何巡は頷き、


「とは言え、どうも行動が幼い故に、男女の恋愛と断定出来はしないのですが」


 と。
 関羽さんも大きく頷いて同意を示す。

 曹操様が私を……とてもそうは思えない。
 だって私達はお互いのこと、何も知らないじゃない?
 私も曹操様も、互いに一線を引いて接していると思う。
 そんな感情が芽生える関係だとは言い難い。
 そう言うと、関羽さんは不思議そうな顔をした。


「だけど……そんなこと考えたことも無かったわ。曹操様と私が、男女の感情を持つだなんて」

「? 好きで曹操の奥さんになったんじゃないんですか?」


 関羽さんの問いに、今までお菓子に夢中だった劉備君がぱっと顔を上げて首を傾げた。


「○○。曹操のこと好きじゃないの?」

「そうねえ……私は、曹操様のお父様曹嵩様に気に入られて、曹操様の側室にと買われたの。だから、側室として曹操様に尽くすつもりではいるけれど、愛している、とは言えないわね」


 「そうだったんですか!?」関羽さんは大袈裟に驚いた。


「夫婦なのに、お互いのことが好きじゃないなんて悲しい……。買われて側室にされたから男の人に尽くすなんて、悲しくないんですか?」

「いいえ。人間の世界では当たり前のことだから、気にしなくて良いのよ。それに、ここに来て酷く扱われたことは一度も無いわ。曹操様は私を見下すようなことはなさらないし……少なくとも、黄巾討伐に向かわれるまでは」


 劉備君が連れてこられてから、どうも曹操様との関係が上手く行かなくなってしまっている。
 どうすれば元の通りに会話が出来るのかしら。
 私は私を思いやって眦を下げる関羽さんに笑いかけ、窓の外を見やり、あっと声を上げた。


「如何なさいました」

「曹操様が窓の外から見ておられたの。私と目が合うと行ってしまったけれど……」

「曹操もいっしょにお菓子、食べたいのかな」

「どうかしら……」


 お菓子が食べたい訳ではないと思うけれど……。
 首を傾けると、劉備君が笑顔で立ち上がった。


「関羽! 曹操も呼んでこよー!」

「え? あ、待って劉備!」


 名案だ、とばかりに部屋を飛び出す劉備君を、関羽さんが大慌てで追いかける。
 止めなければと思った時にはもう遅くて、念の為に何巡についていってもらった。

 曹操様は多分、誘われても断ると思うのだけれど……。
 そんなことを思いつつ、劉備君達のお茶を淹れ直して彼らを待っていると。


「○○ー! 曹操来たよ!」

「え……あら、まあ……」


 本当に劉備君は連れてきてしまった。
 予想外のことに唖然としている私の前に、劉備君がぐいぐい背中を押して曹操様が立つ。関羽さんが申し訳なさそうに肩を落としていた。

 機嫌のやや悪い曹操様と見つめ合うこと暫し、何巡に呼ばれてようやっと私は言葉を発することが出来た。


「あ、ええ、と……曹操様。お茶を飲んでいかれますか?」

「……一杯だけだ」


 ぎろりと劉備君を睨めつけるのを、関羽さんが宥めた。


「そ、曹操。あの、劉備は曹操が○○さんと仲良く出来るように……」

「あのね。このお菓子が一番おいしいんだよ」

「劉備……!」


 悪意の無い純粋な厚志(こうし)に曹操様は渋面を作る。
 私が劉備君を先に座らせて曹操様を招くと、彼は関羽さんも睨んで私の隣に座った。

 何巡は曹操様のお茶を淹れた後、少なくなった――――ほぼ劉備君が食べてしまった――――お菓子の補充の為部屋を出ていった。


「ごめんなさい、○○さん……」

「謝るのは、私ではないのか」

「ここに来るまでに散々謝ったじゃない! 夏侯惇にも睨まれちゃったし……」

「夏侯惇様には私から謝っておくわ。気にしないで。でも曹操様。夏侯惇様といらっしゃったのなら、お忙しいのでは? よろしければお茶とお菓子をお部屋にお持ち致しますわ」


 気を遣って問いかけると、曹操様は私を一瞥し、私に聞こえるくらいの声で囁くように言った


「私がいるのは迷惑か?」

「いいえ。そんなことはありませんが……むしろ、曹操様のお邪魔になりませんか?」

「少しの時間ならば問題無い」


 と、早口に言う曹操様。

 関羽さんが口元に手を当てて目を半眼に据わらせ、探るように曹操様を見つめる。
 やっぱり……と口が動いた。
 また先程のように曹操様が私を好いていると思っているのかしら。
 私は、違うと思うのだけれど。
 曹操様が関羽さんの視線に気付いて彼女を見ると、不自然に劉備君に構い出す。


