さっきの手紙にもあったこと。
 私は初めて知ったフリをした。


「あの人達も……」

「あなたが嫌だと思われるならば、今ならまだ止めることも出来る」

「……いえ。私のことなら、どうかお気になさらず」


 正直、孫権様がどのような意図で接触を禁じていた筈の私の家族を宴に呼ぼうと思ったのか気にはなった。
 訊ねることも出来たけど、しなかったのは家族の話になったら手紙のことがバレてしまうと、守りに入ったから。

 孫権様は私をじっと見据え、


「……○○殿。あなたはどうしたい?」

「どうしたい、とは?」

「このまま私の決めた通り家族と絶縁するのか、多少なりとも繋がりを残しておきたいのか。もしあなたが家族のことで憂い事があれば、あなたが望むままにしよう」


 抑揚の無い声に、少しだけ悲しげな響きがあった。

 私は、困惑した。
 また胸が苦しくなる。


「私、は……大丈夫ですから。私のことも、家族のことも、孫権様の心のままになさって下さい。元々、私は罪を免(まぬか)れる代償として家族との接触を禁じられた身ですから、家族は少し反発するかもしれませんが、私は孫権様の判断に従います」


 家族との繋がりは、孫権様の知らないところにある。
 孫権様がどうなさろうと、家族からの要求は止まないのだ。

 努めて笑って言うと、孫権様の眉が一瞬動いた……気がする。
 目を伏せて暫く沈黙した後、


「……やはり、まだあなたは、」

「え?」

「……いや、何でもない。宴は旬日後に行う。○○殿にも出席して欲しい」

「分かりました」


 きっと、姉は張り切って着飾ってくるだろう。
 孫権様を籠絡する為に。

 姉は、私よりもずっと頭が良い筈だ。
 だけど、両親と同じく自分の都合の良いように世界は回っていると思い込んでいる節がある。

 だからあれだけ無礼なことをしておきながらも、自分は誰からも許されて当たり前だと思っているのだ。
 そんな訳、ないのに。
 現実は思い通りに動かせるような甘いものじゃない。

 入れ替わりが失敗したことも、私が孫権様の妻になったことも、そう。
 なのに……姉は、まだ世界が自分の為のものだと思っている。

 そんな風に、両親に育てられた。

 姉だけが可愛い可愛いと言う人達だから、私なんて出来損ないは殺したって構わないのだ。
 自害しろと実の娘に匕首を送りつけることが、出来るのだ。

 私って、何の為に生まれて、何の為に生きているんだろう……。


『お義姉様、尚香です』

「あ……はい。どうぞ」


 部屋に入ってきた尚香様は、孫権様がいることに軽く驚きながらも、丁度良いと荷物を抱えた侍女と、私の世話をしてくれている女官を数人率いて私を立たせた。

 尚香が彼女達に頷くと、荷物を――――肌触りの良さそうな色とりどりの布を私の身体にあてがい始めた。


「あの……尚香様。これは一体……」

「宴の為に、お義姉様に服を仕立てて差し上げたいのです。お義姉様のことだから、きっとご自分からは遠慮なさって望まれないだろうと思って。お兄様がいらっしゃるなら、殿方のご意見が伺えますね」


