※流血表現あります。



 もう覚えていない小さな小さな頃に、私はお父様に拾われたらしい。
 私は異国の人間らしいけど、私にはどの国に生まれたか分からない。両親の顔すら覚えていない。
 だから私にとっては、実の娘として育ててくれた今のお父様達が本当の両親だった。

 されど私は醜い娘だった。
 赤毛で、肌が人と比べてとても黒いのだ。
 女として、嫁いでもしっかり夫を支えられるようにお母様から妻としての心得や知恵を学んでも、村の男達は私を敬遠し、女達は私の見てくれを憐れんだ。

 河南の黄承彦(こうしょうげん)の娘は、頭は良かれど不美人。

 私の年頃には他の土地でも噂されるようになり、私は、夫を持つことを早々に諦めた。
 女としての役目を全う出来ない私が、どうやってお父様達に親孝行出来るだろう。

 答えは、勉学だった。

 お父様の書物を毎日沢山読んで、読んで、夜遅くまで読み耽った。
 そのお陰で官吏顔負けの頭だと両親から褒められた。

 更に、得た知識を利用して村の暮らしの負担を軽減する為の装置を何日も徹夜して考え、男手を借りて設置したり、農作業が難しくなった高齢の人々の為に試行錯誤を何百と繰り返して道具を開発したりした。

 その甲斐あって、村の暮らしは前よりも良くなってくれた。

 村の人々がとても喜んでくれた。

 お婆さんのありがとうという短いが温かくて柔らかな言葉を嬉しいと感じたその瞬間に、私自身に価値が生まれた。

 それから、私は夢中になって村の為に色んなことを考え、形にした。
 何千回失敗を繰り返しても、それは成功の為には仕方の無い障害だ。怖くもないし、落ち込んだりしない。むしろ失敗から原因を突き止めればまた成功に近付ける。それが嬉しい。

 私は、困っている人を助けてあげたい。

 私は不美人で、嫁ぐ宛は無い。
 でも、私だって村の役に立てた。
 沢山沢山、『ありがとう』を貰えた。

 私は、それで良かった。

 なのに――――。


「○○。こちらは、諸葛亮殿。私などはとても足元にも及ばぬ才覚をお持ちの方だ」


 その日は、爽やかに晴れ渡った、身も心も心地よい日だった。
 外に出ていつも通り畑や井戸の装置を点検していると、お母様に呼び戻された。

 何事かと思えば、突然お父様に男の人を紹介された。


「諸葛亮殿。私の娘、○○だ。どうだ、どうか嫁に貰ってはくれまいか」

「え?」


 聞き間違いか、と思った。
 けれど、周りの音は確かに聞こえている。私の耳は多分正常だ。

 ならば、本当にお父様はこの人に私を……?

 諸葛亮様は私の目から見てもとても素敵な殿方だ。すっきりとした目鼻立ちは、思慮深そうな眼差しで冷たい印象を受けるけれど、世の女性はきっと放っておかない。
 私なんかよりも、もっと容姿に恵まれた、器量の良い女性が似合う人だ。
 だから私はお父様を諌めた。


「お父様、そんなご無礼を申されては、」

「……私のような未熟者に、勿体ないお話です。黄承彦殿のお言葉なれば、拒むこともございません。有り難くお受け致しましょう」

「え?」


 予想外だった。
 私の言葉を遮って、諸葛亮様は仰った。落ち着き払った彼の声は静かで澱みが無い。澱みが無いということは、後ろめたい気持ちが無くすんなりと発した言葉だということ。
 まさか……嘘では、ない……?
 いや、そんなことは無い。
 『有り難くお受けします』なんて、私のような醜女(しこめ)を相手に言える訳がない。村人の言葉を借りるなら、『黄承彦の娘を貰う男の目は節穴見る目無し』だ。とても正気とは思えない。

 私は呆気に取られた自分を叱咤した。信じるな、この後にきっとやんわりと断られる筈だ。
 いいえ、絶対そうに決まっているわ。

 私は、醜女なのだから――――。


「ですが、」


 ああ、ほら。
 やっぱりそうなんだ。
 私はほっとした。

 その、次の瞬間だ。


「妻とするには私は○○殿のことを剰(あま)りに知りません。人となりを知らずに夫婦になるのは○○殿に失礼というもの。ですので暫しお時間をいただきたい。彼女と接し、その上で妻としてお迎え致したい」

「な……」


 絶句。
 言葉が出ない。
 いえ……いいえ、これはあれだ、お父様に気を遣われているのだわ。そうに違い無い。


「おお、そう言ってくれるか。安堵した。父として誇らしい程に才知に溢れど、この見てくれの為に不美人と不名誉な評価がついてしまった○○のことが、私達夫婦の一番の心配事でな」

「お、お父様……! いけません!」


 私はお父様の前に出て強く諌めた。

 お父様はきょとんとされている。


「この私が嫁げば、諸葛亮様の恥となります! それが分かっていながら私は従えません!」

「しかし○○、諸葛亮殿は快い返事を下さったではないか」

「お父様! 諸葛亮様がお父様に気を遣われているとどうかお察し下さい!」


 私が殿方と夫婦になれる筈がない。
 それに私はこの村を離れたくない。
 まだまだ開発して村の役に立ちたいし、装置や道具の点検もしなければならないし、それらには改良の余地がある。
 私は必死でお父様を止めた。

 そんな私を止めたのは諸葛亮様だ。
 「失礼ながら」と私の肩に手を置き、


「○○殿。先程の言葉に嘘偽りはありません」

「諸葛亮様。良いのです。どうか、正直に仰って下さいまし。お父様との関係が悪化するなどと不安がございましたらば、そのようなことは有り得ませぬ故。才覚溢れた諸葛亮様ならばあなたを望まれる方々が大勢いらっしゃいます。妻が不美人であることだけでも、その士官の機を逃すこととなりましょう」