「劉備。今度わたしもお菓子を作ってくるわね」

「ほんと? 嬉しい!」

「まあ、そんなことしなくたって良いのよ。お金がかかるでしょう? まだまだ若いんだから、こちらのことは気にしないで、お金は自分の為に使ってちょうだい」


 関羽さんは笑顔で首を横に振った。


「いいえ。これくらいしか出来ないけど、いつもお世話になっているお礼を返したいから、○○さんこそ、気にしないで下さい」

「そう? ……じゃあ、関羽さん手作りのお菓子を楽しみに待っていても良いのかしら?」

「はい! ……あ、いえ。あまり期待しないで下さい」

「ふふふ……そう。分かったわ。程々に待っているわね」


 関羽さんは、ほっとしたようだ。
 曹操を見、ちょっと考えた後にぐいっと身を乗り出す。


「ねえ曹操。もっと沢山、○○さんとお茶をしてみてはどう?」

「私が?」

「そうよ。だって二人は夫婦なんでしょう? 夫婦ならお互いのことを知るべきだわ」


 関羽さんのこの言葉に、曹操様は微かな反応を示した。
 薄く唇を開き、何かを呟いたようだ。声が無く誰にも聞こえなかった。
 一瞬だけ黒い目が私を見る。

 関羽さんの提案に言葉は返さなかったけれど、かと言って無視した訳でもなさそうだ。

 私は苦笑して、関羽さんを窘(たしな)めた。


「関羽さん……曹操様はお忙しい方だからそんなことを言ってはいけないわ」

「でもこんな関係じゃやっぱり駄目だと思います。どんな形でなったとしても夫婦なんだから、理解し合えた方がずっと上手くいきます。愛し合えればもっと上手くんです!」


 拳を握り締めて、きっぱりと言う。
 夫婦と言えども私達は関羽さんが思うような形の夫婦ではない。彼女は何とかそんな風にしたいと思っているようだけど、それはきっと難しいこと。
 関羽さんは一人大きく頷き、劉備君はきょとんと首を傾けた。

 それは関羽さんと何巡の個人的な見解に過ぎない。
 曹操様だって、そんなことを言われても困る筈だわ。
 曹操様に苦笑を向けた私は、えっとなった。

 彼は私を凝視していたのだ。
 思わずたじろいでしまっても視線は動かない。
 何か考え込んでいる様子で、私が驚いていることに気付いていない。
 困惑して名前を呼んでようやっと我に返った。


「……、……何でもない」

「そう、ですか……?」


 何でもないことはなかろうに、そう言われてしまっては追求することは出来ない。
 私は首を傾けながら引き下がった。

 そこで、何巡が沢山のお菓子を抱えて戻ってくる。


「関羽さん。余った分はお持ち帰り下さい。劉備さんの部屋にも後程補充しておきましょうね」

「ありがとう!」

「わたしの方も、ありがとう。張飛達も喜ぶわ」


 何巡は頭を下げ、私の後ろに立った。その際に、曹操様の様子を一瞬怪訝そうに見やった。

 それから、関羽さん達と話していたのだが、曹操様は上の空で、かと思えば私を凝視しては何巡や関羽さんに問いかけられていた。
 関羽さんの言葉でそうなったのは間違い無い。
 でも、どの言葉に考え込むようになってしまったのかが分からない。

 関羽さんはやはりと言いたげな顔を時折している。

 二人が帰った後、変な事態には、ならないわよね?

 そんな不安を抱いた。

 お茶自体は、何の問題も無く終わった。

 関羽さんや劉備君は何巡に送らせた。

 後は、曹操様だけだ。結局は、最後まで彼は残っていた。
 座ったままの彼に歩み寄り、呼びかける。


「曹操様。お仕事は大丈夫ですか?」

「……ああ。そろそろ、戻る」

「はい」


 曹操様は扉に近付き、手をかけた。
 そこで肩越しに私を振り返って、


「……また、来る」

「え? あ、はい……お待ちしております」


 曹操様は黙して頷き、部屋を出て行った。
 私は部屋の外まで出て、拱手(きょうしゅ)して彼を見送った。

 その時まで危惧したことも無かった。

 だけどその二日後から、私の部屋に贈り物がよく届くようになった。
 煌びやかな衣装に、装飾品、化粧道具、調度品……一度に沢山、様々な物が送り届けられた。
 どれも私には高価過ぎる物ばかりで、使うことも憚られるくらいだった。

 それが二日に一回と頻繁にあるから、正直困惑している。

 侍女達は少しだけでも使った方が良いと、服には袖を通し、まるで舞を踊る前みたいにこの身を飾り、化粧もして、調度品も入れ替えた。
 でも、さすがに届き続けると彼女達も困り果ててしまう。

 お茶に来た時に断ろうにも、ご厚意でいただいている物だから切り出しにくい。

 何を思って、私に贈り物をするのか……関羽さんの言葉が原因だろう。
 まさか関羽さん達の言うように私のことを……。
 いいえ、そんなのやっぱり有り得ないわ。
 好きになる程接している訳ではないもの。


「……どういうおつもりなのかしら、曹操様」


 裁縫の途中に、ぽつりとこぼした疑問を、何巡が拾った。


「やはり、私や関羽さんが仰っていた通り、好きだと自覚されたのではないでしょうか。その方が納得出来ます。でなければ妾に上等な贈り物を定期的にする筈がございません。○○様は、歌妓であって、政治的利用価値のある名家の姫ではありませんから」

「でもね、何巡……」

「○○様の困惑なさるお気持ちも分からないではありませんが……あちらは○○様の歌を聴いて、気にかけていらっしゃいました。○○様の歌から、惹かれたのでは?」


 それは、とても光栄なこと。
 私の歌を気に入って下さっているのなら、多少なりとも安らぎを与えられたということだから。
 私は渋面を作り、動かしていた針を止めた。


「好き、という感情は、私には分からないわ。お客様をそんな目で見たことは無いし……私は店に住み込みで舞う時以外は何巡だけとしか話をさせてもらえなかったわ。前に、執着し過ぎたお客様に殺された歌妓がいたから」

「それは、私も同じです、何となく、歌妓に惚れて入れ込んでいたお客様に近いものを感じただけですから、関羽さんが同じ印象を持っていらしてようやっと確信に多少近付いたというだけで……今でも自信は全く」


 お互い、色恋とは無縁な生活だった。私が、安全の為にもそうしなければいけない歌妓だったから仕方のないこと。
 侍女達にも意見を求めてみると、彼女達も曹操様は私に気があるのではないかとのことで。

 そう言うものなのかしら。
 私は首を傾けた。


「○○様も、曹操様をお知りになれば、そう言った感情も分かるのではありませんか。相手を知らないのは○○様も同じなのですし」



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