※夢主、非常にガラ悪いです。



 元ルナール、レブナンテ伯爵領は、カトライアとの国境に接する。
 ここ三十年程レブナンテ家が治めているこの領地、レブナンテ伯爵がこの地に拝領される前までが非常に治安が悪かったことで国内外に拘(かか)わらず有名である。

 レブナンテ伯爵による統治によって治安は格段に良くなっているが、ルナールの端のこの領地は作物の育ちが悪く、湿気が多い上近くの川が毎年何度も氾濫する為人が住み着かなかったこともあり、元々無法者荒くれ者が集まる無法地帯だった。住人に負けて領主は取っ替え引っ替え、まともな統治もままならなかった。
 それを、レブナンテ伯爵とその妻はルナールに並ぶ者無しと賞賛された自慢の体術で徹底的に打ち負かし、彼らのリーダーとして領主の座に君臨したのである。この時に化け物じみた逸話が百程生まれているが、半分は事実だと言う。
 当時の住人は伯爵家の私兵となり訓練を施され、国の盾と誇られるまでになっている。

 だが、ルナールがカトライア、ファザーンへ侵攻を開始した際、国の異変を察知した伯爵は娘の病気を理由に辞退。母国に対しても領地の守備を固め、日和見を決め込んだ。

 それ故、ファザーンからの処分も厳しくはなかった。ただ一人娘を人質としてファザーンの誰かと結婚させると言う条件を付けただけで許された。
 だが、問題はここからだ。
 レブナンテ伯爵は、これに難色を示す。

 ただ、意外な話、大事な一人娘を元敵国に人質に差し出すことに懸念があるのではない。

 むしろ、ファザーンに気を遣っているのだ。
 縁談を持ちかけた際に使者が持って帰った伯爵の返事は、丁寧に綴(つづ)られた内容を物凄く簡単にようやくすれば、


『いや、こっちは全然良いんですよ。むしろ万々歳なんですよ。ですけど、ですけどね? うちの子どんなのか分かったら多分というか確実にそちら嫌がりますよ。マジで。いやホントマジで。何であんな風に育ったか分かんない子なんで。だから簡単に決めない方がそっちの身の為だと思うんで、取り敢えず娘送るんでどんなもんか知ってからもう一回考え直すことをお勧めします。これ冗談じゃないんで。こっち本気でそちらの心配してるんで。うちの子マジアライグマなんで気を付けて下さい。駄目だったら即日返して下さい。そちらの為に』


 と言った感じである。
 自分の唯一の娘をここまで悪し様に言い、更にはアライグマと訳の分からない例えまでしている伯爵は、本気でこちらの心配をしている。

 その真意は一体――――。

 一応、こちらで用意した夫候補は、アルフレートだった。
 彼ならば、若き頃は屈強の騎士であったレブナンテ伯爵や、男顔負けの体術を取得し、夫と共に私兵の訓練を指導する奥方とも上手くやれるだろうとマティアスが判断したのだ。
 それにアルフレートの性格から、彼らの娘にも誠意ある対応を心がけてくれるだろう。

 ファザーン側も十分配慮をしたこの縁談が、まさか相手方の配慮で停滞することになろうとは、誰が予想し得ただろうか。

 どうしてレブナンテ伯爵が今回の縁談に難色を示したのか、それを確かめる為、マティアスはオストヴァイス城は謁見の間にてレブナンテ伯爵の娘と対面した。

 臍の辺りで手を組んで深々と一礼する●●・アルバー・レブナンテは、見た目で判断する限り、こちらが嫌がる程の大きな問題があるようには到底思えなかった。

 夜の闇よりも黒く艶やかな髪は肩に付くか付かないかというくらいの長さで、ふんわりと綿菓子のように柔らかい。
 細い首に支えられた小さな顔は慎ましやかな面立ちで、神秘的な上品さがある。瞼を伏せれば長い睫毛が目元に影を落とした。
 身体は小柄で、スレンダーな方だ。ティアナよりも背が低く、身体も細い。胸も……とは、言わずにおこう。

 一目の印象では簡単に折れてしまいそうな儚い姫君だった。

 アライグマ……確かに、アライグマに似た可愛らしさはある、か……?
 だが手紙の文面から察するに、そう言う意味合いで用いられた例えではなかろう。
 念の為同じ年齢のティアナやアルフレートにも同席してもらっている。彼らも手紙の内容を知っているだけに、拍子抜けしたような顔をしてこちらに困惑の視線を向けてくる。


「……●●殿。此度はご足労、感謝する」

「いいえ。傍観を決め込んだルナールの伯爵を、陛下には温情にてご容赦いただきました。大恩を受けておきながらどうして陛下の招きを拒めましょう」


 その声も、鈴の音のように透き通ってまこと耳に心地良い。
 ますます手紙の示すものが分からなくなってくる。
 マティアスは●●を見下ろし、内心首を傾げた。


「慣れぬファザーンの気候は、身体に負担となろう。縁談の件は明日、改めて席を設けて話し合う故、今日は連れの者と共に、ゆるりと身体を休められるが良い」

「……」


 ●●はこれに反応を返さなかった。
 眉間に皺を寄せ、マティアスを不思議そうに見上げている。


「●●殿。如何(いかが)なされたか」

「……私は、陛下と領地の統治権について話し合ってこいと父に命じられてここへ参じたのですが」


 マティアスは軽く驚いた。


「統治権? それは先だって手紙で一切の統治をレブナンテ殿に任せる旨をお伝えしてある。今更問題になる筈はないが……もしやそちらの臣下に反対する者が?」

「いえ……申し訳ありません。少し、席を外します」


 ●●は深々と一礼し、扉近くに控えていた武装した女性を振り返った。
 長い金髪を後頭部高く一つに束ねたこの女性、名をアリア・ベネブリアと言い、●●の侍女兼護衛である。
 脛当て、籠手、胸当てと言う最低限の防具しか付けていないが、防具が本当に必要なのかと疑う程全身の筋肉が物凄い。アルフレート以上の筋肉隆々とした身体は、もはや女のそれとは言えない。
 武を極めた為だと、ここに入ってきた際目を奪われたマティアス達に●●が誇らしげに説明していた。

