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劉備君が快適に過ごせるように、曹操様に教えられた場所の空き部屋を、何巡と二人でしっかり丁寧に整える。
「ねえ、何巡。劉備君は私の部屋で預かっても良いと思うのよ」
「さすがにそれはお止めになった方がよろしいかと。曹操様の側室なのですから」
「……でも、あんなに小さくて可愛い子をここにたった一人住まわせるのは私が許せないの」
この屋敷では、ほとんどの人間が猫族を十三支だと蔑む。
露骨に表に出す者もいるだろうし、少しでも心の負担を軽くしてあげたい。
どうにかならないか、曹操様に経緯を訊ねるのと一緒に相談してみましょう。
何巡に言うと「無駄だろうと思いますが……」渋面で言う。
「とにかく! 劉備君がこの部屋に来たら、曹操様の所へ行ってみるわ。その間、劉備君の相手を頼んでも良いかしら」
「畏まりました。ならば、今のうちに部屋からお菓子をこちらへ持って参りましょう」
「ええ。ありがとう」
何巡は呆れながらも私の意思に従ってくれた。一礼してお菓子を取りに行く何巡を見送り、私は部屋の準備を再開するのだった。
‡‡‡
「駄目なのですか?」
「ああ」
私は肩を落とした。
劉備君が部屋に来てからすぐ、私は曹操様を訪ねた。
そして劉備君が来た経緯と、私の部屋で面倒を見てあげられないか相談してみたところ、経緯も教えてもらえなかったし、相談もはね退けられてしまった。
「曹操様。でもあんなに小さいのですよ?」
「見た目はあれでも、十五だそうだ」
十五……十五ですって?
「まあ、十五歳? なら発育に問題があるのかもしれませんわ。なおさらたった一人で過ごさせられません。私がお世話を、」
「ならぬ。どうせ他の十三支が会いに来る。それで十分だ」
「他にも猫族の方がいらっしゃるのですか? どうして仰って下さらないのです。その方々にもお部屋を用意して差し上げなくては」
「郊外に陣屋がある」
「郊外に陣屋なんて! 劉備君がここにいるのなら、この洛陽に彼らも住まわせるべきです。曹操様、お忙しいならば私が付近の空き家を探して参りますわ」
「必要無い」
私が執拗な所為だろう、曹操様の機嫌が徐々に悪くなっていく。
だけど、猫族のことをこのまま放置しておくことは出来ない。
私は背を向けた曹操様の前に回り込んで、もう一度お願いした。
曹操様の眉間にくっきりと皺が寄った。
「……十三支に愛着が湧いたか? 自分の立場を忘れるな」
一際太い声に、怒気が滲んでいる。
「忘れてはいません。私は曹操様の側室です」
「ならば、」
「私は花街の歌妓として、お客様の心を癒す為に歌い、舞っておりました。人の為に出来ることは何でもしたいんです。それは相手が曹操様でも、劉備君でも、人間でも、猫族でも、混血でも、同様です」
曹操様の唇が震えた。
「どの人種でも同様に、か。お優しいことだな」
口角が歪む。
苛立っているのに、寂しげな笑みだ。
曹操様は、ご自身の表情に気付いていらっしゃるのだろうか。
「偽善も大概にしておけ」
「偽善だなんて」
「お前風情が何も救えるものか。お前の自己満足に振り回される他人は良い迷惑だ」
「そんな、」
「部屋に戻れ。暫く外出を禁じる」
私の肩を掴み、部屋から追い出す。
扉を開けようと手をかけても、曹操様を呼んでも、扉は開かず私を拒絶する。
しつこく食い下がり過ぎてしまった。
私は肩を落とし、曹操様の部屋を離れる。
けれども、私は自分の部屋には戻らなかった。
遠回りをしながら頭を切り替え、劉備君の部屋へ向かう。
劉備君の部屋に入ると、何巡とお茶を飲んでいた劉備君が笑顔で出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ、○○様」
「ありがとう、何巡。劉備君。お菓子はお口にあったかしら?」
「うん! とっても美味しいからね、こんど、関羽と張飛と、いっしょに食べるね」
関羽と、張飛。
知らない人名が出たけれど、猫族のお友達の名前なのだろう。
友人と離れた場所で暮らさなければならないのが、とても心苦しい。
「劉備君。寂しくない?」
私の問いに劉備君は大きく頷いた。
「大丈夫だよ。関羽たちも、遊びに来てくれるって!」
「そう……立派だわ」
頭を撫でると劉備君は胸を張る。
十五歳でこの幼さ……見目は病弱という風でもない。
先天的の障害、病気があるのかもしれない。
そんな子を仲間から引き離してどうするの……。
私は目を伏せて劉備君を抱き寄せた。
「事情は教えてもらえなかったけれど、困ったことがあったら遠慮無く私に言ってちょうだいね。お菓子も、無くなってしまわないように、定期的に何巡に持って行かせるわ」
「うん。ありがとう。○○!」
劉備君は無邪気な笑顔を浮かべる。
私は劉備君を放して、部屋を辞した。何巡は、暫く劉備君の相手をするようによくよく頼んだ。
自室に戻った私は寝台に腰掛けた。
曹操様に言われた、偽善という言葉が蘇る。
両手を見下ろし、溜息が漏れた。
確かに私のしていることは自己満足。偽善と言われても仕方がない。
花街の夢は儚い。
歌妓の与える癒しも、一夜限りのものでしかない。
翌朝には、花街の客も現実に戻っていく。
歌妓のすることに、意味は無いのかもしれない。
曹操様は、歌妓が分不相応なことをしようとする姿が不快だったのだろう。
でも夜の私の歌を気にかけていたのも事実。
今宵私はいつも通りに歌うべきなのか、分からなくなってしまった。
侍女達が私の様子を見に来て、気遣ってくれる。
彼女達に大丈夫だからと返したけれど、あまり説得力は無かったかも。
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