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『○○様
おめでとうございます。
この度あなたはこちらの勝手極まって申し訳ない抽選によって五百二人目の《放浪者》に選ばれました。
異世界で暮らしながら、元の世界へ戻る方法を探して下さい。
戻るのではなく、こちらに留まり永住することも可能です。
世界の住人に課せられた物語に干渉することも出来ますが、あなたに許されることは物語の岐路の選択のみで、結末を激変させることは不可能です。ですが恋愛や敵対、友情など、あなたにも十分起こり得る要素もございます。
文化の違う異世界での暮らしは困惑が多く、また数多の困難も降りかかるでしょうが、命の保証は出来かねます。こちらで死亡した場合元の世界には戻れませんのでご了承下さい。
なお、少しでも危険を回避していただく為、救済処置としてあなた様には特殊な能力を付加しております。詳しくは後程お届け致します麻袋をご確認下さいませ。
では、良い人生を。』
……何が、『良い人生を』だよ。
いきなりこんなふざけた手紙をポケットに忍ばされて、見たことも無い大自然の中に放置プレイってどういうことだ。馬鹿か。
誰からかも分からない手紙を握り潰し、私はやり場の無い怒りを持て余す。
私が立っているのは、森の中だ。しかもかなり深い。
すぐ側には綺麗な泉が日光を反射してきらきら輝いていて、その反射光で辺りが明るく照らされている。
普通なら魅取れていただろう。
だけど今、こんな状況でうふふ美しい光景ねなんて暢気なこと言ってられない。
私はついさっきまで気を失っていた。
記憶があるのは、大学に急いでいて曲がり角で誰かにぶつかったところまで。そこで気を失ったのだろう。どうやってかは、私には見当も付かない。
目が覚めた時にはすでに私は嗅ぎ慣れない草と土の臭いに包まれ、ごつごつした山道に倒れていた。
見知らぬ土地に誘拐され、放り捨てられたのだと、自分で状況を推測出来るまで、かなりの時間固まっていたと思う。
荷物は一つも無く、ポケットに粗末な分厚い紙に漢字の羅列が並んでいた。日本では使われないような漢字もあるし、多分、中国語……かな?
文字は急いで書かれたのが分かる程雑で、文章も雑だ。
それを見てすぐに読めたのも不思議だったけど、それは考えないことにした。唯一持たされたこのメモが読めなかったら、私は冷静さを欠いていたかもしれない。
とは言え、これが読めたからどうにかなる訳でもない。
まず『異世界』という記述が解せない。信じられない。何だそれは、ファンタジーか。
『世界の住人に課せられた物語』って何だよ。ここは何かのゲームか小説か何かですか。
私が置かれた状況は、分からないことばかりだった。
紙に書かれていた麻袋が届けられる様子も無い。
何時間も紙と睨めっこして手がかりを探し続けた結果、私は、
「よし、人のいる場所に行こう」
思考より行動を選んだ。
大学に通っていますけどね、だからと言って頭が良い訳ではないんですよ。
私は出来るだけ早いうちに人に巡り会うことを祈りつつ、取り敢えず道と思える場所を選んで進んだ。
――――と、ここまでは良い。
良かったのだけれども。
人どころか街すら全然見つからないのだ。
これはどうしたことだ。
かなり歩いて森を抜けている。
広がるのは見晴らしの良い平原ばかりだ。
だのに、車道も歩道も見受けられない。沢山の人間が歩いて踏み固めた地面が一本伸びているだけだ。
日本のド田舎でも、広大な牧草地だったとしても、こんな光景は有り得ないんじゃないかって思うくらいに、何も無い。
一瞬頭にあの紙の言葉がよぎったけれど、すぐに首を左右に振って意識から追い出した。まだだ、まだ信用しないぞ、私は。
大丈夫。きっと私の思い違いだ。
そのうち小さな町とか、山奥の村とか……きっと見つかるんだ。
そうだと信じ、私は疲労を振り払って無心で歩き続けた。
私は、紙の言葉を信じかけている自分を、必死に引き戻そうとしていたんだろう。
それを現実だと受け入れるには、あまりに規格外の出来事だったから。
実を言えば、歩けば歩く程、私は肉体以上に精神的に弱り切っていたのだ。
誰かに出会えたなら、まだ良かったかもしれない。
少しくらいは救われたかもしれない。
だけど、日が暮れても人は見つからなかった。
とうとう力尽きた私は、木に寄りかかって無防備に眠り込んでしまった。
いけないと分かっていたけれど、無視し続けた疲労がどっと押し寄せて抵抗出来なかったのだ。
睡魔の腕に身を委ね、私は眠ってしまった。
幸い、眠っている間に獣には襲われなかったようだ。
私は日も高く昇った空を仰ぎ、夢ではないと知って落胆した。
立ち上がろうと地面に手を付いた私は、指に当たった物に大袈裟なくらい飛び退いてしまった。
怖々確かめてみると、そこには真新しい麻袋が。
紙に書いてあった麻袋だろうか。
警戒しつつ中身を開けると、沢山の巻物が入っていた。けれど、私の知る日本の巻物とは違い、薄くて細い木の板を繋げて、それを巻いた物だ。
これ、どっかで見たような……。
……ああ、そうだ。
これ中国の歴史ドラマで見たんだ。
木簡、って言うんだっけ。
木簡は全部で五つ。
そのうちの一つを取って開いてみると、やっぱり中国語と思しき漢字の羅列が。やっぱり読める。
『傷薬《弱》
××草を沸騰させた湯で色が変わるまで煮込む。
傷薬《中》
××草の根を擦り潰し×花の蜜と混ぜ、火で炙(あぶ)る。』
「……何これ」
大事な草や花の名前が黒く塗り潰されてる。どれもそうだ。
作り方が書いてあっても、種類が分からなかったら意味が無いじゃん。
私は木簡を麻袋に戻し、口をしっかりと結んで立ち上がった。
現時点では役に立たないけれど、それでもこれは数少ない手がかりだ。使えないが手放す訳にはいかない。
そう。
種類が分からない以上は出来ない。
そこに生えている雑草が傷薬《弱》の材料だとは、どうしても思えないのだ――――。
「……」
……。
……。
ちょ っ と 待 て。
私は今何を考えました?
