話しかければ答えは返ってくる。
 ただ、あなたの所為で報酬を貰い損ねてしまったと恨み節は無言の間にも心中で続いていたらしいが。

 女官に○○の着替えを部屋へ持ってくるように言いつけ、彼女を部屋に置いてから孫権に戦勝の報告をしようとしたが、その前に厄介な人間に会ってしまった。


「周瑜!! 敵の将を勝手に連れて戻ったとは誠か!?」

「げ……っ」


 孫権の父、兄と続けて仕えて来た老将、黄蓋である。

 周瑜は露骨に嫌な顔をして、ずんずん大股に近寄ってくる彼を睨んだ。

 黄蓋は怒りで顔を真っ赤にし、周瑜をまた怒鳴りつけようとして――――目を丸くした。
 その目は周瑜の腕の中に収まる○○に向けられている。

 彼女もまた、黄蓋の声に反応を示した。


「この声は……」

「○○! あれ程言うておったというに、お前はまだ危ない真似をしておったのか!!」


 黄蓋は、周瑜ではなく○○を一喝。周瑜の腕から彼女を引きずり降ろし、逃げようとする小さな頭に拳骨を落とした。

 周瑜は仰天した。


「いい加減、己の年齢を考えぬか!! 妹達は皆嫁いでいったのだぞ!!」

「黄蓋様……それは、手紙でお知らせ下さいましたではありませんか。ですから私は、負担して下さった金を、少しでも多く返せるようにと、」

「お前が左様なことをする必要は無いと何度も言ったであろう!」

「ただ甘えるだけでは、私の気が済みません。父と親しくして下さった黄蓋様に、何もお返しすることも出来ずにただただ世話になるなど、どうして出来ましょう」


 黄蓋は頭を抱え、長々と嘆息する。


「無惨なまでに傷を作りおって……! お前達の父母に何と詫びれば良いか……」

「お、おい……まさか、アンタの妹達の引き取り先って、」

「黄蓋様です」


 ……。
 呆れて言葉も出ない。
 今し方、その黄蓋の仕える国の敵に雇われて刃を向けていたのだ、彼女は。
 それで勝っていたら、貰った報酬を黄蓋に送るつもりでいたのか。
 周瑜は苦笑を禁じ得なかった。


「アンタ……敵が恩人がいる国だって知らなかったのか」

「戦が始まってから知りました。ですが、斥候(せっこう)の報告では黄蓋様のお姿は無いようでしたので、問題は無いかと」

「いや、どう考えてもありまくるだろ……」


 黄蓋がまた、嘆息。珍しいことだが、嘆きたくなる気持ちは良く分かった。


「取り敢えず、○○の身柄は負かしたオレが預かるぜ。ただ、犠牲になった将兵の人数が多いらしい。戦力として入れるか、ジジイの監視下に置くか――――扱いについては孫権と話し合って決める必要がある」


 黄蓋は沈黙した。
 ○○の頭を撫で、周瑜の方へ押しやる。


「儂は、孫権様の意に従うのみじゃ。儂を頼った亡き友人の娘であろうと……」


 目を伏せて彼は言う。嗄れた声音は堅かった。

 本心は違う。
 ……まあ、亡くなった友人の忘れ形見なのだから、案じるのは当たり前か。
 もし、ここで黄蓋にこの女を自分の妻にしたいと言ったら、馬鹿を言うなと激怒するかもしれない。このジジイが、オレに○○を嫁がせて良いと思う訳がない。

