多分郭嘉に手を出された人達だと思うからと言っても、女官長に押し切られて結局目撃者捜しに向かう衛兵達を見送ることになった。


「放っておいて良いのに……」

「そういう訳には参りません。罪には罰を。これが理です」


 厳然と断じる女官長は、他の兵士にも協力を頼んでくると言って、私が止める前に野次馬の中へ紛れ込んでいった。

 残された私は、御者を横目に睨んだ。


「言わなくて良かったのに……」

「いやいや、言った方が良いだろ。ああいうことは。ところで嬢ちゃん、お詫びにっちゃあなんだが、家まで送ってやるよ。そこの兄ちゃんもどうだい?」

「あ、それは大丈夫です。私、店を見て回ってる途中だったので。もう暫くこの辺を彷徨(うろつ)くつもりです」

「大丈夫なのかい? まだ犯人が近くにいるかもしれないだろう」


 いや、それはもう、随分前から私を狙っている人達は沢山いましたから平気です。
 ……とはさすがに言えず、私は大丈夫を繰り返して無理矢理に押し切ろうとした――――


――――のだけど。


「賈栩さん!! ○○さんから絶対に目を離さないように! 良いですね!?」


 戻ってきた女官長に、怒鳴られた。


「……」

「……と、いうことだ」

「じゃあ、問題無ぇか。じゃあ、また今度改めて詫びをさせてもらうよ」


 ちょっと待って下さい、御者さん。
 この人と二人きりは、私、本当に気まずいんです。
 馬車に乗り込み仕事に戻っていく御者を見送り、私は頭を抱えて賈栩様に背中を向ける。

 と、後ろから頭をぽんぽん撫でられた。


「心配しなくても、もう何もしないよ」

「……」

「そちらが何もしない限りは」


 ちょっと待って。
 余計に気まずくなるんですけど、それ。
 賈栩様を振り返り、また先日の一件を思い出した私は、また顔を逸らした。


「……と、ところで、賈栩様と女官長と親しいなんて知りませんでした。女官長、いつも誰にも丁寧で礼儀正しいのに」

「ああ……彼女とは、前に仕えていた人物が同じでね。俺よりも年上だからと、やたらと世話を焼いてきて辟易していた」

「えっ、賈栩様よりも年上なんですか!?」


 驚きの事実。
 賈栩様より年下だと思ってたのに。
 思わず賈栩様を振り返って、すぐに逸らすと、賈栩様が小さく笑った。


「あれで四十に近い筈だ」

「う、羨ましい……!」


 あれで四十近いなんて!
 二十前半と言われても納得してしまうくらい、女官長は誰よりも若々しい。
 これが上流階級の女性の力と言うものか。
 自分の肌を触ってみるが、かさかさの荒れ荒れで、ハリとは無縁である。

 貴族と庶民の違いを実感し、私は溜息をついた。もう一度羨ましいとぼやいた。


「そんなに羨むものかい?」

「羨むものですよ。庶民だって、女なら綺麗になりたいって願望はあるんです」

「俺には分からない」

「殿方には分からないでしょうね。でも綺麗と思ったらそう言ってあげると女は喜びますよ。特にお姫様みたいに、自分の見た目に気を遣っている方々とか」

「○○は?」

「私は――――」


 ……。

 ……。

 ……ん?


「な、何で私なんですか」

「○○は、それを喜ぶのかい?」

「そりゃ、誰かにそう言われたら、素直に喜びますけど……私、全然綺麗じゃないですよ」

「綺麗と言うよりは可愛いの部類だろうね」


 ……。

 ……。

 ……んん!?

