※注意(嘔吐シーン)



 姉の身代わりとして周りを欺いた私は孫権様の温情で許された。

 けれど私は、私に対する処遇――――このまま孫権様の妻として残ることを拒んだ。私には、そんな優しい処遇を受け入れる資格は無いと思ったから。

 私は、ここにいてはならない。
 家にも二度と帰れなくなってしまったけれど、私が犯した失態を考えれば、仕方がない。
 本来ならば処刑されても当然のことをしでかしてしまったのだからと、私はこの城からも、家族のもとからも消えることを選んだ。

 なのに、尚香――――様や周瑜殿に毎日のように諭されて、最終的には尚香様の涙に勝てずに、自分の決意を曲げて処遇を受け入れることになってしまった。

 あの一件について関係者以外に知らされることは無く、また孫家が実家とどのように話をつけたか私が顛末(てんまつ)を知ることも無かった。
 だから、何も気にしなくて良い、私はここにいて良いのだと、ここを私の帰る場所にして良いのだと、孫権様達は言った。

 妻になった以上は跡継ぎを産まなければならないけれど、孫権様はまず私の心を癒すのが先だとあれこれ気を遣って下さる。

 尚香様も毎日のように私の部屋を訪れお茶に誘って下さるし、周瑜殿も街で買い過ぎてしまったと色んなお菓子や小物を分けて下さったりする。

 情に流されて安易に受け入れてしまった私は、優しくされればされる程、申し訳なさで息苦しくなっていった。

 祝言を挙げてしまった以上もうどうにもならないけど、どうしてあそこで折れずに自分の主張を通さなかったのかと後悔した。

 私は姉の我が儘を許し、呉の君主を欺いた罪人だ。
 孫権様達が私を許しても、それは未来永劫変わらない。

 罪人がこのまま優しいあの方の妻でいて良いのだろうか?
 良い訳がない。
 罰は必ずくだるだろう。

 あの優しい処遇を受け入れるべきではなかった。
 私は許されてはいけないのだと、彼らの優しさに甘えてはいけないのだと、勘違いしないよう必死に自分に言い聞かせた。

 私は罪人だと、家族からの手紙にも書いてある。

 姉同様、飛ぶ鳥を落とす勢いだった曹操軍に大勝したことで呉への見方を変えた家族は、呉の君主の室という立場に高い価値を見出した。

 家族の誰のものでもない筆跡で書かれた手紙は決まって、私が如何に出来の悪い女か、姉が如何に素晴らしい女か、色んな角度から見たそれぞれの評価を述べ姉と私の雲泥の差を明らかにするところから始まる。
 家にいた頃から周りに言われていたことと変わらない酷評の後は、家格に不相応だった私を、本来ならば捨てる筈だったところを温情で今まで育ててやった、その恩をお前は忘れたのかと厳しく責め立てる。
 そして、呉の君主を欺いて富を貪ろうと図(はか)り、親不孝を働いた罪人は償いをしなければならない、その一環として今お前が座っている椅子を、この世で最も相応しい姉に譲るべきであると断言して終わる。

 段々と脅迫が混ざってきているが、毎回全く同じ内容。

 手紙は月に一度、接触を禁じている孫権様達に見られないように、人当たりの良い侍女を選んで遣わし兵士にお金を握らせて私へ手紙を届けさせる。

 私にも、手紙の文面でくれぐれも孫権様達に悟られぬようにすぐに廃棄しろと指示している。

 人に見つからないように廃棄する方法は私の頭では思い付かなかったので、誰も見ないだろう場所へ隠している。
 今のところ誰にも見つかっていないから、かさばって隠しきれなくなるまでは大丈夫だと思う。

 手紙を隠すのは、家族の為と言うよりも、孫権様達の目に触れて要らぬ憂い事を増やしたくなかったから。
 これ以上私達のことで、優しい人達を振り回してはいけない。そう思ったから、私は手紙を隠し、手紙の指示にも従わなかった。

