「軟膏か。鍋で炊いて作るんだな」

「あ、いや、これ両親のやり方だから……多分、本当の作り方じゃないんじゃないかって思います。良く不思議がられていましたから」


 咄嗟に嘘をつき、私は苦笑いする。
 これは絶対に正規のやり方じゃないと思うんだ。
 両親の作り方が特別違うんだと言い張って、趙雲さんには納得してもらった。


「何か手伝えることは無いか」

「あ……じゃあ、これ掻き混ぜててもらえますか」

「分かった」


 趙雲さんには悪いが目を薬の方に向けていてもらおう。
 その隙に私は麻袋を開いて中身を確認する。
 そう言えば私は大事な物を失念していた。
 薬を入れる容器である。

 容器が無ければ売り物にならない。鍋も綺麗に洗って片付けることが出来ない。
 なので、まだよく見ていない麻袋の中を確認しようと思ったのだった。
 一個くらい容器無いかなーと期待しつつ、麻袋を覗き込み――――。


 目が点になった……と思うくらいに驚いた。


「え……」


 ちょっと、待って下さい。
 また有り得ない現象が目下麻袋内で起こっています。

 木簡の下に、小物入れみたいに加工が施された大きめの貝殻が沢山入っていました。

 四次元ポケット?
 え、青い猫型ロボット? 青い猫型ロボットが住んでるんですかこの麻袋は。

 ……んな訳ないでしょ。落ち着け私。
 でも本当に謎な袋である。中にはこんなに丁度良い容器になった貝殻が詰まっているのに外見は全く変わっていないのだ。木簡だけしか入っていないような凸凹しか見受けられない。
 この麻袋も、とんでもない癖のある代物のようだ。
 私は趙雲さんの様子を窺いながら必要そうな分だけ貝殻を取り出した。

 蓋を開けて調理台に並べ、趙雲さんの横に立つ。


「まだ湯気立ってますね。代わります」

「いや。長旅の身で、外へ材料を採って来たんだろう。男の俺と違って疲れが溜まっている筈だ。少し、休んでいると良い」


 趙雲さん、優しすぎる。
 こういう人がいたら絶対ナンバーワン人気間違いなし。平凡人生まっしぐらな私なんかご縁の無い雲上の人だったに違い無いわ。
 私は微笑みながら掻き混ぜ続けてくれる趙雲さんのご厚意に甘えて、私は調理台の側に椅子を持ってきて座った。

 一度落ち着いて暇になると、疲労が一気に睡魔を引き寄せる。
 私はそのまま調理台に突っ伏して眠ってしまった。

 趙雲さんに揺すられて起きた時には、すでに容器には軟膏が詰められていた。


「……わああっ、すみません!」


 がたっと椅子を倒して立ち上がった私に趙雲さんは寝る前に見た微笑みで首を横に振った。


「やはり、無理をしていたのだろう。途中で宿の女将が容器に詰める作業を手伝ってくれた」

「じ、じゃあ片付けだけでも……!」

「ああ。俺も手伝うよ」

「いやいや。さすがにそこまでお世話になる訳にはいきません。女将さんと約束したのは私なので、趙雲さんはもう休まれて下さい。調理器具はあまり使ってませんし」


 少しは私も働かなくてはと、趙雲さんの背中を押し、厨房から出す。
 すぐに休むからと心配そうな彼に笑ってみせて、私はてきぱきと片付けに取りかかったのだった。



 それを、終わる直前まで趙雲さんが見ていたとは、私は全然気付かなかった。翌朝になって女将さんに教えられた。
 ……私はそんなに危なっかしいだろうか。



‡‡‡




 翌日早速出来上がった薬を路上で売ることにした。
 趙雲さんに聞いた薬の相場を参考に決めた値段――――これも不思議で私の頭は私の知らないところでこの世界の通貨もしっかり理解してくれていた――――でお役人の目に触れない場所で、また希望を持って覗き込んだ麻袋から取り出した敷布を広げ、軟膏を並べた。

 軟膏は全部で二十個。今日だけとはいかなくても、近日中に全て売り切れたら良いなと思い、お客さんを待ってみる。
 声出しをしようと思ったけれど、それでお役人に見つかったら問題だ。ひとまず最初は目立たないようにお客さんの口コミに頼ろう。……厄介事にならない程度に。

 しかし、人通りの多い場所を避けた所為で、客は一向に来ない。
 たまに通りかかっても、好奇の目を向けてくるだけで、身体も足も向いてくれない。
 やっぱり最初はそう上手く行かないよなあ……。
 早めに店仕舞いをして、売り物の種類を増やして明日リベンジしようと軟膏に手を伸ばすと、手に影が落ちた。


