妖怪と言うのは、夢物語の架空の生き物であるとばかり思っていた。
 それが猫族に始まり、キ雀と言う山海経の中に記載された妖怪が猫族見たさに嵐のように現れた。そして、普通に江陵で暮らしている。
 さしもの賈栩とて、これが異常な光景であることは分かる。そして厄介事の渦中に置かれてしまったことも。
 奇怪な姿をしたキ雀である◯◯はしかし、誇り高いキ雀だと言いつつ、人間の姿を崩さない。故郷では本来の姿だそうだが、劉備が見てみたいとせがんでもどうしてか翼を出すだけだ。頑なに本来の姿に戻ろうとはしない。
 その理由は分からないが、何かしらの拘(こだわ)りがあるのかもしれない。

 今までその程度にしか思っていなかったのだが――――。


――――これが、その理由なのかもしれない。


 賈栩は寝台を見下ろし後頭部を掻いた。



‡‡‡




 目の前に醜い怪鳥がいる。
 白い首までを真っ赤にしたそれは、山海経に記載があったキ雀そのものだった。

 巨大な怪鳥の下には、腹が無惨に抉られた、少女の身体。
 内臓も飛び出しているのに、賈栩は目を細めた。見るに耐えないと、何故か思った。

 馬から飛び降りてどうしようかと考えるその刹那に、脇を一瞬で通り抜ける影がある。


「賈栩! ◯◯を連れて行って、良いから早く!! こいつはわたしと趙雲で倒すから!!」


 関羽だ。
 少し遅れて趙雲も駆け抜けていく。

 ◯◯を連れ行ってと言われても……。
 その◯◯はキ雀の下敷きで、あの状態で生きているのかも分からない。人間よりは丈夫だと本人が言っていたが、普通の人間ならあの様は絶望的だ。

 関羽が斬りかかると、キ雀はいともあっさりと翼を斬り落とされる。関羽の気配に気付かない程、◯◯の肉を貪るのに夢中だったようだ。
 餌化――――◯◯の言っていた現象では、賈栩の認知出来る範囲では香りも肌も甘く変化していた。賈栩自身は至って普通だが、妖怪ともなると変化の仕方は違ってくるのだろうか。

 関羽の闘志にも気付けなかったのは、その甘さに自我を囚われたからなのか。
 それ程の変化をしたのに、餌化してからの◯◯は常と変わらず、随分とあっけらかんとしたものだ。自分が同族に食われることに何の抵抗も恐怖も感じていない。

 だいぶ前になるが、関羽が、キ雀という種族では共食いも平然と行われていると◯◯に聞いたと話していた。信用出来るのは身内だけ、ということらしかった。

 共食いが当たり前の種族だから、餌化していると分かっても慌てなかったのだろう。弱いから食われて死ぬ、それだけのことなのだと割り切れる。
 妖怪と人間では、ここまで暮らしも考え方が違う。
 身体はよく見えないが、きっと◯◯は抵抗をあまりしていない。

 趙雲がキ雀の胴を蹴りつけて◯◯から離したところで、賈栩はようやっと動いた。◯◯の傍らに座り、むわりと香った甘い匂いに思わず手で鼻を覆った。


「これはまた……匂いが強い」


 妖怪でもない賈栩でもくらりと眩暈がしてしまう。
 賈栩は◯◯の身体を見下ろし、瞠目した。

 生きている。
 微動する身体を見、驚いた。同時に同情する。
 妖怪は、この……無惨に過ぎる有様でも死ねないのだ。気を失っているのは運が良い。

 賈栩は◯◯の身体を抱き上げて大股に馬の方へと歩き出す。


 が。


 奇声。
 賈栩が足を止めた瞬間に前を阻むように転がり込んできたキ雀は血走った目で睨んできた。

 普通の人間ならば竦み上がるところだが、生憎と賈栩はそんな可愛い感覚を持ち合わせていない。
 さて困ったと肩をすくめた。ついでに、滅多にお目にかかれない妖怪の姿を拝もうか。
 奇妙な唸り声を上げてキ雀は嘴(くちばし)を開いた。


