4
「そういうことだから、責任はきっちり取れよ」
ばしんと背中を叩き、周瑜殿は私の方を見て目を細めた。
「アンタ、今は大丈夫か? 胃に優しい物を作って貰ってるが、食べれるか」
打って変わって真面目に問いかける周瑜殿に、私は恐る恐る頷いた。
周瑜殿は扉の外へ顔を出し、そこにいたのだろう誰かに指示を飛ばした。
そして孫権様を座らせ、懐から一通の手紙を取り出した。
ぞわ、と背筋が凍った。
「あ……」
「アンタ、一人でずっと家族と連絡を取ってたんだな。孫権から言われた筈だ。家族との接触は禁じると」
私は俯いた。
小さく謝罪すると、頭を撫でられる。
「どうして誰にも言わなかった。あんな状態になるまで……」
「……あんな状態?」
「覚えてないのか?」
私が部屋に戻った後、私自身に何があったか問いかけると、周瑜殿は躊躇いつつも話してくれた。
尚香の侍女が慌てて周瑜殿のもとに私の異変を報せに来て、孫権様と共に駆けつけると、放心状態の私は尚香様に抱き締められ、吐瀉物を片付けたり見つけた手紙を読んで泣いて怒って大騒ぎしている侍女達を涙を流しながら眺めていた。
医者を連れてきた兵士から、侍女が私の部屋で見つけた匕首や丸薬の報告を受け、それから『罪人は潔く死ね』と書かれた手紙を含むこれまで私に届けられた手紙を読み、また姉が入れ替わろうと両親と画策していたことを知った孫権様達は即座に三人を帰せと指示。
医者によると精神的な要因によるものだという。
私は、医者の診察を受けて薬を飲んだ後、突然意識を失ったそうだ。
私の看病を尚香に任せて一旦広間に戻ると、強制的な退城を告げられて逆上した姉が、輿入れの際私と入れ替わったことを大声でバラし、更に私を口汚く罵ったばかりか孫権様まで悪口の標的にし、酔いもあっただろう、憤った武官に斬られて倒れていた。
両親がこの武官に襲いかかるが、二人も武官も周りの人間が押さえ込み、幸い致命傷は避けられた姉の手当てをして、有無を言わさず送り返した。
当然、私達のことを臣下にも話さなければならなくなった孫権様には、私と離縁すべきだと進言した人もいたみたいだ。
けれど、
「彼らの言葉を受け入れる方が、君主としては正しいのだろう。だが、それでも私はあなたと離縁するつもりはないと臣下に伝えた」
はっきりと、真っ直ぐに私を見据えて孫権様は告げた。
どうして、と問う。
孫権様が答えるのを待たずに、
「姉は、孫家を見下し私と入れ替わって呉を騙しました。両親も孫家を見下すが故に姉を嫁がせることを拒み、姉の我が儘を許容していました。ですが、曹操に大勝した途端に掌を返し、私を姉と入れ替えようとした。許されるべきではありません。それは、私も同じことです」
「だが今回だけは、アンタは入れ替わらなかった。部屋の中で毒がたっぷり塗られた匕首と、一粒で人を殺せる劇薬に腹の中のものをぶちまけて……家族の言いなりにならずに、ここに残ってるじゃないか。今何を思っているか自分が知りたいと言っていたが、アンタは家族から解放されたかったんじゃないのか?」
周瑜殿は優しく、諭すように問いかけてくる。
私を誘導して、頷かせようとしているんだと思う。
「……分かりません。私は罪人です。孫権様達がお許しになってもいつか必ず罰を受けるだろうと、ずっと思っていました。でも、分からない。何も……自分がどうしたいのか、何を思っているのか、分からない……」
「○○殿……」
孫権様が立ち上がり、寝台に腰掛ける。
両手を握り、
「被害を受けた人間が許しているというのに、どうして罰を与える必要がある」
「受けるんです。受けなければいけないんです。私は本来なら許されてはいけない。あの匕首で、死ぬべきだった……」
親から匕首を送りつけられた時に、これが罰なんだと思った。
だから死のうとした。匕首で肌を裂こうとした。
でも、駄目だった。
何度も何度も試しても駄目だった。
死ぬのが怖くて、躊躇って、止めてしまう。
罰なのに。
罪人は報いを受けなければならないのに。
震え出す私の手を、孫権様がぎゅっと握り締める。
