曹操軍が攻めてきたらしい。
 危ないから――――賈栩がね――――僕は城の奥で隠れてろって諸葛亮に言われた。
 まあ……戦場になるなら何かしらの妖怪が寄ってきてもおかしくないしね。

 同族に食われる方がまだマシか。
 関羽達はもう少し生きようと思えなんて言うけど、結局は長じいの言葉を忘れてた僕の自業自得じゃん?
 それに関羽達には黙ってるだけで、彼女達の視界に映らないくらいの小妖怪がちらほら僕を襲ってきていた。幸い弱かったから僕でも撃退出来た。

 けど、戦が起こるんなら引き寄せられる妖怪は強弱様々だ。
 さすがに同族以外には食われたくないなー、とは思うけど……今出たらさすがに標的に自分からなるようなもんだよね。

 仕方がないので僕は大人しく書庫で書簡でも読むことにした。埃っぽいけど、それくらいしか無いし、ここ。


「ここ読んだー……ここも読んだー……あ、あそこか」


 読んでない書簡がある棚は、もうほとんど無い。読む速さが異常だって言われたけど、別に普通だと思う。長じいはもっと速かったよ。


「……あ、妖怪の伝承。何か賈栩みたいな人間のこと書いてないかな」


 ……そう言えば、賈栩みたいな人間って、どうして美味いんだったっけ。
 ああそうだ。生命力が普通よりちょっと歪んじゃってるんだ。だからその歪みで美味いと錯覚して、食べた妖怪の生命力も歪めてしまうんじゃなかったっけ。一口だけなら、身体が変わる程歪まないんだよね。……ってことは、僕みたいに頻繁に血を吸っている場合も、中途半端に食べ残してる場合でも歪んじゃうのか。食い尽くさないようにって……長じい、それじゃ説明不十分じゃない?

 長じいの話を聞いていた時は多分、それもあるし、そんな奴は滅茶苦茶稀少だとも言ってたから、まさか僕が遭遇することは無いだろうって、特に気にしてなかったんだ。
 ごめん長じい。冗長すぎて真面目に聞いてた話ほとんど無かったけど。次キ雀に生まれたら今度こそ真面目に聞くよ、多分ね。

 って、うわ、これ嘘ばっかりだ。酷い想像力。
 面白くなくなって書簡を戻す。何篇かあるみたいだけど面白くなさそうだから読まない。
 ……や、よく見たらこの棚はそればっかりだ。
 沢山の人間が書いた伝承をそれぞれ集めたみたいだけど、面白いのがあるか分からない。

