【関羽の妹で諸葛亮が相手、妹の片想いの相手が諸葛亮で複雑な関羽】



 あなたにとって《得体の知れない》存在とは何かと問われたら、何を挙げるだろう。
 山海経に記された異形の者共や死者、前触れ無き災害、笑いながら人々に凶刃を振るう賊――――大勢に訊ねればそれだけ様々な答えが返ることだろう。

 だが、猫族という半妖の種族全員に訊ねるとごく少数を除き、確実に一人の娘の名を挙げる。

 ○○。
 猫族唯一の人間と猫族の混血の娘の妹であり、また唯一の人間である娘の名を。
 混血の関羽と人間である○○は当然ながら実の姉妹ではない。
 異母でも異父でもない。
 ○○は彼女らの育ての親である張世平が、隠れ里の外から拾ってきた。
 世平曰く、息絶えた母親の側で泣いていた赤子をどうしても放置出来なかったとのこと。

 猫族を『十三支』と蔑む人間の赤子を連れて戻ってきた世平を、当時の誰もが責めた。
 ただでさえ、関羽という『混血』を渋々受け入れたというのに、今度は純血の人間を引き取るなど、赤子だからと二度も妥協は出来ぬと。
 それでも世平は、猫族全員に頭を下げて、問題を起こせば自らの手で遠くの地に捨てると約束し、○○を関羽の妹として育てた。

 健やかに育った彼女を、猫族は皆揃ってこう評す。


「何もかもが不定形で、いっそ死んで欲しい程恐ろしい」


 ○○は、常時のほほんとしているくせに、ふと鋭い時がある。
 いつもへらへらと締まりの無い笑顔でいるくせに、ふらっと村の外に出たかと思えば獣の死体を埋葬してきたとかで全身血にまみれて帰ってくる。
 怪我をして痛がった次の瞬間には怪我のことなど忘れている。
 彼女には、確かなものが一つも無いように感じられるのだ。

 普段から同族ですら胸の片隅に警戒心を置かれる、食えない娘なのだ。
 世平と関羽は勿論、○○の奇怪な恐ろしさを細かく理解するにはまだ幼い劉備、それから何故か張飛の四人だけが、○○と親しい。この四人の存在が、ぎりぎり猫族の枠の中に繋ぎ止めているのだった。


「○○」

「んー? 」

「もう止めろ」


 ある時、世平は狼の死体を埋葬してきたと言う赤まみれの○○に言った。

 何をとは言わなかった。
 ○○も何をとは訊かなかった。

 ○○は、のんびりとした笑顔を育ての父に向け、首を傾けた。

 世平は、暗く思い詰めた表情で娘を見つめる。


「止めろ」

「変なお父さん。生き物を弔うのは良いことでしょう?」


 世平は頷いた。


「ああ。そうだな。それは良いことだ」

「じゃあ、」

「止めるんだ。もう」


 ○○は腕を組む。


「うーん。良いことを止めなきゃいけない理由が分からない」

「お前は何もしなくて良い」

「あ。もしかして、服を汚すから? じゃあ今度から気を付けるね」

「○○。お前は俺の大切な娘だ。関羽にとっても可愛い妹だ」

「うん。私も二人のことはとても大事だよ。私の命よりも」


 目を細める。

 世平は視線を落とした。長い長い溜息をつく。


「○○……いつになったらお前は本当の、」

「あ、もうそろそろ晩御飯が出来るね。早く帰って着替えなきゃ姉さんに怒られちゃう」


 話は終わりだと言わんばかりに○○はのんびりとした声音で話を切り上げ、世平に背を向ける。
 一度振り返ってにこりと笑い、大好きな姉が待つ我が家へ向かって歩き出した。