 ぎょっとした瞬間、賈栩様の顔が視界に入ってきて仰天した。
 数歩後退すると苦笑混じりに肩をすくめられた。

 いきなりはマズかった。
 しかもあの時程じゃなくてもすっごい近かった。
 ああもう落ち着け私の心臓。

 深呼吸を繰り返し、自身を落ち着かせる。

 賈栩様は私が逃げた分の距離を詰めようとはせず、苦笑を浮かべてこちらの動きを待っているようだった。
 そっか。私さっき店をもう少し見て回るって言ったからか。

 ……。

 ……うん。賈栩様と店回るとか、無理だ。
 ここは素直に帰ろう。


「賈栩様。やっぱり今日はこれで帰ります」

「店は?」

「今度にします。……また嫌がらせされて郭嘉にバレたら面倒臭いので」


 それらしい理由を取り付けると、賈栩様は納得してくれた。


「彼女達は、楽に生きてはいけないだろうね。見つかれば」


 女性達の厄介なところは、そんな目に遭うと分かっていないことだ。
 郭嘉は基本口説いて側に置いておく間は甘い言葉でどろどろに甘やかす。それで勘違いして、自分は愛されているから許されるという自信を持ってしまうのだ。

 複数人から嫌がらせを受けたのは初めてだけど、協力しているようでそうじゃないと思う。
 郭嘉は自分こそを一番愛しているという考えがそれぞれあって、出し抜けること前提で自分の為に他者を利用しているんじゃないかな。

 郭嘉に手を出された女性達は、どんな甘い言葉をかけられたのか、例外無く自信満々だ。
 だから郭嘉に振られた場合は自尊心を傷つけられた憤懣(ふんまん)に任せて城まで押し掛け、結果的に夏侯惇様が相手をさせられる苦労を背負うことになる。
 そんな人達だから私みたいなのが郭嘉の助手としてでも自分よりも側に置かれるのが気に食わないのだった。私自身、今すぐにでも郭嘉から解放されて前の生活に戻りたくて仕方がないんだけど、そんなこと彼女達には関係無い。

 自分は愛されていると自信を持っている、そんな女性達が郭嘉に酷い目に遭わされるのには、私もさすがに同情してしまう。

 このことは、郭嘉には黙っておこう。
 面倒臭くなるだけだ。

 私が城に向かって歩き出すと、賈栩様は私の斜め後ろを歩く。
 私を気遣って接近せず、適度な距離を保ってくれる。
 城に着くまでそれは少しも変わらなかった。ただ一度、急ぎ足の人とぶつかりそうになったのを事前に言葉で注意してくれただけ。

 申し訳ないけれど、心底ほっとした。

 門を抜けて、私は賈栩様に頭を下げた。


「賈栩様。助けていただいて、ありがとうございました」

「礼を言うよりも、今後気を付けて外を歩いてもらう方が良い。今日の一件はたまたま俺が近くを通りかかったから助けられたが、次はそうはいかない」

「はい。肝に銘じます。それと、女官長と用事があったでしょうに、邪魔しちゃってすみませんでした」


 「いや」賈栩様は苦笑混じりに首を左右に振った。


「元々無理矢理連れ出されて辟易していたところでね。正直、解放されて助かった」

「無理矢理?」

「詫びの品を買って渡せとね」

「詫びの品……誰か怒らせちゃったんですか?」


 賈栩様は肩をすくめた。
 懐を探り小さな木箱を取り出した。

 それを――――どうしてか、私に差し出した。


「?」

「先日の無礼の詫びに」

「先日……」


 そこで賈栩様が自身の口をとんとんと指で叩いて見せた。

 理解した。
 あ の こ と だ。
 まさか賈栩様から蒸し返されるとは思わなかった。
 私は賈栩様を見上げ、口角をひきつらせた。


「あ、あのー……いや、あれは……あー……えっと――――って、何で女官長が知ってるんですか」


 賈栩様は少し言いにくそうに、私が逃げ出した丁度その時を目撃した女官長が、賈栩様に猛烈な勢いで質問責めしたそうだ。
 どうも、賈栩様は女官長が苦手なようだ。
 彼女にだけは言いたくなかったのだが、と付け加えて、事情を説明したと語った。

