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「どうも、源。これお駄賃」

「おおきに。この辺でワイは一旦失礼させてもらうわ。話が終わる頃にまた合流するさかい」


 山菜を適度に摘んだ辺りで、有間が木の影から姿を現した。

 ここへ来た時には手ぶらだった筈が、『鬼王の舌切り』という不穏な名前の一升瓶を源に差し出した。
 山菜を摘んだ笊をエリクに渡し大事そうに酒瓶を受け取る源は、エリクの視線が酒瓶に向けられているのに気付き、身をよじって隠した。


「やらへんで」

「名前が何だか怖いから遠慮しておくよ」

「妖用の強烈な酒だから、人間は呑まないほうが良いよ。高確率で死ぬ」

「死なんでもえげつない依存症になるで。何たって、数千年前の鬼の王がこの酒飲んで酔い潰れて舌切られても心臓貫かれても起きれへんかったっちゅう、いわくもんやし」


 そんな昔の酒が現存しているのは不思議だが、妖専用の酒なら勿論作っているのも妖だろう。人間よりもずっと寿命の長い妖ならば、数代繋げば数千年くらい続くのかもしれない。
 人間が呑める酒ではないと分かっているくせに、酒瓶を守るように抱き締めいそいそと離れていく烏天狗を見送り、エリクは苦笑いを浮かべた。

 源の姿が見えなくなって、有間が口を開いた。


「率直に訊くけど、今のリィリィになってサチェグについて何か言ってた?」


 心臓が跳ねた。


「それは全く。でもそれって、つまり――――」

「リィリィは知ってる。父親の記憶を見てるんだから、知らない筈がない。……まさかエリク。気付いてなかったの?」


 エリクは沈黙した。

 そんなこと、今まで考えもつかなかった。
 彼女の言う通りだ。セネルの記憶を見たエリクが、セネルを殺した相手を知ったのだから、それを最初に見たリィリィが知らない筈がないのだ。


「アリマも知ってたんだ」

「いや、うちは挙動不審だったアルフレートから無理矢理聞き出しただけ。すっごい分かりやすかったから」


 ああ、そういえばセネルはアルフレートにも頼って本を彼の側に置いていたのだった。
 清柳の話では本の中身を彼も知っている。有間にも言わないようにと口止めしていたと記憶しているが、どうやらあの実直な異母兄は隠し通せていなかったらしい。

 屋敷で一連の流れを話していたから、セネルの記憶を見たエリクもアルフレート同様知っているとの認識の上で話を切り出していたのだった。
 怪訝そうな有間の視線から、エリクは俯いて逃れた。

 そんな簡単なことにも思い至らなかったのは、リィリィを気遣うあまりに思考が鈍っていたからだろうか。

 ……いや、違う。可能性を分かっていて、気付けること、気付くべきことをエリクは拒否したのだ。
 父親だけではなく、母親もサチェグは殺した。正しくはヘルタータを殺したと思い込んでいたのが実はほととぎすという女性によって生き残っていた訳だが、リィリィにしてみれば両親の仇と思っても仕方のないことだ。

 エリクはサチェグに対しまだ身構えてしまうことはあれど、その人柄は決して嫌いではない。異母妹を殺そうとしたのだってサチェグなりの理由があったのだろうし、血の繋がった妹を殺すことに何の抵抗も無かったとは思いたくなかった。

 二人の間に泥沼の確執を生ませてはいけないと、蓋をしたのだ。

 視線を下げるエリクに有間は「まあ、気持ちは分からないでもないけどね」肩をすくめた。


「今後のことを思えば、リィリィとサチェグの間に確執を生むべきじゃない。うちらが死んだ後、ここの管理はサチェグに任せることになる。あとどれくらいの寿命がリィリィに残っているか分からないから。けどさ……」


 多分、サチェグも気付いてる。
 有間の言葉にエリクは目を剥いた。


「サチェグが? まさか!」

「リィリィの家にサチェグを連れてもう一度行った時、あいつは最初にリィリィが忘れていった『セネル』のページを見つけたんだよ。彼の最期を記したページをね。リィリィが記したのがただの伝記じゃないってのに気付いたのもそのページの文字に指を載せた直後。となれば、あいつはセネルが何者か気付いてる筈。忘れてなければだけど」

「じゃあ、サチェグは最初から分かっていて?」

「何も言わないようにしてるんだろうね。どうしてかは、訊いてみるまで分からないけど」


 有間はリィリィの異変を察知してすぐにここへ来たらしく、サチェグには何も言っていないらしい。
 アルフレートから聞き出した後にも、あの兄妹の確執には無関係の有間が安易に触れられる問題ではないし、結果リィリィに何かしらの悪影響が出る可能性も考慮して訊ねることはしなかったそうだ。
 黒の獄地で見つけた時に、感じ取った楔を除こうとして、意識の根底に封じられた《年相応のリィリィ》から拒絶と嘆願を受けたと、有間は屋敷で話している。
 セネルの死も受け入れられなかったリィリィだ、突然父親の仇の話をされてしまえばどんなに苦しんだか。今のような結果に至らなかったかもしれない。

 サチェグとリィリィ双方を気遣う選択をした有間が、今、リィリィが心と身体が本来在るべき状態に戻ったからと言って波風立てるようなことをするとは、エリクには思えない。
 エリクは顔を上げ、確認した。


「今の状態でならリィリィやサチェグに問い掛けられるってこと?」


 有間は首を左右に振った。


「いや、リィリィが何も言っていないなら、何も訊かないままで良いよ。その方が良い。一応、うちらが死ぬまでまだ時間はあるんだし。この件についてはゆっくり考えていこう」

「うん。それが良い」


 エリクも深く頷いて同意を示す。同時に、ほっとした。

 有間はそれで話が終わったとばかりに、声を張り上げた。


「源! 話はもう終わったから、うちは先に戻っとく」


 後から戻るように言い置いて、有間はエリクに片手を挙げて軽く振り、脇を通過して行った。


「アリマ」

「じゃあ、晩飯に遅れないでよね」


 有間は屋敷の方角へ歩き出す。

 やや遅れて、源が姿を現した。


「ほな、ワイらもぼちぼち戻ろか」

「そうだね。少し、遠回りしていこうか」

「せやな」


 有間の向かった方角とは違う方へ進んだ。

 源の手には酒は無い。


「源。お酒は?」

「こっそり部屋に隠してきたわ。あれ、妖でも高いんやで。大事に大事に呑ましてもらうわ」


 満足そうに言う源。
 エリクは苦笑した。



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