それからまた、一ヶ月が経過すれば、エリクとリィリィの仲も随分と変化した。
 無論、人気の無い場所に限られるが二人で外に出かけるようになり、どちらかの部屋でエリクの知るお伽噺や、ファザーンの祭りや暮らし振りを話してやるようになった。

 リィリィは純粋にエリクとの時間を楽しんだ。
 エリクもまた、リィリィとの時間は安らいだ。

 心を許してくれたリィリィはよく笑う。とても可愛らしいと思う。
 側にいて、笑みだけでなく些細な仕種にすら、そう思うようになった。

 その感情が何を意味するか、分からないエリクではない。
 これは昔、一度抱いたものに似ている。

 正直、エリク自身が面食らった。
 リィリィは年齢では遙か上ではあるものの、見た目はエリクよりも随分と下だ。
 長寿のリィリィの見た目を、恋愛対象として見るには、剰(あま)りに幼い。

 けれども一度見つかって主の認識を受けた温かな感情は、許可を得たとでも勘違いしたのか日を追うごとに膨れ上がっていった。

 たった二ヶ月で――――なんて思わない。
 前はもう少し短かった。

 気付かない方が良い感情だった。
 いいや、そもそも持たない方が良かった。

 恋慕の厄介さは自分がよく分かっている。
 エリク自身がどんなに苦心して表に出すまいとしても、ふとした瞬間、些細な仕種に現れてしまうだろう。恋慕とは、別なる生き物のように我が儘で、すぐに相手に気付かれようと勝手に動き出す自分勝手な感情(やつ)なのだった。

 どうしてリィリィをそう言った対象として捉えてしまったのか……自分でも不思議だ。
 一度抱いてしまった恋情は簡単には消せまい。その想い人が側にいる時間の多い現状では、尚更。

 リィリィはエリクがそんな感情を自分に向けていることなど知りもしない。知ってはいけない。この熱い感情はきっと彼女を怯えさせてしまう。
 出来れば、何事も無く、過ごしていたい。
 その為に、エリクは想いを自覚してからリィリィと距離を取るようにした。勿論気付かれないように、さり気なく、である。気付かれた結果勘違いをされては意味が無い。

 だが、それでも分かる者には分かってしまったようで。


「どないしはったんや、エリクはん」


 何や、お姫さんと喧嘩でもしたんかいな。
 妖の中では一番仲の良い源が、寝る前に心配そうに部屋を訪れそう問いかけてきた。

 悟られているとは思っていなかったエリクは一瞬言葉に詰まりつつ、すぐに平静を装った。


「どうしてそう思うの?」

「エリクはん、前はようお姫さんと一緒におったっちゅうのに少ーし距離が開いとるし、お姫さんと過ごす時間も少のうなっとるような気ぃすんねん」


 座布団に腰掛けて、源はエリクの顔を覗き込んでくる。

 エリクは苦笑し、誤魔化すか思案した。
 しかし、源はこう見えて口――――否、嘴(くちばし)が堅い。脚色の為に話を盛ったり嘘を含めたりするが、絶対に言ってはならないと頼んだことは、存外律儀に守ってくれる。
 彼に話してしまえば、少しは気も楽になるかもしれない。


「……誰にも話さないでもらえると、有り難いんだけど」

「何ぞ悩みでもあるんかい?」

「ちょっと……いや、かなり困った状況になっていてね」


 エリクはよくよく嘴止めをしておいて、自身の恋慕を明かした。

 源は軽く驚いたが、嘴を挟まず黙ってエリクの話に耳を傾けた。
 話が終わったと見てから、ようやっと嘴を開く。


「なるほどなあ……。ま、それも、しゃあないわな。こない長く一緒におったらお姫さんの女らしいところも見えるやろうし、一つ屋根の下で兄妹でもない男女の間に、友情か、恋情かが芽生えるっちゅうんは、人間なんやし、有り得へん話やないわ」


 エリクに理解を示した源は、腕を組んでううんと唸った。


「せやけど、別にそない気遣わんでもええと思うで? お姫さんかて、そういう類のもんは何遍も感じて記しとるさかい、分かってはるし。むしろエリクはんが距離を取ったら寂しく思うで」

「……それは、分かってるんだけどね」

「ま、エリクはんええ年頃の男やし、お姫さんを押し倒したいと思うこともあるんやろうけど」

「さすがにそれは無いよ」

「さよか? まさかその歳で枯れとるん?」

「……」


 取り敢えず、不埒なことを言う源は殴っておいた。

 源は呵々と笑い、片手を立てて前後に僅かに動かした。


「堪忍、堪忍。せやけどな、ホンマにそれはアカンことでもあらへん思うで。ワイは、それよりもお姫さんとエリクはんの間が冷え切る方が怖いねん。お姫さん、絵が上手くなっとんのが嬉しいらしくてなあ、毎日楽しそうにしてはるんや。それを壊されとうない」


 「それにな、考えてみいや」源は人差し指を立てた。


「先祖返りのダークエルフは寿命がものごっつ永いねん。エリクはんはお姫さんの見た目が幼いから手を拱(こまね)いとるけど、今のエリクはんに釣り合う外見に育つ頃には、エリクはん、爺さんになっとるかもしれへんで」

「……そうだね」

「結局、墓場まで持って行くつもりかいな」

「さあ、どうだろう」


 今は、この関係を壊すのが怖い。そればかりだ。
 子供のように純真なリィリィと恋仲になるなど想像出来ない。
 エリクの絵を見る度に喜ぶ彼女が、頬を赤らめ恥じらい、異性にそういった熱い眼差しを向けるなど、有り得ないとエリク自身が断じてしまう。
 すでに二度目の失恋を悟っているようなものだ。


「ねえ、ゲンさん」

「ん?」

「僕って、恋が報われない定めの生まれなのかな」

「んな、まさか」


 源は即答した。


「そのみてくれで言うてたら、世のモテへん男共が大勢怒り狂うわ」

「……そうだね」

「その発言もな」


 みてくれの良さは自覚している。反感を買いそうだが、己の両親、異母兄弟のどれを見たって、自覚せざるを得ない。これで醜いなどと言ったら、身内を貶すことにもなる。
 エリクは苦笑を浮かべた。

 源は卓袱台(ちゃぶだい)に置かれた煎餅を手に取り、夜中であるにも拘(かか)わらず嘴でばりぼりと食べ始める。
 彼は基本深夜まで起きているらしい。周辺の見回りをしているのだ。睡眠を取るのは、林檎やお好が目覚める暁からのほんの数時間。


「少し持って行きなよ」

「おー。そらおおきに、エリクはん。ほな、有り難く貰いますわ」


 上機嫌でごっそり懐に入れてしまう。
 そして立ち上がって、縁側で漆黒の翼を広げた。月光を受けて輝く自慢の翼は、エリクの予想通りティアナのお気に召した。

 烏天狗は縁側から飛び上がり、エリクに片手を振って夜闇の中へ紛れ込んだ。

 それを見送り、エリクももう寝ようと腰を上げた。
 己の恋情については、もう少し後回しにすることにして。



.




栞を挟む