「あの……それって、薬ですか?」

「え? あ――――」


 顔を上げて固まる。
 やっぱり異世界に来たばかりじゃ驚きが続く。

 店の前でやや身体を前に倒して薬を覗き込んでいる私よりもちょっと年下の可愛い女の子がいる。
 その頭の上には猫の耳が自然な感じで乗っかっている。

 ああ、これが猫族なのか。
 人間ばっかのここにいたらマズいんじゃないのかなと思ったのも一瞬、私はすぐに初めての客を逃すまいと彼女の問いに答えた。


「傷薬です。といっても、急いで作った簡単な物で、効果は弱い方なんですけど」


 浅い傷なら一瞬で治りますけどねとは言わない。言っても実際に見てくれなければ信用してくれる気がしないし。
 猫族の女の子はその場にしゃがみ込み、薬を一つ手に取った。私に一言断ってから中身を見た。


「深い傷は難しいと思いますけど、ちょっと切った擦った程度の浅い怪我なら、それで事足りると思いますよ」

「おいくらですか?」


 値段を言うと、「買います」と女の子は言ってくれた。
 おお、初めてのお買い上げだ。
 私は嬉しくなって、「もう一個おまけしときますね」ともう一個彼女に手渡した。

 女の子は驚いて返そうとしたけれど、今日店を始めたばかりで、初めて売れたのが嬉しいからと言うと、納得してくれたようだ。
 感謝の言葉を貰って私も気分が良かった。

 初めての売り上げを大事に持って、私はその日の営業を終え、材料採取に向かった。

 昨夜部屋の中で木簡や紙に目を通した。
 が、やっぱりと言うか……だからと言って現状がどうにかなるものでもなかった。
 ただ、傷薬以外に色んなも種類の薬の作り方が、木簡には書いてあった。
 作れそうな物をピックアップして、その材料を今から探しに出かけることにした。

 そうして、徐々に客も増えてくれたら、身形(みなり)も器具も旅支度も整えられる。

 私はとにかくこの世界で生きていく為に必要な物を揃えなければならない。
 今はどんな苦労も甘んじて受け入れるべき状況なのだ。

 それからは毎日、厨房で薬を作っては店で売り、時折材料を採取して薬を作って――――その繰り返しだった。金を稼ぐことにここまで必死になったことは人生で一度も無かった。
 日々を重ねていけば猫族の女の子は常連になり、人間の客も増えて、運が良ければ即日完売なんて有り難い日も出てきた。
 服も地道に安くて趣味に合う物を探し出して買い、街の中にそれなりには溶け込めたと思う。

 けれど――――ある日とうとう、私の店で問題が発生してしまった。


「十三支の女!? 何故十三支がここにいるんだ!」

「か、夏侯惇に夏侯淵まで……」


 初見さんの人間二人組は、私が薬それぞれの説明をしている途中、店を始めて以来の常連関羽ちゃんが現れるなり急に騒ぎ出した。
 そこで気が付いたんだけど、関羽ちゃんが避けていたのか、彼女が店を利用している時、人間はいなかった。

 関羽ちゃんが人間といるのを見たのは、これが初めてだ。

 顔を強ばらせる関羽ちゃんを見上げながら、首を傾げた。


「『十三支』……?」

「お前知らないで十三支に薬を売っていたのか!?」

「え、何で怒ってるんですか?」


 あれ、呆れられてる……。
 初見さんの刺々しい視線を受け、私は顔をしかめた。
 いや、知ってますけど。十三支って呼び方を知らないだけなんですけど。
 むっとした勢いで、私はつい突っ慳貪に返してしまった。


「猫族が金眼って言う化け猫の末裔だって蔑まれているのは、恩人に教えられて知ってます。でも私、その話には疑問ばかり覚えてるから、引っかかる情報を鵜呑みにしたくなくて普通に接してるだけです。で、十三支って何ですか」

「疑問だと? 何を――――」

「十 三 支 って 何 で す か」


 語気を強めてゆっくりと問えば、髪の長めの男の人が一歩退いた。え、何で退くの。

 彼の代わりに髪の短い男の人が教えてくれた。


「十三支とは、十二支で回る時からあぶれた猫を意味する。存在の許されない猫族を指す言葉だ」


 ああ、あの猫の話……。

 ……。

 ……。

 ……んー、でも中国の十二支の話って……。


「……それもおかしくないですか?」

「何?」

「だって、十二支の話って猫って同じく泳げない鼠と協力して知恵を出して牛の背中に乗って川を渡っている時、鼠に裏切られて川に落とされちゃったんでしょう? それって人間で言うなら、味方がいきなり味方を斬り捨てることと同じじゃないですか。もしくは親友だと思っていた人が、自分を罠にはめて大出世した、とか。あなた達の言う猫って、話の中じゃ鼠の被害者じゃないですか。それを蔑称に使っているってことは……あなた達も味方に裏切られた時、その人に斬り殺された味方が悪いんだって認識してるようなものじゃないですか? それにですね、猫って元々は他の十二支と同じく、招かれた動物だったんでしょう? 招かれる程の動物だったのに、それを蔑称に使うのは矛盾してませんか?」

