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 ヒノモトの耳長――――エルフ達の話は、もうしなかった。
 気を遣ってくれた源の寂しげな顔を見てしまっては、それ以上のことを聞きたいとは思えなかった。

 それからエリクは、『セネル』の件も忘れ、同じ日々を繰り返す。


 そのうちに、身ごもっていた有間がとうとう出産を迎えたのである。


 臨月はとうに過ぎている。
 初産の有間の子は、産婆も不安がる程出産の兆しを見せなかった。
 もしや胎内で死んでいるのでは――――見かねたサチェグが術で子の様子を探ってみたが、何ら異常は見られなかった。問題無く成長している、まったき健康体であったという。

 であれば母体に問題があるのか。
 これも、有間は病を罹患(りかん)しておらず、体調不良も無かった。

 問題の無い母子。
 果たして――――最終的にサチェグが導き出した答えは。


『あれだ、母親が救いようが無いくらいにひねくれてるからだ!!』


 である。

 さすがに、鯨と有間にボコ殴りにされた。アルフレートに助けられたが、恐らくあの後身体中に痣が出来たに違い無い。

 結局理由は分からないまま、経過観察を続け、何の問題も起こらずに陣痛が訪れた。

 フード付きの外套で耳を隠したリィリィを連れ、有間の出産に立ち会おうと村に行く。

 有間とアルフレートの家は、すでに大騒動だった。
 ヒノモトの慣習に則(のっと)り男衆は家を追い出され、女手だけで赤子の取り上げ準備に取りかかる。

 エリクもその例に漏れなかった。
 リィリィは中に入れたが、知らない人ばかりの空間に彼女が一人で入れる訳もなく、エリクにぴったりくっついて離れない。アルフレートでも鯨でもなく、エリクにのみ、だ。
 有間には申し訳ないが、エリクはそれが男として嬉しかった。

 出産には、かなりの時間を要した。

 アルフレートは気が気でないようで、あちらこちらを歩いて回る。有間の悲鳴に近い声が聞こえるとびくりと肩を震わせ玄関をじっと見つめるのである。
 その様を、情けない……とは思わない。
 きっと初めて父親になる男は、皆同じような反応を示すだろう。

 エリクも、あの有間の苦しげな呻きには、不安が煽られ冷静さを失いそうになる。
 平静でいられるのは、偏(ひとえ)にリィリィのお陰であった。彼女が怯えて息を張り詰めるのが分かるから、自分が冷静でいなければと気が引き締まるのであった。

 夜明け前に、赤子の泣き声が上がった。

 瞬間、アルフレートはその場に座り込んだ。長い長い溜息が、力無く開いた口から溢れ出す。


「産まれた……!」

「産まれやしたねえ」

「あ、山椒」


 艶やかな女物の着物は、夜闇の中でも良く映える。
 山椒は袂をぱたぱた揺らして歩み寄ってきた。楽しげに笑っている。


「こりゃどうも、エリクの旦那。さて、何ともまあ元気なお子のようで。こりゃあ、育てるのも難儀かねえ」


 揶揄する口調で言う彼も喜んでいるのは、誰に目にも明らかだった。

 エリクは苦笑し、鯨に手を借りて立ち上がるアルフレートに笑いかけた。


「良かったね」

「……ああ」


 アルフレートは、疲れた顔に無理矢理に笑みを浮かべた。

 疲労が濃くとも、それ以上に歓喜に輝いた笑顔だった。



‡‡‡




 有間と赤子に対面出来たのは出産から三ヶ月も過ぎたある日の昼下がりである。

 ヒノモトでは、出産の場は妊婦がより子を産みやすいように、また弱い赤子の身体に異常を来さないように、家屋内に女の陰の気を充満させる必要がある為、陽の気を放つ男は絶対に入ってはならない。
 出産を終えた後も溜まった陰の気を消す長い儀式を巫女が行うので、男が入るまでにはだいぶ時間がかかる。

 しかも制約はまだあり、出産から三ヶ月間は、決まった時間帯に母親の肉親と、子の父親が面会を許される。
 血の繋がりの無い鯨はこれに当てはまらず、有間に面会出来るのはアルフレートのみとなる。

 さすがに長期間護村で待っている訳にもいかないので、エリクとリィリィは出産の翌日に屋敷に戻った。

 そろそろ良いかとリィリィといつ有間に会いに行くかと話し合っていると、有間達の方から二人の屋敷にやって来た。


「どーも」

「アリマ! もう出歩いても?」


 柔らかい布に赤子を包んで大事そうに抱える有間は、もう完全に母親の顔である。
 有間は肩をすくめた。


「大丈夫だってさ。まあ、護衛付けてすぐに家に戻るんなら、だけど」


 その護衛が、アルフレートだ。

 リィリィは恐る恐る有間に近付き、そうっと小さな顔を覗き込んだ。
 赤子は、すやすやと良く眠っている。


「……小さいのです」

「ああ。これでも少しは大きくなったんだけどね」


 リィリィは赤子の寝顔に見入った。
 その横から、エリクも覗き込む。

 赤子の髪はとても赤かった。


「女の子?」

「女の子」

「名前は?」

「山茶花」

「山茶花か。凄く良いと思うよ」


 山茶花。
 どうしてその名を子供に付けたのか、エリクは察しがついた。
 けれども敢えて触れず、アルフレートに祝いの言葉をかけ、リィリィと顔を見合わせる。


「……と、他の奴らは?」

「ああ、呼んでくるよ」

「私も手伝います」

「うん。二人は居間にいて」


 有間は頷き、アルフレートを振り返った。

 その間にエリクとリィリィは分かれて妖達を捜しに行く。
 二人は、まだ長居が出来ない。
 早く集めて、喜びや祝う気持ちを共有したいものである。

 エリクの口角は、自然と上がっていた。



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