 楽しそうに自分も私に布を当ててこれでもないそれでもないと侍女達と相談する尚香様。

 孫権様はその様子をじっと見つめているが、多分戸惑っていると思う。


「……尚香。私の意見よりも、周瑜に訊ねた方が、」


 む、と尚香様が孫権様を睨む。


「お義姉様は、周瑜ではなくお兄様の妻なのです。伴侶以外の殿方の意見が反映された服を、ご自分の妻に着せて良いんですか?」

「私はそういったことは苦手だ」

「ええ、存じています。お兄様は、私達の案が好きか嫌いか仰るだけで充分です」


 今度は表情に出るくらい困っている。

 私が遠慮して、尚香様の好きに決めてもらって構わないと口を挟むと、尚香様は頬を膨らませて私を睨んだ。睨んだ、とは言ったけれど、可愛らしさが強くて全く怖くない。


「お義姉様! これはお義姉様の為にも大事なことなのですから、お義姉様ももっと真剣になさっていただかないと困ります!」

「え、あ……ご、ごめんなさい……?」


 何故か、私まで怒られてしまった。
 作る衣装が今回行われる宴で私にとってどれ程重要な役目を果たすか、それに尚香様だけでなく孫権様の意見を投影することでどんな効果があるか、懇々(こんこん)と説教され、私は困惑しながらも黙って彼女の熱弁を聞いた。

 話し終えた尚香様は神妙な私に満足そうに笑って頷き、彼女の熱の入り様に気圧されている孫権様に布を押しつけた。


「尚香……」

「さあさあ、ぼうっとしていないでどの色がお義姉様に一番似合うかお兄様も捜して下さい!」

「……あの、」

「お義姉様も! お好きな色があれば遠慮無く仰って下さいね!」

「あ、は、はい……」


 私も尚香様に気圧されて、頷くしか無かった。

 尚香様と、普段から私をもっと飾りたいと言っていた尚香様の侍女や女官達の気合いに、私も孫権様も完全に呑まれて、質問におどおどと答えていった。

 ようやっと解放された時には、私よりも孫権様の方が疲れているようで、座り込んで長々と溜息をついた孫権様にまたお茶をお出しした。



‡‡‡




 宴は、日が落ちてから行われる。

 妻となった私は当然孫権様の隣だと尚香様にも周瑜殿にも断言されてしまい、宴の準備で女官達が慌ただしく城中を駆け回る中、私は部屋で尚香様と侍女と女官達によって、べったりと化粧をされたり、今までほとんど同じような髪型だった髪を複雑に結い上げたり、昔の私では見ることも出来なかった煌びやかな装飾品の数々を取っ替え引っ替えしたり、長時間座らされてまるで着せ替え人形のようだった。

 ようやく解放されたのは丁度宴が始まる頃だった。

 その時にはいつの間にか尚香様もしっかり着飾っていて、美しさと可愛さが上手く同居しているその姿は、私なんかよりもずっと素敵だった。

 私も見目だけは姉とそっくりだから着飾ればそれなりに綺麗にはなる。
 だけど鏡を見せられた瞬間私の心の中に生まれたのは、自信でも喜びでもなく、姉とそっくりになった自分に対する嫌悪感だった。
 見ているうちに私が私じゃない気がして、鏡を叩き割ってやりたい衝動に駆られた。
 すぐに我に返ってそんな自分に驚いた。

 姉としてここに来た時、姉と同じように化粧を施し、着飾った。私の外見が私じゃなくて姉になってしまったと思いはしたけど、嫌悪感は無かった。あの時は諦念と不安が胸を占めていたような気がする。

 それが、今の私は姉とそっくりになった自分を気持ち悪いと思っている。

 ただただ驚いた。

 そんな私を、尚香様達は緊張しているのだと勘違いしてくれて、他愛ない話で私の気を紛らわそうとしてくれた。

 そして、尚香様に連れられて宴の席へ。
 孫権様は広間の奥に座り、空席になっている彼の隣が私の席なのだろう。
 ざっと見渡した広間にはまだ、両親も姉もいない。

 きっと姉を念入りに着飾って到着が遅れているんだろう。
 また、私と入れ替わるつもりで。

 手紙にあった計画通りにいく訳がない。
 そう思っている私は、しかし今になってもどうするべきなのか決められないでいる。

 孫権様は尚香様と共に広間に入った私を見ると微かに目を瞠り、やや慌てて立ち上がった。
 文官や武官から一斉に拱手を受けてたじろいだ私に早足に近寄り、こちらへ、と手を差し出した。