 やや遅れて世平も○○の隣に並ぶ。

 世平が○○の《行動》を言及したのは、これが最後だった。



‡‡‡




「ねえ、劉表様。それって、猫族を何かの《盾》にしようとしているような気がするんだよね……私の気の所為かなー?」


 その時、場の空気が凍りついた。

 大恩ある劉表に向けられたのんびりとした声が含んだ不穏さは、関羽を震え上がらせるには十分だった。
 へらへらしているくせに目だけは全く笑っていない妹の袖を引き、小声で無礼を叱りつける。


「何を言ってるの、○○! 劉表様はわたし達の為に土地を用意して下さったのよ。なのに、そんな失礼なことを言ってはいけないわ」

「失礼なこと? 確かに私の気の所為なら失礼なことだけど、そうじゃなかったら、向こうが失礼どころか……」


 不穏に目を細める妹の前に立って視界を遮る。


「○○!! あ、あの、劉表様。ごめんなさい。この子、いつも物事を歪んで見るきらいがあって……」


 妹の無礼を必死に詫びる関羽に劉表は寛容に首を横に振った。顔がひきつっているのを、関羽は気分を害したものと取って再び頭を下げた。


「良いのだ。猫族にとって、人間など警戒して然るべき存在。容易に信用されるとは思ってはおらぬ」

「あっ、○○は――――」

「まあ、万が一そうだった場合、情報を操作して曹操に襄陽を先に襲わせれば良いしね。いや、その前にちゃっかり誰かに暗殺されちゃうかも――――」

「○○!!」


 関羽の言葉を遮って物騒な言葉を吐き捨てる妹の口を塞いで怒鳴る。
 ○○は肩をすくめた。関羽の手の下でへらりと笑ったのが分かった。

 この子は本当にもう……!
 曹操に対しても、夏侯惇や夏侯淵に対してもそうだ。言動の真意を推し量り、それを指摘しながら挑発して一触即発の張り詰めた空気を作り出しては関羽や世平をヒヤヒヤさせてきた。
 最初から猫族には好意的だった趙雲に関してはそんなことは無かったから、猫族の敵だから曹操軍に挑発的な態度だったとばかり思っていたが……。
 でも、思い出せば劉キと言葉を交わしている時は穏やかだった。
 どうして劉表様にだけ、こんな態度を取るのだろう。

 ○○を見つめ、関羽は黒の瞳を困惑に揺らす。

 と、ふと視線を感じて顔を上げた。
 先程まで劉表と話していた冷たい印象の青年――――確か、諸葛亮と言ったか。
 彼はこちらを見つめている。

 いや、正しくは○○を見つめている。

 ○○も視線に気付いたようで、関羽の手を剥がし諸葛亮を見返す。
 いつも締まりの無い彼女の顔が、僅かに強張ったような気がした。

 無言で諸葛亮と視線を交わす○○。

 妹の様子が常と違うと気付いたのは関羽だけだろう。
 時折鋭い光を宿す穏やかな瞳に、見たことも無い熱が灯ったような気がしたのだ。

 その時には良く分からなかった熱の意味が分かったのは、少し後になってからのことである。

 関羽はとにかく、劉表の気分を害さぬように○○を抑え込むので手一杯だった。

 謁見を終えた後でキツく叱り付けても、世平の説教すら響いたことの無い○○に効く訳も無く。
 そんな妹だから、襄陽城にいる間の関羽は○○から片時も目を離せず、気が休まらなかった。
 うっかり目を離して見失ってしまった時など、昔から○○に親しげな張飛が代わりに○○と行動してくれたのはとても助かった。

 ○○の言動は猫族の不安をも煽る。劉表の好意を受けることが正しいのか迷い始めた者、ようやっと腰を落ち着けられそうなのに争いの火種を作るのかと憤る者、○○を猫族から追い出した方が良いのではないかといつかのように再考する者――――○○にとって好ましくない状況になりつつあるのに、本人は全く気にせずに不穏な言動を繰り返す。
 人間に対して警戒心の強い蘇双ですら、彼女を気味悪がり、危ぶんでいるのだから相当だ。