 周瑜は一人苦笑を漏らし、○○の手を握って歩き出した。


「じゃあ、処遇が決まったら真っ先に報せてやるよ」

「ああ。……女だからと手を出したら承知せんぞ、周瑜」


 釘を刺された。
 周瑜は背を向けたまま肩をすくめ、○○を己の部屋に連れ込んだ。

 女官の仕事の方が早かった。
 すでに寝台に丁寧に置かれた女官の服を見、周瑜は○○を振り返る。


「オレの部屋で悪いが、着替えてゆっくり休んでてくれ」

「お気遣い、感謝致します」


 ○○は周瑜に拱手し、彼の手を借りて寝台に近付く。
 服を持たせると、感触を確かめ袖の位置や向きなどを確かめ、寝台に置いた。

 そして何の躊躇いも無く服を脱ぎ出したのである。

 周瑜は驚き息を呑んだ。
 さりとて止めなかったのは、欲望が咽を塞いだからである。

 彼女が一糸纏わぬ姿になった時には、一人の男として惚れた女の裸体を見たいと思うことの何が悪いと、開き直っている。

 この上ない歓喜にうち震え、じっと傷だらけの肢体を凝視していると、その気配を悟られた。


「……寒いのですか?」

「いいや。アンタが欲しくて震えてるんだ」


 隠さずに言う。

 苦笑した彼女は、


「おかしな人ですね」


 もう女と言うにはおぞましい身体に成り果てた私を欲しいなどと。
 ゆっくりと周瑜に向き直った。

 酷い有様の身体は、しかし周瑜を昂揚させる。

 どんなにおぞましかろうと構わない。
 ○○はずっと周瑜の心を支配してきた。
 これからもずっと捕らえて放さないだろう。

 だが今度は、こちらが捕まえる番だ。

 周瑜は立ち上がり、○○に歩み寄った。
 首筋に手を這わすと、ぴくりと肩が震える。


「アンタはもう、覚えていないだろうな。オレのこと」

「あら……何処かでお会いしましたかしら――――」


 ○○を寝台に押し倒す。

 ぎしりと悲鳴を上げ、寝台は二人分の体重に耐えた。
 周瑜は閉じられた瞼に口づけ、口角をつり上げる。


「小さい頃にな。アンタに情けをかけられてから、ずっとアンタはオレの中にいた。どんなに他の女でアンタを埋めようとしても、無駄だった。何処を捜したって見つからないアンタに何年も囚われたオレを、愚かだと思うか?」

「ええ、思います」


 彼女ははっきりと、肯定した。
 周瑜は笑う。


「はっきりと言うんだな」

「本当に愚かしいと思いましたから」


 私は殿方を殺す業を背負っています。
 淡々と、彼女は言う。

 周瑜が退くと改めて服を着替え始めた。
 盲目であることを感じさせない自然な手付きで着替えを進める○○。

 その間、彼女は語った。


「私には、婚約者がいました。心から愛していた人でした。ですがその人は、私との婚儀の前に盗賊に襲われて亡くなってしまいました」

「……それだけ、じゃないよな」

「父母が亡くなった後、黄蓋様のもとに一時世話になっていた時、とある方と恋に落ちました。その人は、事故に巻き込まれて亡くなりました。傭兵として生きている間にもご縁はありましたが、私が愛した人、私を愛して下さった人に限って、妻になる前に亡くなってしまうんです。あなたもきっと、亡くなってしまうでしょう。そのような感情、捨てて下さい」


 周瑜は咄嗟に己の胸を押さえた。
 一族が患ってきた、不治の病……いつ限りが来るか分からぬ己の命。
 それを言い当てられたような気がしたが、違う。
 ○○の業とは、ただの偶然積み重ねだ。己の抱える病とは、関係無い。

 オレといつ出会ったかも分かっていない彼女が、病のことを知っている筈がない――――。

 だから気にしなくて良い。
 周瑜は、無理矢理に口角を上げた。
 腰を上げて彼女の背後に立つ。


「その男達は不運だったな。オレを恨んでるかもしれない」


 腰帯を結んでいた○○が動きを止めた。


「何故?」

「オレがアンタを手に入れるから」


 はっきりと断じ、抱き寄せる。
 うなじに口付けた。


「オレは死なない。ようやくアンタを手に入れて、死ねる訳がないだろう?」


 嘘を、つく。
 顎を掴んで後ろを向かせ、口の端に口付ける。
 不思議そうな顔をする彼女の頭を撫で、「ここで大人しく、な?」と耳で囁いて部屋を出る。

 危ない、危ない。
 ○○へ熱を上げ過ぎて孫権への報告を忘れそうになっていた。
 猫族で要職に就いている以上、ちょっとした遅れは怠慢として糾弾される。

 彼女をここに残して離れるのは惜しいが、仕方がない。さっさと済ませて戻ろう。
 周瑜の足取りは軽い。
 長年心を捕らえて放さなかった女性を、思いがけず手に入れたのだから、無理も無い――――。



