「あなたのその言葉には、少しだけだが、救われる……。あなたは、守るべき者を守れなかった私を最低と思われるか?」

「いいえ。ただ、苦しむあなたを見て、胸が痛みます。どうかして楽にして差し上げたいですが、私はあなたのような戦で辛い体験をされた方々の心には完全には寄り添えません。無理に寄り添えば偽善と拒まれるかもしれない。それが、とてももどかしくて、悔しいです」


 諸葛亮様の手が私の手を撫でた。


「あなたに対して、私は似たような気持ちを抱いています」

「え?」

「翠宝殿が、手紙で教えて下さった。○○殿は自分の所為で女としての自分に自信が無いのだと。私との縁談を拒まれているのも、それが原因だと。……発明などしてご両親に恩返しをして、価値を持ちたいのだろうとも」


 私は顎を落とした。
 翠宝ったらなんてことを!!


「す、翠宝がそんな勝手なことを……!」

「ですが、先程のあなたの言葉を聞いて、むしろ私にとって過ぎたる人だと感じた。女性の価値観などは男の私には分からないが、それ故に私には勿体無いあなたが不美人だと自ら卑下されている姿は、見ていて耐えられない。だが、あなたに自信をつけさせるような確かな力のある言葉が思い付かない。……元々、人と話すのも得意ではないので」

「え……そんな、まさか、そんなに流暢に話しているのに」

「本当です。実を言えば、最近はあなたと話している間は常に気が張り詰めていた。今もそうだ。あなたに不快に思われぬように。ですから、今ここであなたが思う以上に女性として、人間として、素晴らしい方であると話しても、信じてもらえるか分かりません。それがもどかしくて情けない、と」


 私は言葉を返せなかった。
 彼の言葉が嬉しいのと、申し訳ないのとで、返す言葉がすぐに出てこなかった。

 そんな私に、諸葛亮様は畳みかけるように告げるのだ。


「私は、あなたが好きだ」

「……え」

「正直を言えば、最初はこの縁談はこのままあなたが拒絶し続けて、承彦殿が諦めてくれれば良いと思っていた。承彦殿の不興を買わずに破談になってくれれば、と。あなたが気に入らない訳ではない。ただ、私には誰も守れないと私自身分かっていた。だから、妻など娶れまいと思っていた。だがあなたが家を抜け出して翠宝殿に会いに行った時、私に対して初めて見せた笑みに、ただ単純に惹かれた。……いえ、今となっては、その前からだったのかも分かりません」

「ええと」

「あなたがほぼ同時に目に見えて私を意識しているのが嬉しかった。私に対してのみ浮かぶ表情が愛おしく感じ、優越感さえありました」


 恥ずかしいことを言われ、私は逃げようと手を引いた。
 しかし諸葛亮様は逆に力を込めて引き寄せてしまう。逃げられなかった。
 まだ続くのか、こんな筈じゃなかったのにとぎゅっと目を瞑って俯くと諸葛亮様が一つ深呼吸をする。


「嘘ではないと、信じていただけますか」

「あの、信じると言うか……私こんなつもりではなくて……恥ずかしいので、その、手を放してもらえませんか」

「お断りします」

「えっ」

「まだ、言うべきことを言っておりませんので」


 まだあるの!?
 私はただ、諸葛亮様が少しでも苦しみが軽くなるようにと思っただけなのに。
 私に自信が無いとか、私のことがす、好きだとか……どうしてこんな流れになっているの!?
 予想外の流れにばくばくと早鐘を打つ心臓が五月蠅くて堪らない。聞こえているのではないかと思うくらい鼓動は大きい。


「い、言うべきことって……」

「私は無力です。だから戦火に巻き込まれた時、あなたを守れないでしょう。そんな体たらくでありながら分不相応な願いであると蔑んで下さって構いません。どうか、妻として私の傍にいてくれませんか。私には信じられない弟妹の生存を信じるあなたが傍にいてくれれば、私はいつか、前を向いて生きていけるかもしれない」


