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 リィリィは、数日後にはいつも通りの生活に戻っていた。

 彼女自身元の調子に戻って――――いれば良かった。

 安堵するもつかの間、嘗ての日常に戻ると同時に始まった彼女の問題行動にエリクは連日頭を悩ませることになった。

 まず、くっついてくる。ぴたりと身体の一部をくっつけてくる程度から、手を握る・腕を絡ませるに留まらず、突然、抱きついてくることもある。
 これに関しては、好いた相手にこみ上げてくる衝動があるものの、抑えられない程度ではない。やんわりと、穏やかに剥がせば良い。

 厄介なのは、夜。寝静まったである後。
 いつかの朝のように、目が覚めた時にリィリィがエリクの布団の中にいるのである。
 しかも背後に寄り添うのではなく、エリクの懐に入って無防備な寝顔を晒す。
 こんなことが連日続くので、エリクは日々悶々と苦悩している。
 夜のうちに侵入してくるのは確かだが、どうしてかエリクは毎度懐に入ってくる彼女の気配に気付けない。
 徹夜をして備えるかと思ってはいるが、夜になるとどうしても眠気に負けてしまう。前はこんな風ではなかったのだが、色々と頭を悩ませている所為だろうか。
 エリク自身ここまで悩んでいる自覚は無かった。

 リィリィの純潔の為にも本当に止めて欲しい。
 このままではいつか、本当に……本当に、我慢が利かなくなってしまう。
 その時に苦しい思いをして泣くのはリィリィなのだから。

 ……とは言えずに、何とか言葉を尽くして問題行動を止めるように言い聞かせるも、リィリィはその場では分かったと頷くのに全く止めない。

 お好もさすがにエリクの懊悩(おうのう)振りが尋常でないと最近になって案じ始めたらしい。
 リィリィが問題行動を起こさないように見張ってくれてはいるものの、妖のお好は地下書庫に入れないし、そこでなくとも彼女も彼女でやらねばならないことは多くある。ずっとリィリィに付きっきりという訳にはいかない。

 リィリィもそれを分かっているので、妖が入れない地下書庫以外では、お好が側にいないこと、暫く手が離せない状態であることをしっかり確認して、エリクに接触してくる。

 本来の成長を取り戻した影響が知能にも及んでいるのだろうか、前には無かった狡賢さが見られるようになった。

 それが小悪魔的な魅力に感じられる自分にも、呆れ果てる。


「――――という訳なんだけど、どうすれば良いと思う?」


 エリクが音を上げて助けを求めたのは、清柳である。

 清柳もエリクの様子が妙なことにも、お好がいつも以上にリィリィを気にしていることにも気が付いていたようで、「なるほど」苦笑混じりに顎を撫でた。


「エリクの坊を見るリィリィの目が前と違うように思えたのも、儂の気の所為ではなかったようだ」

「僕を見る目……?」

「ううむ。どう言えば良いか……」

「分からないなら、無理に教えてくれなくて良いよ」


 何となく、それを聞いてはいけない気がしたエリクは苦笑混じりにやんわりと止める。

 彼の何処かひきつった笑みに清柳は溜息をつき、茶を啜って少し間を置く。


「……リィリィの中で、何か心境の変化があったのであろうな。それが、リィリィにそのような行動を取らせたのやもしれぬ」


 心境の変化。
 心の中で反芻(はんすう)し、背筋にひやりとしたものを感じた。

 その変化がどういう類のものなのか。
 そこに自分と同種の感情が芽生えたとすれば――――。

 いや、それでも。

 知りたくない、と思った。
 知ってはいけないと思った。
 知ってしまったら今の生活が壊れてしまう。
 そのことにエリクは心底から恐怖した。

 この感情は叶わないままの方が良い。
 だって、自分とリィリィでは《寿命》に差がありすぎるのだから。


「エリクの坊や。顔色が悪いぞ」

「っ! あ、ああ……ごめん」

「相談を持ちかけた相手の前で考え事に没頭するのは、感心せんな」

「うん。失礼だったよ。本当にごめん」


 素直に謝罪して頭を下げる。

 清柳はエリクの心中を察している様子だが、何も言わないでくれた。


「……リィリィには、儂からも良く言い聞かせておこう。どれ程の効果があるか分からぬが……」

「ありがとう。助かるよ」


 エリクは清柳にまた頭を下げて、立ち上がった。
 再び謝罪と感謝を重ね、逃げるように清柳の部屋を出た。



‡‡‡




「……何や、エリクはん。途端に臆病になりよって、情けないやっちゃなあ」


 ぼやいたのは、源である。

 清柳は煩わしげに天井を見上げ、がこっと横へズレる板に堅く分厚い唇をひん曲げた。


「源……斯様な場所で盗み聞きとは、良い度胸だな」

「堪忍、堪忍」


 天井に開いた穴から顔を出した源は、片手をぞんざいに振って謝罪。ずるっと落ちて畳に大量の埃と共に着地した。
 渋い顔の清柳に悪びれない笑みを向けながら両手を顔の横で円を描くように回す。

 すると埃が舞い上がり、上昇気流に乗って天井裏へと戻っていく。
 蓋をするように、天井板が元の位置にはまる。

 これで良しとばかりににこやかに頷く源。

 が、清柳の渋面は変わらない。


「源」


 穏やかな声が、一層低くなる。
 ぶわりと彼の身体から放たれる妖気は鉛のように重く、冷たい。

 源は堪えた様子も無く清柳の正面に胡座を掻いた。


「エリクはんも、《そう》なんやなぁ」


 感慨深げに吐息を漏らした。
 遠くを見る烏天狗の濡れた目が誰を捜しているのか知っている清柳は、卓を軽く叩き彼の思考を一旦中断させる。

 源の意識が向いたのを確認し、


「誰でも《そう》だ。短命の者と長命の者、その《差》は誰にもどうすることも出来ん」


 エリクがリィリィの想いを認めようとしないのは、人間とダークエルフの寿命の差を分かっているから。
 自分がセネルのように彼女を置いて逝く存在であると自覚していればこそ、その想いを通わせてはいけないのだと自制をかけているのだろう。

 置いて逝かれる側である清柳には、エリクにリィリィの想いを受け止めて欲しいとはとても言えなかった。

 それは源も同じだと思っていたのだが、どうも違うらしい。

 目を細めて見つめていると、源はけろっと、


「なあ、どないしたらくっつくと思う?」


 などと問いかけてくる。


「源……」

「大丈夫やって。エリクはんなんやし」

「一体何処からそのような自信が出てくるのだ」

「勘や、勘」

「……」


 溜息が、出た。



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