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※微裏、流血(自傷)、狂を含みます。
諸葛亮様の妻になって、私も彼の人里避けた庵に暮らすことになった。
夫婦になったのだから砕けても良いのにと翠宝や両親に言われているのだけれど、今でもお互い敬語が抜けないままだ。
ただ、口調はそのままでも、祝言を上げる前とは諸葛亮様の態度は随分と違っている。
庵に私を迎えた諸葛亮様は私と接していると、村でお会いしていた頃に比べてとても穏やかな顔になる。
それに、優しい微笑みも時折見せてくれる。
庵に暮らし始めて一年にもなると、人里離れた土地での晴耕雨読の暮らしにも慣れた。
元々畑仕事はしていたし、それをより効率化する為の設備を私が整えればうんと楽になった。
小さな庵である為に二人で一つの寝台で共寝するのが至極恥ずかしい苦行に思えたのは最初だけ。
お互い仰向けで寝ていた筈の諸葛亮様が、朝には私の手を握り締めていることが稀にあって、その朝は寝覚めが少し悪そうだった。
そう言う時は決まって、昔の夢を見ている。
弟妹と戦火から逃げていた時の――――気付けば諸葛亮様たった一人でいた時の、再現を。
毎夜その夢を見ている訳ではないけれど、私が来たばかりの頃は頻繁だった。
魘(うな)されている諸葛亮様の苦しげな声で夜中に目が覚めることもあった。
その時には、私から手を強く握って身体を密着させると、苦悶の顔がほんの少しだけ和らぐ。
私などに出来ることは、それが限界だった。それでも、ほんの少しでも彼の心が楽になるのなら――――そう思ううちに私の中で羞恥も薄れ、失せた。
穏やかな眠りを願って繰り返していたことが、功を奏したのかは分からない。
二ヶ月経った頃には、諸葛亮様が夢に魘されることは随分と減った。
諸葛亮様から見ても、夢を見る回数も、目覚めの悪さも、私と暮らすようになって見違えて減っているらしい。
気を遣わせていることに謝罪され、そして感謝もされた。
寝る前に手を握ると、諸葛亮様が微かにほっとした顔をするのが、嬉しかった。
暮らしに慣れた頃、度々諸葛亮様へ登城を乞うていた劉表様が、たまには伯父に元気な顔を見せなさいとの手紙を使者を介して送ってきた。
母の縁で親戚になったとは言え、荊州牧の劉表様とは身分があまりに違い過ぎる。私のような女が、気安く挨拶するなんて恐れ多い。
伯母様からも祝わせて欲しいとの手紙も添えてあったけれど、それを理由に腰が引けてしまって使者にすぐに答えを返せなかった。
劉表様も、私が尻込みすることは予想されていたのだろう。
三日後に答えを聞きに再び使者が訪問することが、あらかじめ予定されていてほっとした。
私としてはやはり劉表様に迷惑をかけてしまうかもしれないのが不安で断るつもりでいたのだけれど……諸葛亮様に自分も共に行くからと諭されてしまうと、断れない。
三日後同じ頃に返答を聞きに来た使者に諸葛亮様がその旨を伝え、その日から五日後に登城する約束を交わした。
後になって思えば、ここで頑なに行かないと決めていれば、あんなことにはならなかった。
久方振りに拝謁した劉表様は、年齢を重ねてもまだまだ健やかそうで安心した。
伯母様やご長男の劉キ様、弟君の劉ソウ様も息災なご様子で、私達を迎えて下さった。
「おお、○○よ。長らく見ぬうちに、瑞々しく、美しくなったな。野を駆けて承彦殿を振り回していた幼子の姿が嘘のようだ」
「劉表様……どうか昔のことは仰らないで下さいまし。今となっては、お恥ずかしい……」
「いや、なに、親にとって子がいつまでも子であるように、儂にとってもそなたはいつまでも可愛い姪なのだ」