 アリアの眼光はその辺の刃よりも鋭い。
 正直、彼女の視線を一瞬たりとも受けたくはない。

 アリアは●●が近付いてくるのに扉を開き、主に外の何かを指差して一礼した。
 ●●は頷き返した。
 大股に謁見の間を出――――。


――――それはまさに、驚天動地の出来事であった。


「デイヴィス、テメエエェェェッ!! 親父とグルになって嵌めやがったな!! 死に損ないの爺がふざけてんじゃねえぞゴルァッ!!」


 鼓膜を容赦無く殴り付ける逞(たくま)しい大音声が、肌を震わした。


「アア!? そんなん知るかよ騙されんのが悪いんだろうが!! 恨むなら自分(てめえ)の頭の弱さを恨めアライグマちゃんよお!!」

「アライグマ止めろっつってんだろボケェェ!!」

「やんのかオラァァッ!!」

「上等だゴラァァッ!!」


 一同、固まった。

 ●●の鈴の声が、今は低く殺気と威圧感がある。

 彼女が見た目から想像し得ぬ怒声を浴びせているデイヴィスというのは、レブナンテ伯爵家執事の老爺である。物腰柔らかな人物であったが、穏やかな彼からも、暴言が連発する。

 マティアス達が慌てて廊下に出ると、●●とデイヴィスは苛烈な肉弾戦を展開していた。●●など、ドレスでは動きにくかろうに、デイヴィスの急所を的確にかつ素早い動きで狙っている。
 どちらもとても、老人と少女の動きではない。


「アライグマの理由が分かった気がする……」

「ティアナ?」

「アライグマってね、大人になると気性が荒くなっちゃうの。猟犬も噛み殺しちゃうこともあるんだって」


 成る程、と納得するマティアスとアルフレート。

 確かに、そう考えれば確かにアライグマだ。可憐な姫君然とした姿や声と裏腹に、どんな無法者も怖じ気付いて道を譲ってしまいそうな恐ろしい気迫。
 多重人格ではないかと疑ってしまう程に、正反対だ。

 止める隙の無い二人をただ黙って傍観していると、アリアが動いた。

 静かに廊下で罵り合う身分も年齢もだいぶ差のある男女を眺めていた彼女は、ふと何処からともなくボウガンを取り出した。


「え、ちょっと、」

「●●様。アリアも助太刀致します」

「ええ!?」


 彼女のボウガンは、迷い無くデイヴィスに向けられている。
 彼に狙いを定め――――放つ。

 デイヴィスはその場から跳び退いた。一瞬遅ければ矢は確実に心臓を射抜いていただろう。

 デイヴィスは舌打ちし、アリアに怒鳴った。


「アリアァァァァッ!! 今本気で俺の命狙いやがったな!?」

「自分は●●様の忠実なる僕(しもべ)です」

「ん な こ と 聞 い て ね え ん だ よ!!」

「●●様の忠実なる僕なればこそ……●●様に不快感を与える不埒者は、誰であろうと万死。何度でも殺す所存」

「あーそうだったなあ伯爵に対しても躊躇無く爆弾投げて涼しい顔してやがったなクソガキめ!!」


 主人至上主義のアリアの参加によって二人の拳闘は更に激化する。

 それに待ったをかける程の度胸は、残念ながらファザーンの誰にも無い。……ただ一人、彼らの動きに感心しているアルフレートを除いて。


「凄いな。さすがはルナールに並ぶ者無しとまで謳(うた)われた武勇のレブナンテ伯爵の右腕とご息女……聞きしに勝る気迫と体捌(さば)きだ」

「止められるか? アルフレート」


 問われたアルフレートは、二人の応酬を見、隻眼を細めた。


「レブナンテ伯爵家は、武術に関して一切妥協を許さない家だ。部下のデイヴィス殿やアリア殿は勿論、一人娘の●●殿もその例に漏れないだろう。オレのような未熟者では三人を宥めることは難しいかもしれない」

「……そうか」

「どうしよう……マティアス。このままじゃ、」

「ご安心下さい」


 アリアが口を挟んだ。ボウガンは下を向き、もうデイヴィスを狙うことは無いようだ。
 女とは思えないごつごつの身体と繋ぐ太い首にちょこんと載る小さな頭は、どうにも異様だ。なまじ綺麗な面立ちをしているだけに、不気味とも言える。……失礼なので、絶対に口にはしない。


「スタミナに関してはお若い●●様が圧倒的に上です。じきにデイヴィス様が力尽きて鎮まります。それ以後は、部屋でデイヴィス様に●●様へご説明いただきます。我らの部屋は、何処でしょう」

「部下に案内させる。●●殿の部屋を、アリア殿とデイヴィス殿で挟むように用意させてもらったが」

「出来れば自分は●●様と同室に。我らに恩情をかけて下さった方の居城で過ごすことに心配は全くありませんが、昔からずっとそのように過ごしておりますので」

「分かった。ではそのように指示を出しておこう」


 アリアは深々と一礼した。

 ●●とデイヴィスの拳闘が、アリアの言う通りデイヴィスの体力切れで決着が付いたのは、それからすぐのことだった。






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