 家族からすれば、出来損ないの反抗が続き、さぞ腹立たしいことだろう。


「『言う通りにしなければ、死ぬことになる』……か」


 とうとう殺害予告にまで発展してしまった手紙を見下ろし、私は溜息をついた。


「……そうよね。あの人達は、私なんか簡単に殺せるのよね」


 姉と入れ替わってこの城を出たあの時のように。

 不出来の自覚があるから蔑まれることには慣れているけど、さすがに私が死んでも家族はどうとも思わないというのは、正直堪える。

 たとえ男を知った未婚の姫でも、あの人達は姉の方が大事なんだわ。
 私なんて、いたら目障りなだけ。
 そんなこと、分かり切っていたことなのに。

 それでも私は、今でも、心の何処かで彼らにも私に対して少しくらいは情があると願っていたんだろう。
 落胆する自分を自覚して、苦笑する。

 もしこれで言う通りに入れ替わったら、今度こそ用済みの私は殺される。

 入れ替わった姉も、すぐにバレて厳しく処罰されてしまうだろう。
 同じ手は通用しない。そんな簡単に騙せる人じゃない。

 それは両親だって分かっている。だって孫権様がじかにお話をされたんだから。
 だのにまだ入れ替われと私に強いてくるのは、多分自信があるからだ。
 姉と触れ合えば、必ず私以上に優れた女だと分かり、私以上に気に入ってくれると。

 私を選んだのは、姉を知らないからだ。私という卑しき女に籠絡されて、その目が曇ってしまっているのだ。
 私と入れ替わって姉を知れば、洗脳が解けて姉の魅力に気付くに違いない――――本気でそう信じ込んでいるんだと思う。

 私も、姉のようだったなら、少しはましな人生だったのかしら。
 なんて考えても、詮無きこと。
 今更生まれのことをあれこれ考えたってどうにもならない。

 殺されても、それは私への報いだ。
 本来裁かれて死ぬべき罪人の私が、孫権様達に許され優しくされ続けるのは間違っている。


「私に、孫権様の妻である資格は無いのよ……私にはいつか罰が下る……いつか、必ず……」


 自分に言い聞かせるように囁く。
 手紙が届く度に、繰り返す。

 微かに痛む胸に見ないフリをして――――。



‡‡‡




 唐突に、周瑜殿に訊ねられた。


「アンタ、何かしたいこととか無いか?」


 いつものように城下で買い過ぎたと言って私の部屋にお菓子を持って現れた周瑜殿は、答えられずに俯く私に、困ったように続けた。


「アンタが肩身の狭い思いをする必要は無いんだぜ?」

「……」

「そりゃあ、確かにアンタの姉や親がしたことは、孫権に対する侮辱だ。許されることじゃない。だが、孫権がアンタを気に入って、アンタだけは許して傍に置くと決めた以上、オレも尚香も、アンタを責めたりはしない。アンタはもう自由なんだ。好きなことをして良い」


 優しい言葉だ。
 その言葉が、私を突き刺す。
 頭を撫でられた。
 優しくされればされるだけ、私は顔を上げられなくなってしまう。

 そのうち、周瑜殿も諦めたようで、また次来る時までに何か考えておくように言い置いて、仕事へ戻っていった。

 一人になって、私は寝台の下に隠した荷物を取り出す。つい先程届けられた荷物だ。
 見つからなくて良かった。

 初めて布に包まれた何かが届けられたことに、少し嫌な予感がした。
 大きさは大体私の手首から肘にかけてと同じ程。
 厳重に布で覆われた中身を取り出して、私はぎょっとした。

