諸葛亮様と顔を合わせるのが、とても気まずい。
 出来るなら避けたい。
 そう思うのに、諸葛亮様が村に来ない時は、胸に風が吹き抜けるような感覚に襲われて落ち着かない。
 自分でも自分がどうなってしまったのか……分かってはいる。
 けれどここで認めてしまうのは、いけない気がするの。

 私は不美人。どの殿方にも嫁がない方が良い。
 それに私はこの村の役に立って生きていきたいのだ。その為に一生独身でいるつもりでいたのを簡単に変えてしまったら、過去の私を否定してしまうのではないか……そう思えてしまう。

 だから、私は今でも――――いえ、今以上に諸葛亮様を避けている。

 両親は私が頑固だと困り果てている。最近は苛立ちに母の小言も増えた。
 折角前向きに検討してもらえているのに何が不満なの、なんて言う。
 不満なんじゃない。
 私にも私なりの考えがあるのだと、分かって欲しい。

 家族なのにギスギスし始めたことに、罪悪感ばかりが増していく。
 でも、だからと言って諸葛亮様に嫁ぐことは、無い。

 家にいるのが苦痛になり始めた頃、翠宝が家に飛び込んできた。


「○○! 今すぐあたしの家に暫く隠れてちょうだい!」

「え?」

「あいつが来たのよ!」


 一瞬、何のことをを言っているか分からなかった。
 翠宝もそれが分かったようで、深呼吸を挟んで事情を説明し始めた。

 曰く、翠宝の元夫が、今村に来ているらしい。
 あの、私に近付く為なんてふざけた理由で翠宝を弄(もてあそ)んだ人だ。
 この村に来て何をするつもりなのか問いかけると、彼女は憤慨(ふんがい)した様子で、


「あいつ、ふてぶてしいことにあんたに求婚しに来たのよ。あの石頭の両親をどう説得したのか分からないけど!」

「……な……」


 私は言葉を失った。


「どうして……」

「諸葛亮様があんたの婿候補になってるって話、あっちにも伝わってるらしいわ。それであいつも慌てているみたい。だから今のうちにものにしてしまおうって村に乗り込んできたのよ!」


 あいつは何をしてでもあんたを貰うつもりよ。
 翠宝の警告に私は思案した。
 正直を言えば、翠宝を苦しめたその人に直接文句を言いたい。
 けど……何をしてでも、という言葉に怖いと思ってしまった。

 ここで悩んでしまったのが、いけなかった。


『○○。お客様よ。隣村の……翠宝の元の旦那さん』


 躊躇いがちなお母様は客人を歓迎していないようだ。
 翠宝が私の代わりに顔を覗かせると、二人でこそこそ話し出す。

 そして、私を振り返って頷くのだ。


「どうしたの?」

「○○。翠宝の家にいなさい。あの人はこちらで追い返しておくわ」

「え……でも何処から部屋を出れば、」

「その窓から出れば良いじゃない」

「えっ!?」


 窓を見やる。そっと両手で腰を触った。
 ……ぎりぎりだわ。
 子供の頃は良く脱走していたけれど、大人になった今、さすがに難しいのでは?
 視線で訴えるけど、「あんたもあたしも細いから大丈夫よ!」と強引に押し込まれてしまった。

 桟(さん)に腰をごりごりぶつけて痛かった。これは絶対、痣になると思うわ。後で文句を言おう。

 家を抜け出した後、私は翠宝の家に身を隠した。隠したと言っても、翠宝の部屋でお茶を飲んでお母様が迎えに来るまでのんびり過ごしていただけだ。

 翠宝の元夫を無事に追い返したお母様は、安心して良いと心配そうな翠宝を宥めてすぐ、不機嫌そうに彼の悪口を早口に連ねた。
 彼はもう、翠宝の名前も覚えていないし、翠宝から取り上げた子供も母親に任せっきりなのだそうだ。
 あんな不誠実な男に嫁いだ翠宝に、お母様は心から同情を寄せた。


「あの男は絶対にまた来るわ。○○には既に夫となるべき殿方がいらっしゃるからと言っても、全く信じて下さらなかったもの。有り得ないとでも思っているのかしら」

「普通は、そうだと思うわ。お母様」

「○○。それ自分で言ってて悲しくないの?」


 でも、それが事実だ。
 醜女(しこめ)を気に入るような男は絶対にいない。だから断られはしない――――そう思ったからこそ、翠宝の元夫は堂々とこっちに来られたのだろう。
 となると、私に対してもそんな態度を取るのは考えるまでもない。

 私は片手に拳を作り、口許に添えて思案した。


「求婚されても断り続けるけれど、あんまりしつこいと嫌になるわね」

「あいつ相当しつこいわよ。友人にからかわれた恨みは何年も忘れないらしいし、仕返しも倍にしてするそうよ。女追いかけるのだって執念深いに決まってるわ。何かあったらすぐにあいつから離れてあたしの家に来なさいね」