 彼の手を躊躇いつつも取り、席へ導かれる。

 私を座らせて自身も座った丁度その時に、女官が私の家族の到着を報せた。
 自然と全身に力が入ってしまう。
 真っ先に入ってきたのは姉だ。自信満々と言った風情で闊歩(かっぽ)してきた彼女は私を見るなりにっこりと威圧的な笑みを浮かべ、さも当たり前のようにこちらに歩いてこようとした。

 けれど、別の女官に席はこちらですと阻まれ、眉間に皺を寄せた。
 女官はえっと驚いたけれど、すぐに表情を引き締めて仕事をこなす。

 後から入ってきた両親も、不思議そうに側の文官に私を示して訊ねている。
 何を奇妙なことをと言いたげながら質問に笑顔で答えている文官に両親は顔を険しくして、二人で何か話している。
 文官に促され不服そうに私を睨みつけて、私から大きく離れた席に三人並んで座った。

 ぎろっと三人に睨めつけられて、そう言えば、と思い出した。
 手紙には、宴では孫権様の側に自分達を据えるようにとの指示もあったっけ。
 三人は、いきなり計画と違うことをした私を責めていたのだった。

 孫権様が側に座っていた周瑜殿に身を寄せて何か問いかけている。

 周瑜殿は首を傾げ、三人を広間へ案内した女官と、こちらに寄ろうとした姉を案内した女官、両親の応対をした文官を呼び寄せた。
 彼らに何事か訊ねるが、一様に困惑した様子で三人をちらちら窺いながら説明している。

 周瑜殿がまた首を傾げて、私の方へ身を乗り出してきた。


「なあ、○○。アンタの家族がこの席じゃない筈だって言ってるんだが……アンタから何か言ったのか?」

「……いえ……私からは、何も……」


 平静を装ったつもりが、声が震えてしまった。

 周瑜殿が一瞬だけ眉根を動かしたのに、肝がすっと冷えた。


「そうか……孫権、席を変えるか?」

「……ああ。尚香と○○殿の間に移動していただこう」

「良いのか?」


 孫権様が頷くと、周瑜殿は承伏しかねるような顔で私を見、女官に指示する。

 そこに尚香様が口を挟んだ。がっしと私の腕を掴んで、


「お兄様。私、お義姉様の隣が良いです。絶対に譲りません」


 と強い口調。


「分かった。ならば、周瑜」


 周瑜殿は嫌そうな顔をした。


「オマエの隣にあの家族を持ってくるのは止めておいた方が良い。○○には悪いが、嫌な予感しかしない」


 それが正解だ。
 心の中で同意しても、表には出せない。

 周瑜殿が私をじっと探るようにじっと見つめてくるのが気まずくて、思わず視線を落とした。

 ややあって、溜息。


「分かった。尚香の隣に行くよ」


 女官に指示を出し、尚香様の隣の文官達と話をして、渋々席を移動する。
 暫くして、孫権様の隣に姉が、その隣に両親が、それぞれ満足そうな顔して座った。

 周りの臣下の人達も怪訝そうに私の家族を見るが、孫権様が何も言わないことから、誰もこのことに触れようとはしなかった。

 そして、宴が始まる。
 姉は私を無視して孫権様に酒を注ごうとして周瑜殿に止められる。

 けれど無視だ。汚らしい物でも見るかのような目を向けるだけ。
 両親も止めずに周瑜殿を見ながら二人でこそこそと、多分陰口を叩いている。

 私が代わりに周瑜殿に謝罪するけれど、父が大声で私と姉の差を語り出したり、母が私の欠点を一つ一つ丁寧に説明したりして、姉を売り込もうという下心が丸見えで、その姿が娘の私から見ても浅ましくて情けなかった。

 あのことがあっても何も変わらない家族の姿を見ていて、心が冷えていく。

 孫権様に身体を刷り寄せる姉が、この上無く醜く思えた。
 その姉と同じ顔の私自身も、救いようが無い程汚く思えた。



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