壱―3



 ここは私にあてがわれた部屋。私と文官の二人きりだ。
 姉様は今日は気分が悪く、部屋で眠っている。

 遠回しに降伏を促す書状を見下ろし、私は溜息が出た。


「……ここでも、本名で書かれていないのですね……」

「は?」

「いえ、こちらの話です、何故私達が欲されているのでしょう。私も姉も、お会いしたことはありませんのに」

「それが、奇妙なことにお二人が混血であると知って、どちらも妻に迎えたいと」

「……はあ」


 反応に困ってしまった。

 姉様にも私にも優しくしてくれるこの文官も、混血を理由に人妻を求める曹操の意図が読めない。
 彼がこのことを教えてくれたのは、今後戦に反対する勢力が私達に接触してくる可能性があったからだ。

 周瑜様が頑なにこのことは私達に話すなと言っていたらしい。どのような結論が出ようとも、私達を曹操に差し出したりはしないと。


「そういうことですから、お二人共。これから暫くは、接触してくる者の言動には努々(ゆめゆめ)ご注意を」

「分かりました。姉にも伝えておきます。禁じられておりますのに、お気遣い下さってありがとうございました」


 文官を送り出し、一人思案する。

 混血の女を妻にしようなどと……北の曹操というのは相当な好き者なのね。
 あまり良いように思えない。
 私達を玩具にするつもりなのではないか――――ぞっとする。

 姉様が寝込んでいる部屋に戻り、顔を覗き見る。
 顔色は少し悪い。


「悪くならなければ良いけれど……」


 身体は強い方だったけど、今は心身共に弱って病魔にあらがえる状態ではない。
 更にもう一人、小さな命も背負っている身体だ。

 妊娠出産は、女が命を懸けて臨む大仕事とは故郷の老婆の話。

 まだ一度だって周瑜様に抱かれたことの無い私には、恐らく一生縁の無い大仕事だ。
 申し訳ないけれど、出産の時には私は役に立てないだろう。
 そんな私だから、妊婦の負担を推し量ることも出来ない。

 部屋の隅に座って、溜息を一つ。

 と、


『小喬、いるか?』

「周瑜様?」


 珍しい訪問者が。
 私は扉を開けて、姉の体調が悪いからと先程の文官と同じく私の部屋へ入ってもらった。

 姉様の部屋がある方の壁を見て、周瑜様は眦を少しだけ下げた。


「……悪いのか?」

「今は、それ程では。ただこれからが少し心配ですね。ですから私が付きっきりで……」

「医者を呼ぶか? 早い方が良いだろ」

「……そうですね。お願いします。それで、姉に何かご用でしょうか」


 周瑜様は首を左右に振った。
 扉の外を窺って、


「さっき、文官が来てたよな」

「はい。姉様の様子をお訊ねに。あの方は、混血の私達に普段から優しく接して下さっておりますから。あと、近々大きな戦になるかもしれないから、その時は前以上に姉様を気にかけてくれとも言われました」


 嘘をつく。
 周瑜様は「そうか」と疑う素振りも無く頷いた。


「北の曹操と戦になるのですか? 反対派もいると、尚香様から伺いましたけれど……」


 ぴくりと、周瑜様の眉が僅かに動いた。


「そうだな……戦わない方を選ぶなら孫家は終わりだ。良くて辺地に軟禁、悪くて一族全て殺される。大喬の腹の中にいる子供も……」

「……では、姉様も殺されるのですか?」

「曹操の性格を考えれば、恐らく対象だろう」

「そんな……」


 知らないフリで問うと、周瑜は言いづらそうに目を伏せた。


「孫権様は、どのようにお考えなのですか」

「あいつはあいつなりに考えてる。……オレとしては、曹操と戦ってでも孫家を守って欲しいがな」


 私が曹操のもとに行って乞えば、何か変わるだろうか。
 いえ、駄目だわ、私に国主と交渉出来るような話術も頭も無い。
 私の考えていることなど知らず、周瑜様は私の頭を撫でた。


「どちらに転んでもオマエ達だけは助かるようにするつもりだ。だから、戦のことはオレ達に任せて、小喬は大喬のことを頼む」

「……分かりました」

「じゃあ、医者を呼んでくる」


 周瑜様は多分、文官が私達に曹操からの書状の内容を伝えたのではないか危惧したのだと思う。
 残念ながら、知ってしまった訳だけども。
 周瑜様と共に部屋を出て、戻られる周瑜様を呼び止める。


「お身体にはお気を付け下さい」


 胸を押さえて見せる。

 周瑜様は軽く目を瞠った後、笑って頷いた。


「そうだ。大喬の身体が安定したら、美味い飯でも食べに行こうぜ」

「ありがとうございます」


 私は、周瑜様へ深々と頭を下げた。

 姉様の部屋に戻ると、姉様が上体を起こしていた。
 膨らみ始めたお腹を申し訳なさそうに撫でていた。


「姉様。起きて大丈夫?」

「◯◯。ええ、寝る前よりも楽だわ」

「そう。良かった」


 水を用意する。
 姉様はそれを飲みながら、扉の方へ視線をやって微笑んだ。


「周瑜様と◯◯が上手く行っているようで安心したわ」

「上手く行ってるように聞こえたの?」

「夫婦としてではないけれどね。あなたがお母様に気を遣って周瑜様に嫁いだのは分かっていたわ。だから心配していたの。でも仲が悪くないのなら、伴侶としては駄目でも同居人としては大丈夫。それだけ分かっただけでも良かった」


 わたしも、周瑜様と◯◯と一緒に外へ遊びに行きたいわ。
 本心から言う姉様に、私は安堵した。

 曹操のことは姉様には言わないでおこう。
 私だけが知っていれば良い。
 なるべく反対派が姉様に接触しないようにしようと、私は思う。





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