 なるほど。それで女官長にあれこれ世話を焼かれて詫びの品まで買わされた、と。

 この賈栩様にお姉さん風吹かせてる女官長……お強い。
 今日だけで女官長の印象が一気に塗り替えられてしまった。私が思ってるよりも、凄い人だった。

 賈栩様は受け取ろうとしない私の手を取って、無理矢理に持たせた。


「え、いや……べ、別に、お、お詫びなんて要りませんよ……私……」

「女物を俺が持っていても、変な話だ。それに……あの人は、目敏(めざと)い」


 最後に苦々しく呟かれた言葉に、本当に苦手なんだなと思った。
 けど、何だかんだで付き合うくらいの信頼関係はある訳だ。

 ……いや、べ、別に羨ましい訳ではないけれど。

 私はそっと小さな木箱を受け取り、私の掌よりも小さなそれの感触を確かめた。
 開けようかと思った私の様子を悟ったらしい賈栩様は、私の頭を撫でて、女官長が戻ってくると面倒だからと足早に立ち去った。
 私はそれを見送り、木箱の蓋をそっと開けた。


「……わ」


 指輪だ。
 お姫様に似合うような豪華な物ではない。
 私の身の丈に合うような、飾り気の無い素朴な指輪である。でも、だからといって安物じゃないのは、私の目でも分かった。

 指で恐る恐る摘んで日に翳(かざ)す。
 反射して鋭い光を放つそれは、郭嘉に無理矢理渡された高い装飾品のどれよりも綺麗で特別に見えた。

 口が弛むのが、自分でも分かっ――――。


「そこで何をしてるんだ、○○」

「ぅ、うわわわっ!?」


 不意に話しかけられ、驚いた私は思わず指輪を取り落としそうになり、必死に握り締めた。変な格好になってしまったのは、仕方がないと思う。
 私はすぐに体勢を元に戻し、木箱と指輪を袖の中に隠し、落ちないように押さえて振り返った。


「あ、か、夏侯惇様! お、お疲れ様です……っ」

「袖がどうかしたか?」

「いえいえ何でも!」


 鍛錬直後のようで汗で髪が濡れている夏侯惇様は、不思議そうに首を傾けて瞬きを繰り返す。

 私は取り繕うように笑って誤魔化した。


「そうか。なら良いが……。先程町の方で事故が遭ったらしいが大丈夫だったか。お前、今日は父親の墓参りだっただろう」

「大丈夫でしたよ。その騒ぎの近くにいましたけど」


 まさか私が馬車に轢かれかけましたなんて正直に言える筈もなく、嘘を付いた。
 私が言うと、彼は微笑んで「十分父親と話は出来たか?」と。

 私は頷いた。


「話せるだけ話してきましたよ。愚痴も含めて。一人で店もゆっくり見て回れましたし、お爺さん達と碁も打ってきました」

「負けただろう」

「……よくお分かりで」


 夏侯惇様は笑った。
 彼も、私が碁が弱いことを良くご存じでいらっしゃる。

 渋面を作ると、夏侯惇様は私の肩を叩き、


「悔しいだろうが、負けることも、武人の成長には必要なことだ」


 重い言葉をくれました。
 でも笑ってる。笑いながら言ってる。
 半分はからかってる。
 私はぎっと睨んだけれど、夏侯惇様に軽く謝罪されるだけだった。


「次の墓参りの時には、お爺さん達を倒せるように精進します!」

「そうか、頑張れ」


 心 が こ も っ て な い!
 笑いながら、夏侯惇様は夏侯淵様に呼ばれているからと、歩き去って行った。

 私は口を尖らせ、懐からもう一度指輪を取り出す。

 気を取り直してまた日に翳し、輝く様を満足行くまで見つめていたのだった。



 その様子が女官長に目撃されて、賈栩様に脚色過多で話されたことを知った私が頭を抱えて唸る様を、郭嘉が笑いながら眺めるのは、これより三日後のことである。



→後書き+レス


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