 身体ごと向き直ると、諸葛亮様は困ったようなお顔で私を見下ろしている。

 私は深々と頭を下げ、父の我が儘を詫びた。


「父の非礼、何とぞお忘れ下さいまし」

「……」

「○○」

「お父様は諦めて下さい」


 私は強く言って、まだ何か言いたげな父を咎めた。
 そして取り敢えずは、そのまま我が家に諸葛亮様にお泊まりいただくこととして、私は話を無理矢理に終わらせたのだった。



‡‡‡




 話は終わった。
 私は、そう思っていた。

 だけど――――。


「ご無沙汰しております、○○殿」

「……」


 私は無言で頭を下げ足早にその場を立ち去った。
 後ろからついてくる諸葛亮様の気配に苛立ちながら、村中の設備や道具の点検をして回る。

 諸葛亮様は月に何度もお父様を訪れるようになった。
 けれど目的はお父様ではなく、何故か私。
 彼が現れるであろう日には、必ず外出をして誰にも行き先が分からないように気を付けているというのに、彼は簡単に私を見つけてしまう。

 本当に、お父様に仰っていたことを実行しているおつもりなのかしら……。
 本気で私のことを知ろうとしている? ……有り得ないわ。
 私は、異国の人間らしい。だからこそこの見た目なんだ。この国の美人像とは天と地底程にかけ離れている自覚がある。

 だのに……この人と来たら。
 私をすぐに見つけ出しては隣に並び、私に何度も話しかけてくるのだ。
 何度も何度も繰り返されると、さすがに苛立ちもする。

 この人は何を考えていらっしゃるの?
 分からない。諸葛亮様のお考えになることが、私には憶測すら出来ない。
 醜女を妻に迎えるなど、あなたには絶対に出来ないでしょうに。
 諸葛亮様だって、立派な殿方だもの。好み一つや二つくらい、ある筈だわ。


「○○殿」

「……何でしょう」

「じきに雨が降ります。今のうちに家に戻られては」

「……私は、雨に濡れるくらい……どうということもありませぬ。それよりも今日予定していた点検を全て終わらせなければなりませんので、お戻りになるならばどうぞ諸葛亮様お一人で」


 けんもほろろに返せば、きっと彼も良い気はしない。
 そのまま私のことなど放っておいてくれれば良い。
 そう思うからいつも私は諸葛亮様に対して冷たい態度を心掛ける。
 私の態度に苛立てば彼もいつか嫌気が差すか、もしくは本心を露わにするかもしれない。どちらに転がっても上手く利用して結婚話を取り消せる。

 私は、諸葛亮様を振り返らずに灌漑(かんがい)を効率的にする装置の点検を進めた。
 この後は数件の家を回って道具の点検もしなければならない。

 装置の点検に集中しているうちに、諸葛亮様の姿は無くなっていた。そのことに気が付いたのは点検を終えた後のこと。
 やっと家に戻ってくれたのだわ。
 私はほっとして、移動した。

 だけど、諸葛亮様は、私の予想を裏切っていた。


「あら、○○ちゃん。今ね、諸葛亮様が点検をして下さいましたよ」

「は……?」


 私は顎を落とした。
 あの人が、点検をした……?


「あの! 見せてもらっても構いませんか?」

「ああ。良いよ。……ほら、これさ」


 お婆さんに差し出された私が作った道具。背が低く腕が上がらないお婆さんが木に生った実を簡単に取れるように作ってあげた長い柄を持たせた鋏だ。柄の中に先の鋏の刃と連結させた、バネを取り付けた細い鉄の棒が通っていて、持ち手の取っ手を手前に引くと鋏が閉じてヘタを切断するようになっている。
 今後、軽量化と取っ手の引きやすさ、ヘタを切った後もそのまま実を持つ細工を施すつもりだ。

 確認すると、点検があったのはどうやら事実のようだ。
 所々今回の点検で調整しようとしていた箇所が、在るべき状態に戻っているのだ。
 嘘でしょう……どうしてあの人がそんなことを? しかも初めてだろうに、こんなに手際良く……。
 感心よりも敗北感が勝る。

 唇を噛むと、お婆さんはきょとんとして、


「どうしたんだい? ○○ちゃん」

「あ……いいえ。何でもありません。それじゃあ、次の家に回りますね」

「その必要はありません」


 背後から会話に入ってきたのは諸葛亮様だ。声ですぐに分かった。
 自分の顔が強張るのが分かった。ゆっくりと振り返り、きっと涼しい顔の諸葛亮様を睨み付ける。


「私の方で全て終わらせておきました」

「何故そのようなことを……あなたは父の客人です。あなたにそのようなことをさせる訳には参りません」

「私がしたいからしたのです。もうじき雨雲が来るでしょう。早く家に戻りましょう」


 生き甲斐を奪われた気がした。
 他人からすればこの程度で、と思われるかもしれないけれど、私にとってはこの程度のことでも大変なことなのだ。
 私は、お婆さんに頭を下げ、足早に諸葛亮様の横を通過した。

 大股に歩いて家へと帰る。
 諸葛亮様は、それからやや遅れて家に入ってきた。

 諸葛亮様をお父様に任せ、私は自室に引きこもる。
 雨は止まない。むしろ激しくなる一方である。この分では明日まで続きそうだ。
 雨を見たくなくて、窓枠の上部に蝶番で取り付けた板を、壁に垂直に支える棒を外して下ろし窓を塞いだ。下部には風で揺れないように板を固定する金具がある。

 お父様はきっと、諸葛亮様に泊まっていけと仰るだろう。

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