「光栄至極に存じます……」
劉表様は少し寂しそうに眉を下げる。
言いたいことは分かるけれど、私はそれに気付かぬフリをした。
ほんの少しだけ空気が重くなったところで、劉キ様が声を弾ませて、
「お二人共。ご結婚おめでとうございます。遅ればせながら、今夜祝いの席を設けさせていただきますので、お二人共、どうかごゆるりとお楽しみ下さい」
「え? い、いいえ、そんな……」
恐れ多いと断ろうとした私の言葉を諸葛亮様が遮ってしまう。
「ありがとうございます。劉キ様」
「○○殿も、今宵は互いの身分などお気になさらず、父上に昔のように伯父と接してあげて下さい。○○殿が登城して下さると聞いてから、父上はずっと浮き足立って落ち着かなかったのですから」
「これ、劉キ。伯父としての威厳を崩すでない」
劉表様が拗ねたように言うのに、劉キ様は悪戯っぽく笑った。
劉ソウ様は、さっきからずっと劉キ様のお隣で憮然として佇んでいて、伯母様に窘められても私を見ようともしない。
彼の態度は昔からだ。
身分などを理解出来ない程幼かった頃、時折伯母様に連れられて村に遊びに来ていた劉キ様と劉ソウ様は、私に対する態度が対照的だった。
劉キ様は初対面から友好的で子供なりに礼儀正しく接してくれるのに対し、劉ソウ様は私に近付かず、一度たりとも私と目を合わせるどころか顔すら見ようとしなかった。当然、劉ソウ様と言葉を交わしたことも一度も無い。
今もそのままであることを少しだけ残念に思いながら、私は朗らかに話しかけて下さる劉表様につられて、口元を弛めた。
‡‡‡
宴は、恐縮してしまうくらい大々的なものだった。
諸葛亮様と並んで劉表様の隣に座った私は、申し訳なさと気恥ずかしさと、私のことをこんなにも喜んでくれる人がいることに対する嬉しさが胸の中で綯(な)い交ぜになって、居たたまれない気持ちになっていた。
伯母様や劉キ様が、私に話しかけて下さるのがありがたかった。
諸葛亮様は、すっかり酔いが回って上機嫌で話す劉表様の相手をしていて、私と話す暇は無いようだった。時折私の様子を流し目に確かめて下さっているようだけど、すぐに劉表様に引き戻されてしまう。
楽士の方々の貴重な演奏も酔いの賑わいで掻き消され、いよいよ熱気と酒気が広間に充満する。
酒に弱い私は飲んではいないけど空気に当てられて体温が上がって少しくらくらし始めたので、伯母様と劉キ様に断って、中庭で風に当たらせてもらうことにした。
諸葛亮様にも一言と思ったけれど、劉表様の止まらないお話に隙が無く、伯母様が後で割って入って伝えておいてくれると言ってくれたのでそれに甘えさせてもらうことにした。
伯母様が侍女を一人つけると仰って下さったけれど、昔伯母様の侍女が全員私を見てほんの一瞬顔を歪めたことはまだ記憶に残っている。
やんわりと断って、私は一人席を立つ。
諸葛亮様が私の動きに気付いて顔を向けるも、劉表様のお話を蔑(ないがし)ろにする訳にもいかない。
私は申し訳なさそうに頭を下げる諸葛亮様に頭を下げ返して、広間を出た。
熱気のこもった広間から出ると、打って変わってひんやりとした風が火照った身体を撫でていく。
鳥肌が立った腕を服の上からさすり、私は少し道に迷って中庭に出た。
回廊のぼんやりとした灯りに照らされた中庭の中央にある亭(てい)に入り、側の小池に背を向けて腰かけた。まだ、水は怖い。
ささやかな虫の鳴き声に耳を傾け、目を閉じる。
肺に溜まった酒気を吐き出そうと、何度も深呼吸を繰り返した。
と、不意に何処からか視線を感じる、首を巡らせ身を捩り、その姿を捉える。
驚いた。
「劉ソウ様……?」