 匕首……だ。
 しかも、鞘から抜けば、刀身に軟膏のような物がべったりと塗りつけてある。
 一緒にくるまれていた手紙を恐る恐る読んで、ぞっとした。

 手紙にはたった一言。


『罪人は潔く死ね』


 刀身に塗られているのは、間違い無く毒……。
 どんな毒なのかは分からないけど、ちょっと切っただけでも確実に死ぬだろうことは察せられる。

 自害しなければ、本当に殺害予告通りに私を殺しに来るだろう。あの時、みたいに。

 私は匕首と手紙を交互に見、深呼吸を一つ。
 鈍い光を放つ刃を手首に近付ける。

 押し当てて、ちょっとだけ皮膚を裂けば、私は死ぬ。

 また、深呼吸。

 ……。

 ……駄目だ。

 怖い。

 肌に触れることの無かった匕首を下ろし、手紙と一緒に布にくるんで寝台の下に隠した。
 自分で自分の命を絶つ程の勇気なんて、私は持っていない。

 罪人の私は報いを受けるべきだと分かっているのに。
 自らを殺すことが私に下った罰なのだとすれば、逆らってはいけないのに。

 死ぬのが、とても怖い。

 私は寝台に座り、両手で顔を覆った。

 その日の夜にも、もう一度匕首を握った。
 でも、やはり皮膚に当てることすら躊躇ってしまう。

 毎日のように、匕首を出した。

 だけど、情けないことにことごとく死への恐怖が勝ってしまった。

 日を経るごとに、次の手紙に対する焦りも生じ、心が押し潰されそうになる。
 それを、他人の前では表に出さないようにするのも辛くて、知られてしまうことが怖くて、体調不良を理由にお茶の誘いを断ったり、中に入れずにそのまま帰ってもらうことが増えた。

 心配をかけているのが申し訳なくて、また苦しくなる。

 余裕が無くなっていくのが、自分でも分かった。

 罪人は罰を受けなければ、でも怖い。
 早くしなければ知られてしまう、でも怖い。

 恐怖が邪魔をする。

 気付けば、家族からの手紙が届く頃になっていた。

 今度は、外見は普通の手紙で、中身の確認もまだなのに座り込むくらい安堵した。

 中を開き、文字を追う。

 内容が、今までと全く異なっていた。


「う、たげ……?」


 孫権様のご厚意で、宴に家族で呼ばれたと、それを喜ぶ手紙だった。

 私がやっと罪を償う気になって、父母は嬉しく思う、娘もお前の罪を許すと言っている。
 さあ、この通りに動き、その座を娘に渡すのだと、初めて父の筆跡で私でも分かる杜撰(ずさん)な計画が書かれていた。聡明な父が考えたにしては、あまりに稚拙だった。

 こんな穴だらけの計画、絶対看破されるに決まってる。
 呆れを通り越して、彼らのふてぶてしさに孫権様達へ申し訳なくなってくる。


「でも、どうして宴なんて……」


 その時だ。


『○○殿。私だ』

「!」


 孫権様の声が扉の向こうから聞こえ、咄嗟に口を押さえた。
 慌てて手紙を枕の下に隠し、私は深呼吸をしてから扉を開けた。


「お待たせ致しました……」

「……何か、取り込み中だっただろうか」

「いえ。少し、うとうとしておりましたので……」


 そう言うと孫権様は納得してくれたようだ。
 ほっとして、孫権様を部屋へ入れ、いつものようにお茶を用意した。


「すまない」

「いえ……私の方こそ、いつもお茶しか出せずに申し訳ありません……」


 何かお茶菓子をお出し出来れば良いのだけれど、以前周瑜殿が持ってきてくれたお菓子は尚香様との席で食べてしまったし、孫権様達のご厚意で侍女をつけることを断った私の世話をしてくれる女官数人に仕事以外に頼みごとをするのは憚(はばか)られる。

 孫権様は構わないとお茶を一口飲み、私に座るように促した。
 向かい合うように座ると、


「本来ならば、○○殿の意見を求めるべきだったのだろうが……あなたの家族を呼んで宴を開くことにした」

「宴、ですか?」→

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