「けど、死にたくないんです。死ぬのが怖いんです。罰を受け入れなければならないのに私は……匕首を何度肌に押し当てても、恐ろしくて切れないんです……!」
「アンタが塞ぎ込んでいた原因は、それか」
周瑜殿が溜息をつく。
そこで、
「……やっと、あなたの本当の心が見えた気がする」
孫権様が周瑜殿を呼んだ。
「……暫く、席を外してくれ」
「良いのか?」
「ああ」
周瑜殿は私を見、小さく頷いて外へ出て行った。
扉が閉まってから、孫権様は私を真っ直ぐに見つめた。
「あなたは罰されたいのか?」
「……私は、姉達と共に罰されなくてはいけないんです。それだけのことを、しましたから……」
孫権様は暫し沈黙した。
「ならば、私があなたを罰すれば、あなたは納得してくれるか?」
「孫権様が、私を……ですが、もう、」
「今回のことで、臣下にも○○殿のことは知れてしまった。これから、あなたは呉を欺いてのうのうと私の側にいる女だと臣下から厳しい非難を受けることになるだろう。私も、彼らに知られた以上何の咎めも無く終わらせることは出来ない」
孫権様の手が離れる。
「あなたには、私が決めた臣下の養女になっていただく」
「え?」
「加えて、あなたの行動は女官や兵士に常に監視させる。単独の行動、元の家族含め外部との接触は一切の手段を禁じる」
「……」
「そして……」
孫権様はそこで、言いにくそうに口を閉じた。
「髪を切ってもらう」
「髪、を……?」
孫権様は、申し訳なさそうに頷く。
確かに髪は、とても大事なもの。
だけど――――それだけ?
私は呆然とした。
「それだけで良いんですか……?」
「臣下達のあなたに対する辛辣な態度を、私は止められない。心が悲鳴を上げようとも、死ぬことを許さない。それも含めて、あなたへの罰とする」
何で、どうして、そんなに優しいの。
どうして、どうして、どうして――――……。
「どんな目に遭おうとも死なずに、最期まで私の側にいて欲しい」
「どうして、」
視界が滲んでいく。
孫権様の手がヒリヒリと痛む目元をそっと拭う。
「私は、あなたのことを愛している」
「……っ」
「ずっと考えて、やっと分かった。○○殿に対して抱いていた感情が如何なるものか。私は失いたくない、心から愛おしいと思う女性を。その為なら、どんなことでもするだろう」
名を呼ばれ、頭がじんと痺れる。
そっと抱き寄せられ、私は全身から力が抜けていった。
「私は意識の無いあなたに乱暴をした罪があり、我欲に駆られてあなたへの罰を理由に側に置こうとしている。私はあなたを許したが、あなたは私を許さなくて良い。あなたが私を憎むのなら、私はそれを私への罰だと思って生きていく」
この人は、優しすぎる。真面目すぎる。
私に乱暴していないと思うのにそう思い込んで、優しいのに罰を利用したから憎まれるんだと思って。
この人に名前を呼ばれるのが、《私》が認識されているのが、《私》を愛していると言ってくれたのが、心の底からとても嬉しいと思った。
この人の側で生きていきたいと、思った。
姉じゃない、姉の身代わりじゃない、《私》自身が。
私は、声を上げて泣いてしまった。
ぎょっとした孫権様が離れようとするのにしがみついて、わんわん子供のようにみっともなく大泣きした。
暫くして、私の頭を孫権様が撫でてくれた。
それで、また涙が止まらなくなってしまった。
ようやっと落ち着いて、深呼吸を繰り返す私の背中を撫でてくれる孫権様に、震えた声で乞う。
「孫権様が……切って、下さい……私の髪……」
「……○○殿が望むのなら」
孫権様は泣き腫らした私の目元に左右どちらも口付けて、頷いた。
周瑜殿が尚香様を連れて戻ってきた時、孫権様に切ってもらった髪はすでに寝台に落ち、私は肩に触れるか触れないかにまで短くなった自分の髪に、喪失でなく、満たされるものを感じていた。
ただ、まだ現実に承伏しかねる自分がいて、重苦しいものが胸に渦巻く。
それを察してくれているのか、孫権様はその日ずっと側にいて、私の手を握り締めてくれていた。
本当に、優しい人。
その優しさに、私は囚われていたいと、孫権様の手の温度を感じながら、心から願った。
.
- 12 -
[*前] | [次#]
ページ:12/88