彼が一人で回廊の柱に寄りかかって腕を組んでいる。
どうやら、視線は彼のものだったらしい。彼を視界に入れた瞬間顔が背けられた。
劉ソウ様が私を見ていたことに驚いた。挨拶をしておくべきかもと思ったけれど、何処か不機嫌そうで近付くことは憚(はばか)られた。
ひょっとすると賑やかな場所が苦手で逃げてきたのかもしれないと思い、私は彼の存在には気付かないフリをして、冷たく、やや強い風が亭を吹き抜けていくのに村にいた頃よりも長く伸びた髪を押さえた。
それから暫く、時折劉ソウ様の様子をこっそり窺いながら火照った頬を冷ましていると、
「○○殿。あまり長居すると風邪を引かれますよ」
「諸葛亮様」
彼が、隣に腰を下ろす。
「劉表様は?」
「○○殿がおられないことにお気付きになられまして、私に捜してくるようにと」
苦笑を浮かべる諸葛亮様が少しだけほっとしているように見えた。
「なかなか、離してもらえませんでしたものね」
「○○殿の夫が私なぞであるにことも喜んでいただけているようで、至極光栄です」
「『私なぞ』だなんて……」
それはこちらが言うべき言葉である――――とまで言おうとして、途中で口を噤んだ。
諸葛亮様は小さく笑った。
「私達はお互い、相手の伴侶として相応しくないと考えていますね。その点では、私達は似た者同士だ」
柔和な眼差しでこちらを見てくるのに、気恥ずかしさから笑みが強ばってしまって俯いてしまった。
すると、諸葛亮様の手が、膝に置いた私の手に重ねられる。軽い力で恐る恐る握られた。
長い溜息を付いた諸葛亮様に顔を向けると、
「私があなたの夫であることを劉表様に認められて、今は心から安堵しています」
僅かに諸葛亮様の身体が傾き、私に寄りかかる。酒の匂いがした。きっと、劉表様に飲まされたのね。
泥酔する程は飲んでいないようだけれど、諸葛亮様の手はいつもより熱いし、心中をほんの少しこぼしてしまう程度には酒が回っているみたい。
劉表様の城であるにも関わらず、こうして私に寄りかかってくるのもきっと酒の所為。
いつもの諸葛亮様なら、この庭に劉ソウ様がいらっしゃることもこの亭に入る前に分かっていた筈だ。
劉ソウ様、不快になられていなければ良いのだけれど……。
不安に思って劉ソウ様のいる回廊に目を向けると、彼の姿は無かった。
お戻りになられたようだ。
今の状態を見られていたかもしれないと思うと、広間に戻るのに少しだけ気が引けた。
そのまま諸葛亮様に劉表様との会話について聞いていると、伯母様が庭に来て、部屋を用意したから今日は城に泊まっていくようにと言われた。戻りづらかったし、諸葛亮様も酒の影響が少なからずあるので、有り難く甘えさせてもらうことにした。
部屋は夫婦だからと一部屋に。
二人で寝ても余裕のある寝台をこの日の為に職人に急いで作らせたと聞いて、申し訳なく思った。
伯母様に冗談混じりにここで子供を作っても良いのよと言われたのに、曖昧に笑って返すしか無かった。
一応、私はもう処女ではなくなっている。
初夜に一度だけ、諸葛亮様と肌を重ね合った。
それ以降は、無い。
私自身、肌の黒い身体で諸葛亮様に抱かれることが申し訳なくてたまらなかった。今また重ねても、きっと私は同じことを思うだろう。
それが、諸葛亮様にも伝わってしまったのだと思う。
諸葛亮様から求められることは無い。
同じ寝台で手を繋いだりぴったり寄り添って眠るだけだ。
伯母様が用意して下さった寝衣に着替え、自宅と同じように手を繋いで身を寄せ合って横になった。
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