『カ、エセ……ムスメ、カエセ』

「娘……?」

『ムスメ、オレノモノ。オレハオヤ……ムスメヲクエル。ウマイムスメ、クエ、ルルルルルルルゥゥア……ッ』


 娘……このキ雀は◯◯の父親か。
 賈栩の隣に顔面蒼白の関羽が立ち、キ雀と◯◯を見比べる。


「あなた……自分の実の娘を食べていたの!?」

『ム、スメ……ムゥメ、ムスメ、ウマイ。ムスメハウマイニク、ニク、ク、ニクニク、ニ、ク、ウマイ、ィク、ニク……ニクニクニクィクニゥ』


 自我はもう無い。
 斬り落とされた翼の切断面から大量の血を流しながら這いずって賈栩――――否、甘美な餌と化した己の血を分けた実の娘へと近付いてくる。満身創痍だと言うのに、大した執念である。

 関羽に肩を引かれて後退していると、趙雲が頭に大剣を突き刺ししとめる。苦々しい顔をして◯◯を見やった。


「父親に、食われかけていたのか。この甘い匂いは◯◯が?」

「ああ。俺と同じ匂いと味らしいね」

「そうか……城に戻ろう。このままここにいれば他の妖怪も集まりかねない」


 ……まさか、警戒すべきが人間だけでなくなる事態に自分が巻き込まれるなど。
 非現実的なのは猫族だけかと思っていたが、どうやらそうでもない。
 びくびくと痙攣を繰り返すキ雀を見、賈栩は関羽に◯◯を抱えさせると、キ雀に歩み寄った。

 無言で頭部に足を載せ――――体重をかける。
 ぐしゃり。砕け潰れる音と感触の後飛び出した物が頬に当たった。


「賈栩!?」

「いや……これぐらいはしておいた方が良いだろうと思ってね。回復されて追ってこられても困るだろう」

「だからってこんな……」

「そんなことよりも、早く連れて行きべきだろう。妖怪は丈夫らしいが、今は生きていてもじわじわ死んで行っている可能性だってある」


 関羽は賈栩から視線を逸らした。痛ましげに、憐れむようにキ雀を見下ろし、早足に、◯◯の身体をなるべく揺らさぬように城へ向かう。

 戦の喧噪はもう聞こえない。
 当然だ。突然飛び出してきた異形達によって混乱は極まり、正気を保っていられなくなった兵士達が一目散に逃げ出してしまったのだから。恐らくはこの異常事態に曹操も撤退を始めている筈だ。これで完全に俺は曹操軍の敵になった訳か。

 賈栩は一人首筋を撫で、遠くなった二人の後を追いかけた。



‡‡‡




 賈栩は寝台を見下ろし、後頭部を掻いた。
 片手には狩って処理したばかりの兎の生肉を載せた皿。


「確かに……あのキ雀の姿を基準とすればこれは『不細工』なのだろうね」


 寝台には、五歳児程の大きさの鳥がしわくちゃの寝衣にくるまれている。
 よくよく見ればひよこに見えなくもないし、足も鼠のようだ。ただ爪はそこまで鋭利という訳ではない。
 奇妙ではあるが、多分関羽から見れば『可愛い』と言われそうな、簡単に転がせそうな真ん丸とした姿だ。

 触ってみるとその和毛(にこげ)は何とも心地よい。
 キ雀にしては恐ろしくも何ともない姿に、だから彼女はこの姿になりたくはなかったのかと納得した。故郷ではこの姿でいるのが普通だが、彼女は仲間内から不細工と言われているのを気にしていたのだった。だから、猫族にこの姿を見られた時の反応を嫌がって、頑なに本来の姿に戻らなかったのだ。

