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部屋の外から出てはならないと言われたことは、翌日に何巡達に話した。
何巡はそれについて曹操様に抗議に向かったけれど、納得がいかない顔をして戻ってきた。
「○○様。私、あの方のことが分かりません」
そう言って、首を傾げる。
私も他の侍女達も何があったのかと訊ねれば、
「曹操様は○○様の外出禁止については一貫してお許し下さいませんでした。けれど……それなのに昨夜○○様が歌われなかったことを気になさっておいでだったんです」
「……まあ」
昨夜は確かに私は歌わなかった。
怒らせてしまったその日に何事も無かったかのように歌えば、また気に触ってしまうのではないかと危惧したから……。
何巡の言葉を聞いて、私は少し戸惑った。
「話している時も素っ気なくて、まるで子供が拗ねているみたいで……」
「あの曹操様が? どうなされたのでしょう……○○様」
「……暫く、様子を見てみましょうか」
「その方がよろしいかと。多分、今話しても何も進展しない気がします。……本当に、意外ですが」
何巡の言う通りだ。
私はひとまず彼の動向を窺うことにして、数日の間は言われた通りに部屋から出ずに劉備君には何巡を頻繁に向かわせた。
劉備君は私が贈るお菓子を気に入ってくれているようで、いつも楽しみに待ってくれているみたい。
私が来ない理由は何巡が上手く言ってくれているから大丈夫。
何巡から劉備君の様子を聞くのが最近の私の楽しみになっている。
そんな日々を送っていると、ある日の昼、何巡が私の部屋へ数人の客を連れてきた。
「劉備さんに加え、猫族の関羽さんと張飛さんです」
何巡に紹介された関羽という名の少女は、私を見ながらぼうっとしていたようで、はっとして私に頭を下げた。
「あ、あの……劉備がお世話になっていると聞いたので……!」
「○○がこっちに来れないから、みんなで遊びにきたんだよ」
「あらあら、とっても嬉しいわ。関羽さんも、私が好きでやっていることなのだからそんなこと気にしなくたって良いのよ。何巡。皆さんにお茶とお菓子を」
「畏まりました」
「何も無いところだけれど、ゆっくりくつろいでね」
関羽さんと張飛君が劉備君を挟んで座ったのを見て彼らの正面に座った。
何巡がてきぱきと動いてお茶会の準備をしてくれ、劉備君の勧めで彼女も私の隣に座って参加する。彼女の分のお茶は関羽さんが用意してくれた。
「劉備君、お菓子は飽きていない? 飽きたら遠慮無く言ってちょうだいね。新しい物を用意するわ」
「ううん。どれも大好き!」
「それは良かったわ」
劉備君のとろけるような愛らしい笑顔に、こちらもつられて笑みがこぼれる。
私をじっと見つめている張飛君が、ぽつりと呟いた。
「曹操の嫁さんだからもっと酷い人なんだと思ってたけど、滅茶苦茶良い人だな」
関羽さんが張飛君を睨む。
「ちょ、ちょっと張飛!」
「世の中ではあなた達は十三支だなんて言われているものね。私の故郷はそんなもの無かったから、今でも信じられないの。……あ、夏侯惇様達に酷いことをされたら、私に言いつけるって言って良いわよ」
「え、マジで?」
「張飛! ごめんなさい○○さん! そんなことしたら迷惑になるんじゃ……」
「大丈夫よ。私が猫族に友好的なのは夏侯惇様達ももう分かっていらっしゃると思うし」
関羽さんはそれでも何度も謝って、終いには張飛君に拳固を落としてしまった。
何だか姉弟みたいだわ。
懐かしい。
二人を眺めていると、不意に関羽さんの目が黒いことに気が付いた。
「関羽さん。もしかしてあなたも混血なの?」
関羽さんは驚いて私を見た。困惑に黒い瞳が揺れる。
困惑がありありと浮かんだ顔で、首肯した。
「そうなのね。私の腹違いの姉も、混血だったのよ」
「え!? ほ、本当ですか!」
「ええ。嬉しい偶然だわ」
それから、関羽さんは一気に打ち解けてくれて、姉の話を聞きたがった。
私も何巡以外に異母姉との思い出を語るのが楽しくて、ついつい長話をしてしまった。
話の中では私が花街の歌妓をしていたことにも触れ、その流れで歌うことにもなり、私は外の様子に気を配ることを失念してしまった。
五人ではしゃぎ過ぎたのを聞き咎められてしまった。
「……何をしている。○○」
「あ……曹操。これは……」
「部屋に戻れ。私はお前達がこの部屋に入ることを許可したこと覚えは無い」
「何であれこれ決められねえといけねえんだよ! 劉備が世話になった奴に礼を言いに来ただけろーが!」
「部屋に戻れ、劉備。金輪際○○と会うな」
曹操様の声は、殺気を孕(はら)んでいる。
この間よりも怒っている。
どうして?
