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恋愛経験の浅い夏侯惇に焦り無くのんびり構えていられるのは、彼自身、分かっているからだった。
○○の笑顔が、夏侯惇に対してのみ、違うことを。
夏侯惇にすら分かりやすい違いなのだけれど、本人だけが全く気付いていない。……他人に言われても、気付かないように思える。
歩み寄りが難しいと言うのは、それも原因の一つであった。
「どうすんだ、これから」
無理に迫る気も無いと分かっているくせに、世平は敢えて訊ねる。
からかっているのだ。
○○との関係について、趙雲や関羽は真摯に応援してくれるものの、猫族は皆夏侯惇を集中して揶揄(やゆ)してくる。○○だと揶揄しても意味が分からぬまま、異なる反応を得ることが容易く予想される為、夏侯惇に的を絞ってくる。完全に遊ばれているのだった。
○○と夏侯惇の仲を疎ましく思っている者が一人もいないのは有り難いことだが、それだけはどうにかならないものか。
仮に恋仲になれたとして、揶揄はますます悪化しそうな気がする。
世平をじとりと睨めつけ、夏侯惇は嘆息する。
「どうするべきかお前に分かるのか?」
「いいや? そもそもあいつと恋愛が結びつかねえな」
にやにやしながら言う世平の意地の悪いこと。
○○が夏侯惇に対して無意識に見せる表情を知っていて敢えてそう言っているのだった。
夏侯惇は溜息をつき、歩き出す。
くっ、くっ、と世平の笑い声が聞こえた。
‡‡‡
「○○、一昨日、男の人にお茶に誘われたのよ」
関羽が楽しそうに夏侯惇に語りかけた。
他の猫族と違い揶揄の顔ではないから何かあるのだろうと耳を傾ければ、そんな話。
確かに○○は男性を惹きつける容姿をしている。
町を歩けば異性に声をかけられるのはごく普通のことだった。
○○は親友からの言いつけをしっかりと守り、親しくない男は勿論、さほど交流の無い男と二人で出かけることは絶対にしない。
それを分かっているから、夏侯惇も不快に思ったりはしなかった。
関羽も心得ているだろうに、何故敢えて話すのか。
少しだけ気になったから無言で続きを待った。
「まるで詩人みたいに飾った言葉で気を引こうとする人だったんだけど、○○ってばやっぱり気付かなくって、ずっときょとんとされているものだから、その人凄く苦戦してたわ」
……容易に、その様が想像出来てしまう。
男もさぞ当惑したことだろう。飾りたてた言葉で女は喜ぶと思っていたのだろうが、○○は一筋縄ではいかない。
夏侯惇がくすりと笑うと、関羽も笑みを深めた。
夏侯惇は油断していた。
「それでね、その人とうとうこう言ったのよ。『君を傍で癒せる唯一の男になりたい』って。そしたら○○は笑って『ならばすでに夏侯惇殿がいらっしゃるから間に合っている』って」
「……」
夏侯惇は暫し固まった。
関羽は夏侯惇の顔を覗き込み、
「聞いてる? 『ならばすでに夏侯惇殿がいらっしゃるから間に合っている』ってはきはきと答えたのよ、あの子」
「……」
「夏侯惇? もう一度言った方が――――」
「っ、二度も言われればさすがに分かる!」
裏返ってしまった声に関羽が笑う。
「顔、真っ赤よ」
「……っ」
きっと睨めば関羽は微笑み、「良かったわね」と祝福するのみである。両手を後ろで組んで、にこにこしている。
苦虫を何匹も噛み潰したような心地である。
関羽は他と違いまったき善意で教えてくれたのだろうが、これでは奇襲と変わらない。
呻いて片手で顔を覆うと、後ろから声がかかる。
「何をしている、関羽、夏侯惇」
曹操である。
竹簡を片腕に抱えて、不思議そうに見ている。
「曹操様……」
「曹操。一昨日の○○のことを夏侯惇に教えてあげていたの」
「……ああ、あのことか」
曹操は穏やかな顔で夏侯惇を見、目を細めた。
主は夏侯惇と○○のことには興味を持っていない。が、無言で何かを思われるくらいならいっそ何か言って欲しい。
夏侯惇は肩を落とし、目を逸らした。
「そう言えば、○○が捜していたぞ」
「○○が?」
「いつもの鍛錬だろう」
余程お前との手合わせが気に入っているらしいな。
曹操の楽しげな声に、夏侯惇はぎょっと顔を上げる。
予想外なこと。
今まで夏侯惇と○○の関係に何も思っていなかった筈の主は、うっすらと笑っていた。
関羽が口元に拳を当てて笑いを堪えている。
「○○は、お前の部屋の近くを彷徨(うろつ)いていたな」
「夏侯惇。行ってあげて。○○、あなたとの手合わせをいつも楽しみにしているの」
関羽は善意だ。
だが、曹操が……興味が無かった筈の上司が、明らかに自分をからかっている。
夏侯惇は僅かに震える手で拱手し、その場を辞した。足早に逃げる。
行き先は、自分の部屋だ。
すると曹操の言う通り、○○が周囲を見渡しながら歩いている。
「何をしている」
「あっ、夏侯惇殿!!」
ぱあっと花が咲いたように笑う○○に、足を止める。
夏侯惇は再び片手で顔を覆い、長々と溜息をついた。
ぱたぱた駆け寄って来た○○は、夏侯惇の顔を覗き込み心配そうに眦を下げた。
「夏侯惇殿。ご気分が優れませぬか?」
「いや……鍛錬だったな。丁度、手空(てす)きだ。付き合おう」
「大丈夫なのですか?」
「ああ。考え事をしていただけだ」
○○は夏侯惇の顔をじぃっと穴が開く程見つめ、大きく頷くと深々と頭を下げた。
「では私めとお手合わせ、是非お願い致します!!」
「分かった」
顔を上げた○○は、嬉しそうに頬を朱くして笑った。
それだけで上司にすらからかわれたことがどうでも良くなる辺り、自分が思う以上に目の前の少女のことを好いている。
○○に背を向け、一人、苦笑するのだった。
→後書き+レス
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