「ありがとう。でも、大丈夫?」


 辛くない?
 問いかけると、翠宝はふふんと胸を反らして強がった。


「喧嘩は毎日のようにしてたわよ。あいつの甘ったるい母親も巻き込んで二対一でね。勿論あたしが一よ。負けたことは一度も無いわ。殴られたら殴り返していたもの」

「さすがだわ。私も彼が鬱陶しくなったらそうしようかしら。最終手段よ」

「あんたは工具を使えば良いわ。その方がもっと痛いでしょう?」


 冗談めかして言う翠宝にお母様は小さく笑った。


「名案ね。○○、嫌になったらそうなさい。そんな頑なな態度でなければああいう男は諦めやしないわ」

「まあ、お母様からお許しが出たなら遠慮は要らないわね。翠宝、素敵な助言、ありがとう」


 冗談に冗談を重ね、私達は笑う。お母様とは、ギスギスしていたのが普通に会話が出来ていることに安堵した。

 けれども次の瞬間私の笑顔だけが固まった。


「私から、諸葛亮様にこのことをお知らせして諦めるまで頻繁にこちらにお出で下さるようにお願いしてもらうよう、お父様に言っておくわ」

「え?」

「それが良いわ。○○。諸葛亮様程の殿方ならあいつも諦める筈よ」


 私は身体が冷えていくのが分かった。
 ちょっと待って。
 どうしてそうなるの!
 私は慌てて二人を止めた。


「待って。幾ら何でもそれは止めた方が良いのではない? 諸葛亮様だってお忙しいのだし、こちらの都合でお呼びするのは駄目だと思うの」


 当然、二人は却下した。

 それどころか私を怪訝に見つめてくる。


「○○……あんた、最近前以上に諸葛亮様を避けていたわね。会うとらしくなく挙動不審になってるし、諸葛亮様の話題が出ると露骨に話を逸らそうとするし……何、喧嘩でもしたの?」


 そう言う翠宝の目は、きらきら輝いている。これは期待だ。
 多分、いいえ確実に、バレている。
 それでもお母様の前で言わないのは、私に恩を売っているのだ。ここで話してあげないのだから後であたしには話してくれるわね? ……なんて言葉が聞こえて来そうだ。

 私は視線を逸らしつつ、「放っておいて」


「私は誰にも嫁ぐ気は無いのだから」

「まあ○○。いつになったら分かってくれるの!」

「分かりたくありません」


 私はお母様に背を向け、椅子に座った。

 すると翠宝が小さく笑う。仕方ない、と言わんばかりに大仰に溜息を漏らして、お母様を宥めて今日は翠宝の家に泊まることに決めて返した。
 お母様は帰る前、また翠宝の元夫が現れるかもしれないからと、明日までは絶対に外に出ないよう私に言いつけた。

 私もその方が良いだろうと、神妙に頷いた。

 翠宝を苦しめる男に好かれても不快なだけだ。しかも翠宝から子供を奪っておいて、世話を母親に押し付けるなんて酷い男。私は彼とは知人にもなりたくない。

 お母様が帰った後、私は嘆息した。


「早く諦めてくれると良いけど」

「来なくなっても油断しちゃ駄目よ。そうやって安心させたところに接触しようとする筈よ」


 溜息しか出ないわ。

 額を押さえた私を見下ろす翠宝は、一転してにんまりと笑って身を寄せてきた。


「そんなことより、○○。あんた諸葛亮様のこと、意識してるのね?」

「……」


 私は、徐(おもむろ)に顔を逸らした。



‡‡‡




 諸葛亮様は、お母様が手紙送ってから旬日経って翠宝の家を訪れた。
 その間、翠宝の元夫は毎日のように私を捜してやって来た。お陰で私は翠宝の家から出られない。一度も、だ。

 村の人達の道具の点検も出来ないし、翠宝や家族にご迷惑をおかけしてしまうのが申し訳なかった。

――――と、思っていたのだけれど。
 にやにやと期待した笑顔で見てくる翠宝と翠宝のお母様に、そんな気持ちは急速に薄まってしまったのだった。


「すみません、諸葛亮様。お忙しいのにお母様が勝手なことを……」

「いえ……それよりも、翠宝殿の元の夫があなたに求婚しようとしていると、手紙にはありましたが。接触はまだ……?」


 これに答えたのは私ではなく翠宝だ。私の現状を細かに説明し、元夫の悪口――――もとい、彼の性格にも触れた。
 翠宝の説明に、諸葛亮様は一瞬だけ眉間に皺を寄せたように見えたのは私だけだろうか。


「事情は分かりました。ならば、私もここへは頻繁に立ち寄るようにしましょう」

「いえ、それには及びま――――」

「是非そうなさって下さい。あの男は、本当にしつこいんです。○○の見た目で周りは絶対に求婚に反対しないと分かったように自信満々だからなおのこと質が悪い。最悪、既成事実を作ってでも手に入れようとしかねません。ですので」


 あいつが諦めるまで、○○と共にいる時は恋人らしく振る舞って下さい。
 私の言葉を遮って早口に告げた翠宝に、私は文字通り飛び上がった。椅子が後ろに倒れてしまったが、それどころではない。


「ちょっと! 翠宝、なんてことを!」

「これぐらいの対策はしておかないと、本当にあんたが危ないのよ」

「そんなことを言うならせめてもう少し心配してるって顔をしてちょうだいっ」


 私には、口にした理由はただの表向きだとしか思えない。
 翠宝まで私と諸葛亮様の仲を取り持とうとしているのだ!

 こんな時にふざけないでと咎める私に対して翠宝は素知らぬ顔だ。何の悪びれも無い、撤回する様子も無い幼馴染が恨めしい。

 更には、


「分かりました。そのように」

「諸葛亮様!?」


 諸葛亮様までが了解してしまった。


「諸葛亮様! そんな、安易に了解して、」

「良かった! じゃあ早速今日からお願いしますね」

「翠宝あなたまた……っ!」


 翠宝は止まらない。私の意思を無視して、強引に決めてしまった。
 だけど諸葛亮様と恋人らしくなんて、とんでもないことだ。
 こうなったら、絶対に外に出るまい。

 と、思っていたのに。


「では、○○殿。行きましょう」

「は?」


 差し出された手に私は顎を落とした。
 行きましょうって……いや、ちょっと待って。


「あの、諸葛亮様? 行きましょうって、まさか……」

「数日この家を出ておられないのであれば、点検をされていないのでしょう?」

「そうですけど……でも、あのですね」



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