「曹操様、あなたは何を……」
「出て行けと言っている!」
声を荒げる曹操様に劉備君が大きく、身体を震わせた。恐怖から潤んでいく金の瞳に、私は咄嗟に曹操様に寄り添い何巡を呼んだ。
「何巡。劉備君達を送ってちょうだい。関羽さん達も陣屋まで」
「……分かりました」
一瞬、承伏しかねるような顔をしたものの、私が目で訴えると、曹操様を睨めつけて劉備君の身体を抱き締めるように立ち上がらせて関羽さん達と共に部屋を出て行った。
扉が閉まって息を吐いたのもつかの間、首を掴まれて寝台に押し倒された。
間近に曹操様の凍てついた顔が迫り、私は息を呑む。
黒い瞳が、表情を裏切ってとても寂しげなのだ。
なんて、不安定な……。
思わず見入っていると、低い声が私に降りかかる。
「何のつもりだ」
「何、の……?」
「十三支と馴れ合って何をするつもりだ」
「馴れ合う? それはどういった意味での言葉でしょう。もし何かをもくろんでいると言う意味で仰っているのでしたら、誤解です。……あの子達はただ挨拶に来てくれただけです。それを冷たく追い返すことなど出来ますか」
「だから楽しげに話すだけに留まらず、歌を聴かせるまでに親しくするのか。……夜に歌うことを止めて」
「!」
また、歌だ。
曹操様はいやに歌に拘(こだわ)っている。
それに怒っているのに瞳は置いていかれた子供のように頼りなげで寒そうで……。
彼は、自分の心の中に気付いているのだろうか。そんな疑問が浮かぶ。
私は曹操様を見つめ、問いかけた。
「曹操様。今のあなたの心中をお聞かせ下さい」
「何を……?」
「曹操様が何を思って部屋から出ることを許さず、劉備君達と話し歌を聴かせたことにお怒りで、私が夜歌っていたことを気にかけていらっしゃるのか、私には皆目分かりません。分からなければ納得出来ません。納得出来なければ夫であろうと従えません。ですから、教えて下さいまし」
「私の心中……?」曹操様が私の言葉を繰り返し、たじろぎ、私の上から退いた。
私は身を起こして、彼の袖を掴んだ。
「教えて下さいまし。分からぬうちは、私はあなたの命令には決して従いません」
曹操様は目を剥いた。
何かを言おうとするけれど、口が開いた途端に閉じ、結局言葉は出てこない。
彼は暫くそのままでいた。
何かを考え込んでいるようだ。
私の問いは、考える必要のあることなのだ。
それは、つまり――――。
曹操様の答えは、だいぶ時間が経過してからぽつりとこぼれた。
「……分からぬ」
「分からない?」
「ああ」
「少しも、分からないのですか?」
「ああ」
曹操様は両手を見下ろし眉間に皺を寄せた。自分でも答えが出ないことが信じられない様子である。
私は曹操様を見据え、「では」と。
「あなた自身理由が分からずに、私に何を禁止出来ましょう。私はその答えが出るまで、好きに過ごします。妾とて、夫の頭ごなしの命令にただ従うばかりでは妻として勤まりませぬ」
「お戻り下さい」そう言いながら私は曹操様は身を押した。
曹操様はとても神妙で、私の語気を強めた言葉に従って、部屋を出ていった。やや茫然として、また考え込んでいるようだった。
きっと、彼は部屋に帰ってからも悩むだろう。
何一つ分からないとありありと顔に浮かんでいた。
自分でも分かっていなかった曹操様に、私は一方的に怒りをぶつけられていたのだ。
……でも、一人で答えを出せるかしら、曹操様。
先程の様子を思い出し、心配になった。
曹操様との会話を、戻ってきた何巡に話すと、彼女は軽く驚いた。
「……曹操様が、ですか」
意外そうに言う。
何巡は私にお茶を淹れ直してくれた後、外を見て渋面を作った。
「何巡?」
「……曹操様が夏侯惇様と歩いていて、こちらをご覧になっておられました」
窓に寄って外を見ると、曹操様はもう歩き去っていった後で。曹操様と夏侯惇様の後ろ姿が柱の影から垣間見れただけだった。
‡‡‡
それから、曹操様は時折私の部屋を訪れるようになった。
お茶に誘うと無言で座り、私の様子をじっと見つめて何かを考え込んでいるのだ。
恐らくはまだ私の問いに対する答えを探しているのだろう。
ただ……こちらから話しかければちゃんと会話はしてくれるけれど、強い眼差しでずっと凝視されるのはちょっと気まずい。
侍女達も私達のただならぬ状態に困惑しているから、何巡だけを側に置いてお茶をする形が定着してしまった。
何巡が気を利かせて夏侯惇様達を呼ぼうとしても、曹操様は即座に断ってしまう。
たまに劉備君達が遊びに来てくれた時にも重なってしまうと、もう大変だ。
嬉しいことに、劉備君だけでなく関羽さんや張飛君達も私に懐いてくれている。
でも曹操様はそれも気に食わないみたいで、決まって何かと理由を付けて彼らを追い返しては険悪な雰囲気になるのだ。
その様子を見ていて、まるで玩具を取り合う子供の喧嘩だと、思わないでもなかった。
運良く重ならなかった時も、稀に曹操様が途中で部屋に現れて冷たく追い出してしまう。
……問いかけたのは間違いだったのかしら。
何だか、どんどん厄介なことになっているような気がするわ。
「○○さん。曹操って、あなたの前だとまるで子供みたいですね」
たまたま曹操様が外出している昼間に、劉備君と関羽さんが私の部屋に遊びに来てくれた。
関羽さんも、曹操様の不審な行動に振り回された結果、こうしてお茶の間にも頻繁に外の様子を警戒するようになってしまった。何だか申し訳ないわ。
私は謝罪の後に、先日曹操様に問いかけたことを話した。
すると、関羽さんは顎に手を添えて、眉根を寄せた。
「もしかして曹操って○○さんのこと、好きなんじゃ……」
「どうしてそう思うの?」
「あ、いえ……何となくです。何となくそうかもって思っただけなのでわたしの勘違いかも」
「でもそれは、私も思っていました」
「あっ、そ、そうなの!?」
「まあ、何巡まで」
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