狗族(ごうぞく)の○○は怖いもの知らずである。
 人間がどんな存在か知っているのに、回復した夏侯淵の後を追いかけて人間の世界に飛び出してしまったのだ。

 夏侯淵は勿論嫌がった。嫌悪などではない。人間は十三支と同様、狗族に対して蔑視する傾向にあるが故、恩人でもある彼女に辛い思いをさせてしまうのではないかと危惧しているのだ。

 しかし押しの強い――――と言うよりは自分の調子を絶対に乱さない――――彼女に負かされて、結局は兌州は曹操の城までついてきてしまった。


「うはあぁぁ……すっご! 人間が一杯!」

「……はあ」

「あっ、ねぇあれ! あの桃みたいな奴何? 食べ物?」

「ああ、あれは桃まんで――――って単独行動は止めろ!」

「きゃんっ!」


 尻尾を掴んで止める。狗族は尻尾を引っ張られると激痛を伴うらしい。なのでよく子供の躾(しつけ)では尻尾を引っ張って仕置きをする。

 それを、夏侯淵も何度か利用していた。
 狗(いぬ)のような甲高い悲鳴に夏侯淵は溜息を禁じ得ない。本当に、狗っぽい。

 尻尾を放してやれば○○は大事そうに自分の尻尾を撫でて涙目で夏侯淵を睨んできた。それにうっとなって目を逸らす。


「……み、見て回る前に行かねばならん所がある。それに、耳も尻尾を隠せないんだったらじゅ――――猫族と一緒にいた方が、少しは周囲の目も違うだろう」


 大人しく隣に並んだ彼女に安堵した。それでも物珍しそうに絶え間無く周囲を見渡しているから、油断は出来ないのだが。


「猫族って、やっぱり耳だけ? 尻尾無いの?」

「ああ。耳だけだ」

「ふぅん。猫の尻尾可愛いのに」


 狗族は猫族を見下していると聞いていたが、この○○は猫族には純粋な好奇心しか無いようだ。彼女曰く、他の狗族はその噂の通りだそうだが。


「○○は猫族に偏見を持っていないのか?」

「んー……何か面倒臭いじゃん? そういうの」


 ぐんと背伸びし、彼女は夏侯淵を見上げる。


「ま、あんたら人間は何かと優位にいないと気が済まないみたいだけど、あたしらは自分達の祖に誇りを持ってる。だからこそ、猫族は金眼が祖先なんだって信じ込んでる人間と猫族を下に見てるんだと思うよ」


 そこで夏侯淵は足を止める。
 ○○の言が引っ掛かった。

 数歩先で○○が振り返る。きょとんとして、夏侯淵を呼んだ。


「夏侯淵?」

「おい、お前今信じ込んでと言ったか?」

「え? うん」

「どういうことだ、猫族は金眼が祖先ではないのか?」

「ううん。猫族は元々人間だよ?」


 ○○は心底不思議そうな顔をして爆弾を投下する。

 夏侯淵は絶句した。


「は……」

「ん?」

「はあぁ!?」

「うるさっ!」


 狗族は耳や鼻が良いので、○○は夏侯淵の大声に狗の耳を潰した。不快そうにぐにゃっと顔が歪む。


「○○は――――狗族はずっとそれを知っていたのか?」

「だって、漢帝国の支配受けてないし、うち。てか、三百年前だっけ、狗族もちょろーっと協力してたんだよ。狡の加護があって呪いは受けてないけど」


 ……とんでもない一族の娘を連れてきたのではなかろうか。
 夏侯淵は城に行く前に彼女から詳しく聞こうと手を握った。

 しかし、その刹那である。


「夏侯淵!!」


 懐かしい、声がした。



‡‡‡




「良かった! 生きていたのね!」

「あ……」


 関羽と、――――夏侯惇。
 夏侯淵は顔がひきつるのが分かった。どんな顔をすれば良いのか分からない。何の覚悟もしていない。

 彼の様子に気付いた○○は、その背中をばしんと叩いた。痛みを感じるように、強めに。


「っ! ○○、何をする!?」

「びしっとしな。あんた自身が来ること決めたんだろ。こんな時に怖じ気付いてどうする。何なら股蹴ってあげようか?」

「お前は本当に女か!」

「じゃあこの胸は何だ」


 服に寄せられてくっきりと強調される谷間を指差され、夏侯淵はうっと一歩後退した。顔が熱くなってしまう。

 しかし、夏侯惇が前に立つと急速に落ち着いていく。


「夏侯淵! お前……」

「……あ、兄者。オレ、は、」

「――――生きててくれて良かった」


 夏侯惇は薄く笑って、吐息混じりに言った。その声に、夏侯淵を咎めるような響きは無い。

 安堵。
 どっと力が全身から地面に吸収されていくような感覚を得た。


「……オレ、オレ……すまない」


 絞り出すように出した声に夏侯惇は彼の肩を叩いた。

 すると、夏侯淵は堅く目を瞑り、奥歯を噛み締めて、大粒の涙をこぼし出した。
 慚愧(ざんき)と安堵が反発するようにぶつかりあって、胸を掻きむしる。痛くて苦しい――――。



‡‡‡




 ○○は目を伏せ、彼らから二歩離れた。
 夏侯惇と関羽の意識が完全に夏侯淵に向いた隙に、そっと雑踏(ざっとう)に紛れた。


「あたしの役目も終わりかぁ……」


 彼女は父◎◎と約束をしていた。
 夏侯淵を《家》に送り返したら、すぐに村に戻るようにと。以後人間の世界に行くことは、許されない。

 夏侯淵に会うことも絶対に許されない。

 寂しいことではあるが、彼が元の居場所に戻れたのだからそれで良しとする。

 気配を殺して、○○は人波に身を潜ませつつ町を後にした。
 出た後は、疾駆して兌州を離れた。

 夏侯淵に、○○がいなくなったことを悟られる前に。彼はきっと、追いかけて来るから。
 面倒をかけさせるな、と怒って。

 捕まったら怒られる。
 それも良いけれど、そうなったら帰れそうにない気がする。

 近くの山に駆け込んだ○○は、夏侯淵を置いてきた町を振り返る。
 が、もう見えない。

 ○○は微笑んで、遠吠えをした。



○●○

 多分、数年後夏侯淵が追いかけてきます。んで夢主の親父さんと「オレに娘さんをください!」「貴様に娘を幸せに出来るかぁっ!!」(がしゃーん)的な会話を繰り広げて結局親父さんに許可もらって嫁に貰う。そんな展開。

 でもそこまで書いたら長い。
 夏侯惇の『俺』主以上に長くなる気がする。

 つくづく私は短編って苦手なんだなぁと思います。まとまらないまとまらない。



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