「な……」

「ついでに、猫族のことについて私が抱いている疑問に触れますとですね、何で化け猫の末裔が人の姿になっちゃってるんですか? 関羽ちゃん見てみたら耳しか名残無いじゃないですか。大陸を荒らして回った凶暴な存在の末裔だってんならどうしてこんなに凶暴とはまるで無縁に温厚になっちゃってるんですか? それに金眼は漢帝国が倒したって言ってますけど、具体的にどうやって倒したんです? 漢帝国に忠義を捧げる誰がしとめたんです? 化け猫すら倒して民を守れる漢帝国はとっても凄いんだぞーって威光を示す割には話が漠然とし過ぎてて伝説としても物足りないよなあって思っちゃうんですよ。それってただ単純に大昔の話だから風化したってことで、私の考え過ぎなんですかね。詳細な記述がある信頼出来る史料は無いんですか? それでなくても当時の時代背景を知る為の史料って残ってないんですか? 大陸は広いんですから、何処かで残っててもおかしくないですよね?」


 矢継ぎ早に言うと、髪の短い男の人が眉間に皺を寄せた。

 あ、ヤバいかも。
 と思い、私は「と、言う訳で」慌てて話を終わらせた。


「疑問が解けない限りは、十三支は汚らわしいーが常識の大衆には混ざれないです。そんな私が嫌なら、店に来なければ良い話です。ここで商売をするなと言うのなら大人しく出て行きます。問題が生じたら周りの人達に迷惑がかかる前に店を畳むつもりでしたから」


 私が言うと、関羽ちゃんが顔色を変えた。


「そんな! 駄目よ! ○○の薬は本当に効くんだから、もう随分とお客さんも増えてきてるでしょう? 折角波に乗り始めているのに……」

「良いよ、関羽ちゃん。どうせ、準備が整ったら色んな場所を旅するつもりだったし。……あ、ついでだし、金眼について解明の手がかりになる史料が無いか探してみようかな」


 ただ私を連れてきた人を捜すだけの旅よりは良いかも。
 我ながら良い案だと一人頷いていると、ふと髪の短い男の人が「夏侯淵」


「今日はこのまま戻るぞ」

「兄者!? まさかこの娘の言葉を鵜呑みにしたのか?」

「鵜呑みにした訳ではない。……が、」


 その後言葉は続かなかった。
 思案に沈む双眸が私を暫く睨み、髪の短い男の人はきびすを返した。

 夏侯淵と呼ばれた髪の長めの男の人は、関羽ちゃんと私を睨んで、兄者を追いかけていった。


「あの、ごめんなさい。○○。私の所為で……」

「あ、ううん。それは大丈夫。気にしないで。……でもそろそろ、洛陽を出た方が良いかな。自分で問題を大きくしちゃったかもしれないし。路銀も貯まってきたから」


 関羽ちゃんの頭を撫でて言うと、彼女は途端にしゅんとした。
 可愛かったので暫く撫で撫でしてあげた。

 趙雲さんに、話さないとな。



‡‡‡




 その日の夜に、趙雲さんの部屋を訪れて今日の出来事を話した。
 関羽ちゃんのことを趙雲さんも知っていたことには驚いたけれど、まあお陰で話はスムーズだった。

 しかし、私が洛陽を出るって話になった時、趙雲さんはあからさまに残念そうな顔をした。
 曰く、彼ももう幽州に戻るそうだ。
 じゃあ私も洛陽を出るのは丁度良いと思うのだけれど……まだ心配してくれてるのかな?


「お世話になりっ放しでしたから、これを期にまた一人で旅をしようと思います。あ、その前に払っていただいた宿代もお返ししないとですね」

「……○○殿」

「何ですか?」

「俺と共に幽州に来るというのはどうだ?」

「はい?」


 いや、それは有り難いですけど。
 でも甘える訳にはいかないよね。
 私は苦笑して、首を横に振った。


「すみません、趙雲さん。助けてもらってからずっと優しくしてもらってばかりで申し訳ないです。心配は無用です。私なら大丈夫ですよ。ちゃんと一人で旅も出来ると思いますし、危ないと思ったら即行逃げますんで。だから安心して下さい」

「しかし……」

「あ、でも何処かで会ったら話しかけても無視しないで下さいね。あと、私が気付いてなかったら話しかけて下さい」

「それは、勿論」


 私は「ありがとうございます」頭を下げた。
 立ち上がって、扉に寄り、


「じゃあ、お休みなさい。趙雲さん」

「ああ、お休み」


 笑ってまた頭を下げて、私は部屋を出た。
 扉を閉める直前趙雲さんが何か言ったような気がしたけど、私は気にせずに部屋に戻り、自分に気合いを入れる為に「頑張れ私!」と両手を天井に向けて突き上げた。







「心配だけでは……なかったんだが」



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 思い付いたネタを詰め込んだだけの話です。
 オチ無しで、すみません……。

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