‡‡‡




 戦場にいれば、何もかも忘れられた。
 戦場にあるのは生きるか死ぬか、殺すか殺されるか――――ただ、それだけだ。
 ただただ眼前の敵を殺すことだけに没頭すれば良いのだ。

 そうすれば、その時だけは、寂しさを忘れられる。
 喪った悲しみも、寂しさを埋めろと求める寒い虚ろも。

 だから、彼女は戦場を探す。

 業を嘆く自分を忘れたくて、血生臭い狂気を孕んだ澱んだ熱の嵐に身を投じるのだ。

 敗者となった以上勝者の采配に従わざるを得ない。
 更に運が良ければ黄蓋に会って妹達が息災か知れるやもしれぬとも思っていた。
 故に周瑜に大人しくついていったのだが、そこで予想外なことが、一つ。

 この周瑜という男、自分と昔何処かで出会っていたらしいのだ。
 しかも彼は、どうも私に惚れているらしい。

 恥ずかしいも嬉しいも思わなかった。
 ただ――――嗚呼、この人も死んでしまうんだわ、という虚脱感。

 私が愛し、私を愛してくれた男性は、皆死んでしまう。
 これは、業。
 ○○が生まれ持った業なのだ。

 その業は、自分ではどうしようもない。
 誰かを愛することを諦めた。
 誰かに愛されることを諦めた。
 誰かを愛さない為に目を焼いた。
 誰かに愛されない為に身体中に傷を作った。


 だのに、あの男は。


 いつ出会ったのかは知らぬが、目が見えずとも分かる程の強い執着を見せた。
 傷だらけの身体なぞ気にも留めなかった。
 平気で傷だらけの裸体を押し倒した。

 彼女が張った予防線は、彼には通用しなかったようだ。
 これでは、意味が無いじゃない。

 周瑜は○○を残し、部屋を出ていった。孫権に報告しに行くのだろう。
 いっそ武将として雇い入れるか、敵将として始末してくれれば、良いのに。

 でもこの国には黄蓋様がいる。きっと、私の思うようにはならないだろう。

 困った。
 また、喪失を繰り返す。
 あんな気持ちを味わわなければならないのか。

 嗚呼、困った。
 本当に、困った。

 溜息を漏らし、瞼を震わす。


――――けれど。
 己の業を知りながら、周瑜の想いを拒絶出来ないのは。


 愛し愛される心地良さを知っているからだ。

 ……己の命に、限りがやって来てしまったからだ。


 ○○はゆっくりと寝台に腰掛け、胸を押さえて僅かに前のめりになる。
 胸――――心臓。
 そこは今、病魔が巣くっている。

 この病魔がいつ、心臓を喰らい尽くすか分からない。

 私が先なのか、彼が先なのか……。


『オレは死なない。ようやくアンタを手に入れて、死ねる訳がないだろう?』


 周瑜は言った。

 堂々と、嘘の言葉を。
 それが分からぬ程、戦場に馴染んだ彼女は純粋ではなかった。

 きっと彼も、病を罹患しているのだろう。
 それが何なのか分からない。
 その病は、私よりも早く彼を死なせるのか。それとも私よりも生かすのか。

 ……後者だと、良い。
 私よりも生きていてくれるのなら、私が愛されたまま死んでいけるのなら……私は彼を受け入れても良い。
 周瑜という男性を愛そうと思ってみても、良い。

 愛されること、愛すること。
 どちらもとても心地良い。
 あの温もりを忘れてしまうには、剰りに幸福過ぎた。

 ○○は心臓の鼓動を感じながら、深呼吸した。
 戻って来た時、もう一度、訊ねてみよう。


 あなたは、本当に、私の業に殺されないのかと。



→後書き+レス


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