そこに生えている雑草って言った?
そこに生えている雑草って何さ。
「……」
これか。
私は木の根本に生えている特に珍しくもなさそうな雑草を見下ろし口を閉じた。
それだけじゃない。
ちょっと首を巡らせれば傷薬《中》の材料になる蜜を持つ花も生えている。
……何これ。
どうやら、私には薬に必要な種類がちゃんと分かるらしい。
麻袋を見下ろし、私は口を歪めた。歪めるしか無かった。
まだ、現実を受け入れたくないんですけど……駄目ですよね?
暫く、その場に立ち尽くした。
‡‡‡
「お世話になりまして、本当にありがとうございました」
「いや。困った時はお互い様だ。気にしないでくれ」
洛陽という街の宿屋の前。
にこやかに首を振る趙雲さんに、私は深々と頭を下げた。
平原を前に茫然自失としていた私を見つけてくれて、声をかけてくれたのがこの、イケメンな好青年趙雲さんであった。
事情を聞かれたので取り敢えず盗賊に襲われて有り金は全部、荷物もほとんど奪われたのだと説明した。
つい最近両親はいなくなったし故郷も無くなったとあながち嘘でもないことを添えると、ならば共に洛陽に行こうと言ってくれた。薬が作れるようなら薬を作って売れば良いのだと助言もくれた。
洛陽なら薬売りも大勢いるだろうし、薬を作れるように器具を貸してくれる優しい人もいるかもしれない。自分も一緒に頼んでみるからと、気遣ってくれた。
優しい人だ。
この世界の情勢も教えてくれたし。
……まあ、その優しさで私を現実を突きつけたということでもあるけれど。
どうも、この世界は私の故郷でも有名な三国志の世界を模した異世界であるようだ。
模したというのは、ここには私が初めて聞いた種族がいるから、私が勝手にそう判断したのだ。
猫族、読み方は『まおぞく』。
人の身体に猫の耳を持つ気性穏やかな半妖の種族が、この世界には存在しているらしい。
彼らは大昔漢帝国が討ち滅ぼした金眼という凶暴な猫の大妖の末裔なのだとか言われ、その為人間からは酷い迫害を受けている。
猫族は人里を避けて何処かでひっそりと暮らしているそうだ。
三国志に詳しくない私でも、これは私の世界では有り得ない。獣人なんて創作の中で許された人種。そんなのがいたら世の中大騒ぎだ。
という訳で、私はこの世界を異世界として、完全に受け入れることにした。早くも私の敗北である。
となると紙の内容も改めて吟味する必要が出てくる。
幸い、趙雲さんが費用負担で宿屋の部屋を私の分も取ってくれた。部屋でゆっくり読み返して、麻袋の中身も全部確認してみようと思う。
趙雲さんに会えて、本当にラッキーだったなあ、私。
宿屋に落ち着いてすぐ、傷薬《弱》の材料を採りに行こうと、別の用事で出て行く趙雲さんを見送って宿屋の奥さんに厨房が借りられないか相談してみた。趙雲さんにも話した身の上話をすると、片付けをちゃんとすることを条件に許してくれた。
使用許可も出て安心したところで、私は意気揚々と街を出た。
まず売れる薬を作らなければならない。そして、稼いだ金で服を買おう。今の服装は露出は無いが時代に全くそぐわない。洛陽に入った後から滅茶苦茶目立っている。趙雲さんは特にツッコまなかったから大丈夫なのかと思ったけど全然そうじゃなかった。駄目だった。
あとは器具を揃えて、旅に必要な物も買わないと。後者については、一人旅を始めたのが最近でまだ知識に自信が無いからと嘘をついて教えてもらおう。
あまり洛陽から離れないようにしつつ、せっせと頭にいつの間にかインプットされている種類を採取して、日が暮れる前に宿に帰った。
そして、夕食が終わるのを待って食器の後片付けが終わったのを見計らって一人、あの木簡に書いてあった通りに綺麗に土を洗い落とした草を沸騰させたお湯でコトコト煮込んだ。
するとどうだろう。
見る見る水の色が変わったかと思えば、どろどろになって、最終的に乳白色の軟膏っぽい物が出来上がったではないか。
これを見た瞬間、私は思った。
あ、これ多分他人に見せちゃ駄目な奴だ、と。
明らかにこれは正規の作り方じゃない。こんな簡単に軟膏が出来る訳ない。あれ、ワセリンとか脂肪とか入ってるんじゃなかったっけ? そんなん確実にあの雑草に入ってないよ。
ここに宿屋の人がいなくて良かった。これからは誰もいない隙にささっと作ってしまおう。
しかし、軟膏というのが出来たところで、本当に効くのか分からない。
なのでたまたま外で作ってしまった切り傷に塗りつけてみた。
するとどうだ。
すぐに傷口が塞がったじゃないか!
これはゲームか。ゲームか!
驚いて見下ろしていると、厨房に趙雲さんが入ってきた。
「○○殿。薬の仕上がりはどうだ」
「あ、女将さんに聞いたんですか?」
「ああ」
鍋を火から離して、中を掻き混ぜながら粗熱を取り始める私の横に立って、趙雲さんは中身を覗いた。
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