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「源、入るよ」

『おん』


 朝食の後源の部屋を訪れると、源は焼酎を飲んでいた。

 エリクは彼の正面に座って窘めた。


「朝から飲酒は止めなよ」

「祝い酒やから堪忍してや」

「祝い酒?」


 怪訝の目で源を見るエリクは、卓上のとっくりに隠れてお猪口がもう一つ置かれていることに気付いた。
 それを示し、


「どうしてお猪口が二個あるの?」

「そら、飲むもんがおるからに決まっとる」


 身を乗り出して覗き込むと、酒が注いである。
 飲む者って……。


「まさか僕じゃないよね?」

「自分にこれはまだ早い。この味が分かるには、あと二十年は酸いも甘いも経験せな」

「じゃあ、誰が?」


 源はそのお猪口を見つめながら、目を細めた。


「……セネルの奴、ワイの秘蔵の酒を一滴も飲まんで本に戻っていきよった」


 エリクは瞠目した。


「セネルさんが、さっきまでこの部屋にいたの?」


 源はゆっくりと頷いた。
 溜息をつき、エリクに視線を向ける。


「自分に、『ありがとう』なんぞ言うてたわ。あの悪魔が」


 鼻で笑う源の言葉は、呆れに混じって安堵があった。

 エリクはほっとして、笑みを浮かべた。


「そっか……」


 しかしエリクがセネルに礼を言われるのは、間違いだと思う。
 エリクは無責任に眠っていたものを呼び起こし、リィリィを苦しめてしまっただけ。
 解決に導いたのは、リィリィの母、ヘルタータだ。エリクではない。

 そんな考えが源にも伝わってしまったようで、


「エリクはんはセネルの願いに気付いたんや。それが無ければそもそも解決せえへんかった」


 源はセネルへ注いだ酒を少しだけ寂しそうに飲み干した。


「おおきにな、エリクはん」


 源の感謝を受けても、エリクはただただ申し訳なくて眉尻を下げた。



‡‡‡




 今日一日は外に出ず過ごすらしい源の部屋を出たエリクは己も今日は自室で過ごそうかと思ったが、地下書庫の整理をしなければなるまいと、そのまま一階に降りた。

 地下書庫へ続く階段がある間へ歩くエリクの裾が、不意に後ろからくんと引っ張られた。

 振り返ると、いつもと違う装いのリィリィがじっとエリクを見上げている。
 お好か林檎がやったのだろう、長い髪を編み込んでお団子にしている。服も、白地に真っ赤な牡丹が咲いた艶やかな着物を着ている。うっすらとだが、化粧もしているようだ。

 一瞬魅取れてしまった為にすぐに言葉が出てこなかった。

 リィリィが首を傾げて、慌てて取り繕うように言葉を絞り出した。


「今日は、いつもと違った装いだね。お好さん達がしてくれたの?」


 リィリィはこくんと頷いて俯いた。
 「良く似合うよ」褒めると、ばっと顔を上げる。


「似合いますか?」

「うん、とても」


 頷くエリクをじいっと見つめ、リィリィは目を真ん丸に見開く。
 かと思えばまた俯いて、胸を押さえる。


「……嬉しい……」


 何かを確かめるような口調のそれは、どうやら独り言らしい。

 リィリィは暫くそのまま黙り込み、沈黙に耐えかねてエリクが声をかけようと口を開いた瞬間に何処かへ走り去っていった。

 一人残されたエリクは、何事か分からず戸惑うばかりであった。


「今のは、一体……」


 何だったんだろうか。
 エリクは茫然と立ち尽くしていた。

 が、ふと玄関から清柳の声がして我に返る。


「おお、砂月殿ではないか!」


 砂月……サチェグのことだ。
 エリクは急ぎ足で玄関へ移動した。


「有間殿やお子はご健勝だろうか」

「母子共に、経過は悪くないってよ。あいつの式とアルフレート殿下の間で山茶花の争奪戦になってる」

「目に浮かぶね」


 笑いながら二人の会話に入ると、サチェグが苦笑混じりに会釈する。


「まあ、結局軍配は父親に上がるんですけど」

「で、あろうな」


 清柳は小さく笑い、サチェグを中へ招き入れようとした。

 だが、サチェグは申し訳なさそうに断った。


「悪いな、清柳。用事が終わったらすぐに発つんだよ」

「そうか。それは残念だ。では何用で参られたか伺おう」


 サチェグはもう一度謝罪して真顔になり少し沈黙した。

 彼が話し出すのを待っていると、


「この辺りで、褐色の肌をした、見た目は良いが飄々としていてとにかく人の神経を逆撫でする女を見なかったか?」

「それは……」

「……ええと、」


 ヘルタータのことだ。
 リィリィとセネルの一件を話すべきかどうか一瞬迷ったが、言わないことに決めた。

 言っても手がかりにはならない気がしたし、リィリィが姪にあたるとサチェグには教えない方が良いのではないかと思った。
 異母妹をおびき寄せる為にリィリィを利用するとか、そういうことを心配しているのではない。そんな人物でないことはエリクも分かっている。

ただ、互いの関係を知ることで彼女とサチェグ双方が傷付き、悩み苦しむことになるかもしれないと、不安なのだ。

 未だに後悔と罪悪感が残るエリクには、安易に話せない。

 だから、


「……その人かは分からないけれど、この間森を散歩している時、褐色の肌をした女性は見かけたよ」


 そう、答えた。

 サチェグは腕を組み、思案する。


「そうですか……分かりました。ありがとうございます」

「お礼を言われることじゃないよ。探している人とは違うかもしれないし」

「それでも情報が無いよりはましですから。じゃ、軽く森を捜してみますわ」


 サチェグは片手を挙げて、身体を反転させた。


「何処へ向かわれる」


 その背へ清柳が問いかける。


「宛がないなら適当にふらつくのが俺のスタイル」


 サチェグは振り返らず、肩をすくめて「土産は買えたら持ってくるよ」屋敷を出ていった。

 見送り、サチェグの姿が見えなくなったところで、


「じゃあ、僕は地下書庫の整理をしてくるよ」

「ああ。では、昼にな」


 別れ、今度こそ地下書庫へ降りていくのだった。



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