 「その代わり……」諸葛亮様は一旦言葉を止め、一呼吸置く。


「その代わり、私もあなたに自信をつけてもらえる言葉をいつか必ず見つけると約束します」

「諸葛亮様……」

「男として情けないでしょうが、受け入れてはもらえませんか」


 情けないとは思わない。

 私などのことを好きだと言う彼の言葉を嘘だとも思わない。嘘と思うには、手の力も声も強すぎた。

 だけど。


「……諸葛亮様。軽蔑されると思って、私も言います。私は、翠宝の元夫に乱暴されかけました。純潔は失ってはおりませんが、私がここであなたの言葉を受け入れたとしても、その事実を彼は必ず吹聴するでしょう。それも、乱暴したと嘘をついて。ですから、私は誰の妻にもなることは出来ません」

「それでしたら、問題はありません」

「え?」

「酷い仕打ちを受けたとは初耳でしたが、それを聞いてむしろあのような騒動があって良かったと思いました」

「……騒動、ですか?」


 諸葛亮様は小さく笑い、


「たまたま劉表様の奥方があなたの母君のもとを訪れておられたので、彼女に協力していただいて劉表様に私との縁談の話をお伝えしていただき、その旨を直接彼にも伝えておきました。その際、どうしてか折良くこの村の女性が夫と共に怒鳴り込んできて、こいつに森で犯されかけたと大層な騒ぎに」

「確かに先日伯母様がいらっしゃったようですが……で、でもそんな騒ぎ、誰が……」

「恐らくは、翠宝殿かと。私に相談してきた時は遠回しで詳細な事情は分からなかったのですが、○○殿の話を聞いて合点が行きました。翠宝殿も、あなたに関してはよく頭の回る方だ。協力してくれた夫婦も、演技の下ではとても楽しんでおられたようで。劉表様の奥方の前でそのような騒ぎを起こして、彼女に厳しい言葉をかけられた今、それを吹聴したとしても誰も信じまい。翠宝殿も奥方によって奪われていた子供を取り戻せたそうです」

「……」


 翠宝、刺すよりはまだ良いけれど……それもそれでやり過ぎだと思うわ。子供が戻ってきたのは、嬉しいことだけど。
 その時のことを思い出しているのか、諸葛亮様は笑っている。

 そしてとても優しい声で、


「あなたは乱暴などされていない。そのような過去は存在しない」


 無理矢理に真実に変えられた嘘を言うのだ。
 多分、口では偶然居合わせたと言っているけれど、その騒動には諸葛亮様も噛んでいる。
 乱暴されかけたと知らないフリをしているのは、私の為なのだろう。

 守れないと言っていながら、私を彼から守ってくれているではないか。
 あれだけ怖かった夜の闇の中、諸葛亮様といても全く怖くない。翠宝と違って、諸葛亮様は男の人なのに。むしろ、私は彼の存在に翠宝以上に安心している。

 言う程無力ではないではないか。
 私は俯き、震える声を絞り出した。


「翠宝も、諸葛亮様も、なんて大変なことを……」

「あなたがまた、私に笑みを見せてくれるなら――――いや、私ごときのものとなっていただけるなら。私にとって、あなたにはそれだけの価値がある女性です」


 諸葛亮様は力強く断じてしまう。
 何処が、男として情けないのだろう。
 私に不相応なんて、そんなこと、絶対に無い。


「本当に、そう思われるのですか」

「ええ」


 即答だ。
 私は手を握る諸葛亮様の手に額を当てた。


「あなたと言う方は……」


 私が妻であることにいつか後悔するかもしれませんよ。
 涙混じりに言うと、諸葛亮様は笑う。


「それは有り得ませんので、ご心配には及びません。むしろ情けない私にあなたが落胆されることでしょう」


 はっきりと、言うのだ。
 それこそ有り得ない話だと、私は心の中で返した。



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