 人間視点で書かれてて、絶対半分以上が嘘に決まってるもん。
 でもま、人間の創造力の逞しさは凄いと思う。結局はそれだけでこんなに書が出回ってるってことなんだしさ。

 伝承を集めた棚は読まないことにして、僕は別の本棚の方へ向かった。
 その時になって、戦の喧騒が大きくなっていることに気が付く。

 激しく交戦しているらしい。
 ……ここには江陵の村々から集まった人間達がいるんだよね。美味そうな子供が遊んでたなあ……。

 ……。

 ……。

 ……あ、駄目だって皆に言われてたんだった。食べたら怒られるか。

 いや、てか何で僕猫族の言うこと聞いてんだろ。
 警戒しなくて良い分居心地は悪くないけど、だからって呪いで半獣になっただけの人間に構うことは……。

 そうだ、関羽と趙雲の血を飲ませるぞって諸葛亮に脅されたんだった。
 あれは……本気っぽかったよな、うん。

 関羽と趙雲は不味い。クソ不味い。
 張飛達はちょい不味いくらいだったのに。劉備は美味かったけど泣いたから物凄く猫族に怒られた。


「……そもそも賈栩を食べ――――て里に帰ってたら食われてるか。いや、それが一番良い形? なんだよな? ……うーん……」


 一人唸って首を傾ける。
 何か考えるの面倒臭くなってきたかも。
 僕は顔を歪めこめかみを揉んだ。

 本を読む気がすっかり失せてしまって、僕は書庫を出た。
 何をしようかと廊下を歩いていると、何故か諸葛亮と擦れ違う。


「……◯◯か」

「あ、そっか。軍師は出ないのか」

「ああ。武働きは猫族や兵士の役目だ。……ところで、妖怪は今のところ寄ってきているのか」

「さあ……ここは色んな匂いと気配が混ざってるから分かんない。でも死体目当てに来てるんじゃない? 戦に寄ってくるのは死体を食べに来る奴がほとんどだね。ま、こっちに来たりするかもしれないけど……」


 その時だ。
 ぞわり、と悪寒。
 刺すような視線と重苦しい欲望を感じ、僕は息を呑んだ。

 諸葛亮には分からないものだ。


「諸葛亮……避難してきた奴らを部屋に分散していれておいた良いよ」


 僕の言葉に、諸葛亮は顔を強張らせた。
 僕はきびすを返し、駆け出した。諸葛亮に呼ばれたけれど止まらない。止まってはいけない。止まったら――――来てしまう。

 鳴き声がする。それは聞き慣れた醜い声だ。
 ここに来たのは僕の知り合い。即ちキ雀であり――――身内。
 僕の身内って言ったら一人しかいない。

 親父、しか。

 多分帰りの遅い僕を心配して探しに来たんだろう。
 でもこのまま会えば親父は豹変する。いや、もう僕を餌として認識しているのかもしれない。危険な旨味を持った人間は分からないのに、食って味が変わった妖怪は誘う匂いが放たれてしまう。全く理不尽だと僕も思う。……って、そんなことを言ってる場合じゃないか。
 僕は城から市街地に出て、上を見上げた。

 何度見ても気持ち悪い姿だ。その中でも僕は一番の不細工。
 鶏みたいで、首が白くて、足が鼠みたいで、虎の爪を持ってる、その不均衡さがむしろ恐怖を煽る妖怪。
 その中でも慣れ親しんだ姿の同族だ。


「……親父……」


 空を旋回する親父は、僕を捉えた瞬間また気味の悪い鳴き声を発した。
 キ雀ぐらいの妖怪にもなると、人の目にも見える。……いや、だから山海経とかに正確に記されているんだけれども。
 悲鳴を上げて建物に逃げ込む人間達を一瞥し、僕は家屋の屋根に飛び乗った。

 僕を見る親父の目は、完全に狂っていた。
 賈栩の血を吸い続けただけでも、十分餌化が進んでいる。肉を全て食い尽くさなくっても、血だけ吸っていたとしても駄目だったんだ。
 一瞬好奇心のまま十三支探しの旅に出なければ良かったなんて後悔したけれど、自業自得だからと諦念の溜息を漏らした。

 片手を挙げて挨拶するけど、もう親父にとって僕は娘ではなく、極上の餌だ。目が、全然違ってる。
 村で、同族に悔い殺されたキ雀の気持ちが、ちょっと分かる気がする。こんな感覚だったのか。今度またキ雀に生まれてきたらその時はちゃんと埋葬してやろう。

 親父は僕へ向けて真っ直ぐ飛んでくると、その鋭い爪で肩を捕らえられて一瞬で攫われた。飛び上がって爪が容赦無く食い込んで痛い。
 江陵城を急速に離れていく。
 同時に、戦場近くを隠れながら彷徨いていた妖怪達が僕の匂いに気が付いて人目も憚らずに飛び出して僕達を追いかけてきた。うわあ、不味い。これは食べられる前に混沌としそうだ。

 図らずも群を為して追い縋る妖怪達を見下ろし、僕はぼんやりと自分が食われる時のことを考える。
 食われる時はこれ以上に痛いのが続くんだろう。僕らは餌は生きたまま食べるから、絶命するまで痛みに苦しみ続けなければならない。