 その辺は、人間と少し似ているかもしれない。

 和毛を分けて腹の部分を見てみると、分厚い瘡蓋(かさぶた)が。
 この数日眠り続けている間に随分と治癒していた。この回復力、さすがは妖怪と言うべきか。
 麻痺毒を受けているようだと薬を飲ませ、二日寝ずに怪我の手当てに当たった関羽は、朝昼晩と頻繁に様子を見に来る。だが、◯◯のこの姿を見せるのは止した方が良いだろう。

 和毛を撫でつけて傷を隠し、賈栩は寝台に腰掛けた。暫く待って起きなければこの肉は今日のこちらの夕餉になる。

 だが、一向に起きる気配は無く。
 やむ無しと賈栩は部屋を出た。
 すると折良く角で関羽とかち合う。


「あ、賈栩。◯◯の様子を見ていたの?」

「残念ながら、起きる気配は無いよ。そろそろ起きるかと思ったが……」


 ◯◯の部屋がある方を振り返れば、関羽が物憂げに吐息を漏らす。


「このまま眠り続けてしまうのかしら。お医者様に見せようにも、◯◯は妖怪だし……」


 ……まず、入ってすぐに仰天して逃げ出すだろう。
 賈栩は苦笑し、顎を撫でた。


「また夜に行くと良い」

「ええ。そうするわ。……あ、そのお肉、わたしが厨に持って行くわね。賈栩はそのまま◯◯の側にいるんでしょう?」


 賈栩は瞠目した。

 関羽は賈栩の手から皿をさっと取ると、微笑んで◯◯の部屋の方を見やる。


「賈栩。あなた、わたし達よりも◯◯の側に付きっきりだって自覚ある?」

「……。……、そう言えば。暇な時には行っているような気はするが」

「◯◯が襲われてから色々と処理が早くなったって、諸葛亮が言っていたわ。それに、◯◯が攫われてからすぐに追いかけていったみたいだし……興味を持てるものを見つけたのね。良かった」

「興味を持てるもの……まあ、妖怪は生まれて初めて見るからね」

「そう言う意味ではないと思うけれど」


 関羽は含みのある言葉を残し、「じゃあ、◯◯のことをお願いね」と足早に厨へと向かう。

 賈栩は釈然としない感覚に首を傾けた。

 確かに、◯◯に興味はある。奇妙な事態に巻き込まれたこともあるし、何より◯◯が妖怪だからだろう。
 そう思いはするものの――――何か、胸の中で合致しないものがある。
 それが分からず、不快感に微かな鳥肌が立った。

 雌の怪鳥妖怪……そういう認識しかしていない筈なのだが。
 ざわざわとする胸に僅かに顔をしかめつつ◯◯の部屋に戻る。
 と、寝台に変化があった。

 今度は鳥ではなく……言うなれば半鳥半人だ。
 寝衣の上に座る全裸の少女の形はしているものの、背中に羽が生え、その周辺は羽毛が生えている。手も羽毛で埋め尽くされていた。
 真っ白な長すぎる髪が寝台の下にまで流れ、日差しを受けてきらきらと煌めいていた。
 きっと、上手く人間の姿に変われないのだろう。賈栩の知る◯◯の人型は短い黒髪の活発そうな娘だ。たおやかなその様はまるで正反対だった。

 賈栩が歩み寄ると、ぼんやりと定まっていなかった焦点が賈栩へと合わされる。すっと手を伸ばし、羽毛に覆われた手で賈栩の服を摘んだ。

 その手に引かれるように寝台に腰掛けると、力が失せて華奢な身体が倒れ込んでくる。
 受け止めて仰向ければ、彼女は眠っていた。まだ、起きれる程回復はしていないのか。
 頭を撫で脈を確認し、賈栩は◯◯の身体を見下ろした。


「……さて。これも関羽に見せて良いものか」


 いや、まずは服を着せるべきか。
 乳房も股も露わになっている彼女を、張飛達が見たら大騒ぎだ。
 賈栩は細く吐息を漏らして寝衣に手を伸ばした。



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