「ねえ、○○。あなたはどうして劉表様にだけ失礼な態度なの? わたし達を助けて下さったのよ。新野の地もいただけるって仰って下さったのに」


 とある夜、関羽は妹に訊ねた。

 ○○は欠伸を一つして、へらへらと答えた。


「劉キ様は何も知らないからねえ。無知は攻撃しても無駄だ。私面倒臭がりだから無駄なことはしないで根源を牽制しておくんだー」

「根源を牽制? 劉表様は何の根源なの」

「知らないほうが良いと思うよ。取り敢えず、悪いことにはならないかもな感じだし」


 「じゃあお休みー」と一人さっさと寝台に入る。関羽が○○を監視する為、劉表に頼み込んで同室にしてもらったのだ。幸い、少女二人なら充分並んで寝れる大きな寝台のある部屋を与えてもらえた。
 壁際に横になって寝る体勢に入った妹に、関羽はしつこく追求した。


「どういうこと。ねえ、○○。○○ったら」

「……」


 もう寝てしまった――――訳では勿論なくて、狸寝入りである。
 答える気が無いと態度で主張され、関羽はやむなく諦めた。溜息をついた。


「分かったわ。もう訊かないであげる。でも、お願いだからこれ以上皆に嫌われるようなことをしないで」

「別に、嫌われても私は構わないけどねー。やりたいこと出来てれば」

「○○!」


 やっぱり狸寝入り。
 これを責めても無駄だ。
 関羽はまた溜息をついて、妹の頭を軽く叩いて寝台に入ったのだった。

 そして暫くして、関羽が寝息を立て始めると、むくりと○○は起き上がる。こっそりするでもなく、欠伸をしながら関羽を気にせずに起き上がる。
 一度寝ると関羽はなかなか目覚めない。それを知っているから、彼女が姉に配慮することはない。
 寝台に立ち上がり姉の身体を跨いで、○○は部屋を出た。

 右に少し歩けば、前方の角から白い影が顔を出す。

 ○○は足を止めて頭を下げた。


「やあ、今晩はー。劉備様」

「今晩は。○○」


 暗闇にあっても静かに存在感を放つ白い影、劉備は○○に笑みを返すもつかの間、申し訳なさそうに眉を下げた。


「ごめんね。今宵も付き合ってもらってしまって」

「いやいや。警戒すべきと申し上げたのはこちらですからねえ。責任取ってちゃんと護衛させてもらいますよ。そろそろ話もまとまると良いですねえ」

「……○○。君は反対なのだろう? どうして僕のすることを容認して、こうして付き合ってまでくれるんだい?」

「趙雲のような稀少種でない限りはね。けど、まあ、劉備様の、猫族を思ってのご意向なら止めませんよ。もし猫族に害を与えればその時に私が始末すれば良い話です」

「あの日僕を人間から助けてくれたみたいに? あんな風に、彼も無残に殺めてしまうのかい」


 ○○は笑みを深める。
 言葉では肯定も否定もしないが、劉備には肯定にしか思えない。

 まだ幽州にいた頃。
 劉備が誤って隠れ里を離れ、人間に見つかったことがあった。
 その見てくれから売り飛ばそうとした人間から間一髪劉備を助けたのは、○○だった。
 当時のことを普段の劉備は恐怖極まって記憶から消去した。覚えているのは偃月にのみ表に出ることを許される劉備のみ。

 劉備の両手を縛り付けていた人間の背後に音も無く立った○○は、まず人間の頭部を岩で意識を失わない程度に殴打した。転倒し悶える人間に馬乗りになって右腕を岩で叩き骨を砕き、左脇に刃を上に向けた鋸(のこぎり)を差し込んで容赦なく肩口を切断した。
 その時上がった断末魔に、劉備は泣いた。安堵と恐怖が入り混ざって、関羽の名を何度も何度も呼んだ。



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