女の《本当》は、夏侯惇の武に惚れたことです。あれだけは、夏侯惇も知る彼女の本当の姿でした。
あと二話目の補足ですが、抱き締められて悲鳴を上げたのは、虐げられていた頃のことがフラッシュバックしたからです。錯乱状態にあった為、フラッシュバックが起こったのでした。
書いてる間ずっと気分は降下しっぱなしでした。
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