『同族に食われた方が、少しは幸せだろうからね』


 同族でもない妖怪にそんな風に食い殺されるのは確かに嫌かもしれない。
 同族なら――――まあ、許せる。共食いを見てるからかな。
 そんなこと言うと、関羽達がまた強く反発してきそうだ。妖怪と人間じゃ、感覚が違うって何度言ったって分かってくれないからなあ。

 へ、と口角を歪めた直後、爪がずるりと肩から抜けた。
 墜ちる。

 身体を地面に強かにぶつけた。何本か骨が折れた。いつ振りだろう、この感触。小さい頃飛ぶの失敗して渓谷に墜ちた時以来かな。
 僕ら内臓は人間よりも強い作りらしいから、折れた骨が刺さることはあまり無い。けれど骨が圧迫する感覚は非常に痛いものだ。仰向けになって深呼吸をすると至る所がぴりぴりずきずき痛みを訴えた。
 親父は僕が生きているのを確認して、僕に躍り掛かろうとした妖怪達に向かって急降下。そいつらを襲い始めた。

 ああ、邪魔者退治か。
 暫くはこのままなんだろうなあ、僕。
 ただ食われるのを待つだけの餌になった僕は、ここでも特に恐怖は無かった。自業自得だもの。
 また関羽達が怒るかなあ……感覚が違う――――って、これ前も言った奴だ。ああ駄目だ、痛くてあんまりまともな思考出来てないんだね、きっと。
 この状態で待つのも億劫だし、寝たら駄目かな。

 どうせ食われてお終いなら、退屈なのは省略しておきたい。
 僕は目を伏せ、あっさりと意識を手放した。寝るのに時間がかからないのは、僕の長所だ。



‡‡‡




 ぐちゅり、ぐちゅりと身体の内部をまさぐられる。
 これは何だろうか。堅くて細い。開いたり閉じたりして肉を摘んで引き抜いていく。
 朧な思考で、僕は目を薄く開いた。思考がままならないのは、死期が近いからなのか、単純に寝起きだからか。どっちなんだろう。

 僕の腹の辺りに、鳥のでっかい頭が埋まっている。上下するそれは真っ赤に濡れ、ああ僕の血で汚れてるんだろうと何とはなしに分かった。

 何だ、僕食われている時に目が覚めたのか。
 マズいな、口が動かない。
 これじゃあ最期の言葉を残せないぞ。親父に何か言っておきたかったんだけどな。人間から奪った高そうな壷を割って隠したのは僕だってこととか、親父の得意料理はぶっちゃけそんなに美味くなかったこととか、その料理って結局は生肉を別の生き物の血で和えただけだからそんな味変わらないこととか……あ、意外に一杯あるかも。大変だ。里を出る前に言っておくべきだった!

 やっべえなあ、せめてお袋のお墓が何処かくらいは教えてやんないと……。
 そう思って腕を上げようとしても、痺れていて全く動かせない。口もそんな感じだった。

 ……。

 ……あ、そうだった。

 親父って、確か唾液に痺れる毒が入ってるんじゃなかったっけ。若い頃そういう風にしたんだって自慢されたの今思い出した。
 本当忘れっぽいなあ、僕。お袋に似て間抜けになっちゃってたのかな。

 呼吸すら上手に出来ていないようだから、思考がこんな風に朧気なのはその所為かもしれない。痛みを感じないのも、多分そう。妖怪の丈夫さって、凄いね。人間だったらもう死んでるんじゃね?

 そんなことを考えている間にも、僕の意識はどんどん薄れていく。折角目覚めたのに、勿体無い。
 次第に落ちてくる瞼。
 細まる視界の中で、影が差し込んで親父の頭に重なった。

 それは誰だったんだろうか。
 見覚えがあるような気がするけれど、確かめることは出来なかった。

 その前に瞼が下がってしまったから。


























































「賈栩! ◯◯を連れて行って、良いから早く!! この妖怪はわたしと趙雲で倒すから!!」



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